そねてんまんぐう
曽根天満宮兵庫県 山陽曽根駅
社務所:9:00〜17:00
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楽しみ方
兵庫県高砂市にある神社です。
主祭神は菅原道真、配祀は天穂日命(アメノホヒノミコト)・菅原公達(スガワラキンダチ)です。
菅原道真公は九州大宰府へ左遷される途中、伊保港に船を寄せて、曽根天満宮西方の日笠山に登られ「我に罪無くば栄えよ」と祈って山上の小松を植えられました。
これが霊松(れいしょう)曽根の松で、現在も幹が保存されています。
その後、四男淳茂公(あつしげこう)が、家臣13人と共にこの地を訪れ、父君ゆかりの場所に社殿を建てお祀りしたのが創始とされます。
境内は広く、きれいな池があり、梅の木も多く植えられています。
梅の実はおさがりの梅干しにされるそうです。
また、ほうそうの神様が祀られていますが、境内にある最も古い石碑だそうです。
霊松「曽根の松」
枯死していますが ごついです 現在は実生の5代目です
大注連縄
梅の木
ほうそうの神様
延喜元年(901)菅原道真公は無実の罪により九州大宰府へ左遷される。その途中伊保港に船を寄せて、曽根天満宮西方の日笠山に登られ「我に罪無くば栄えよ」と祈って山上の小松を植えられた。これが霊松(れいしょう)曽根の松で、現在も幹が保存されている。
その後、四男淳茂公(あつしげこう)が、家臣13人と共にこの地を訪れ、父君ゆかりの場所に社殿を建てお祀りしたのが創始とされる。天正6年(1578)豊臣秀吉の播州征伐の際兵火にかかり社殿を焼失するが、天正18年に寺沢越中守を奉行として本殿を再建し、社領10石を寄せた。慶長14年(1609)には、徳川家康の息女で姫路城主池田輝政の側室である督姫の寄進により拝殿を建立、慶安元年(1648)3代将軍家光が朱印領30石を寄せ、以後累代の将軍はこれに習った。
さらに、徳川光圀が菅公廟記を撰し霊元院が和歌を奉納するなど御神威は各地に聞こえ、参勤交代の途次参拝する大名も多くなった。特に鹿児島藩主島津公は、霊松の枝で天神像を刻み国元に持ち帰りお祀りしたという。また、伊藤東涯(いとうとうがい)が『研松記』を頼山陽(らいさんよう)が『霊松詩』を奉納している他、小林一茶、シーボルトなど文人墨客が数多く訪れ、詩文を献上している。
| 名称 | 曽根天満宮 |
|---|---|
| 読み方 | そねてんまんぐう |
| 通称 | 曽根天満宮 |
| 参拝時間 | 社務所:9:00〜17:00 |
| 参拝にかかる時間 | 約20分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | あり |
| メールアドレス | sone@tenmangu.net |
| ホームページ | http://www.tenmangu.net/ |
| 絵馬 | あり |
| SNS |
| 菅公聖蹟二十五拝 第16番 | 仏さま:菅原道真、天穂日命、菅原公達 |
|---|
| ご祭神 | 《主祭神》 菅原道真 《配祀神》 天穂日命 菅原公達 |
|---|---|
| 創建時代 | 延喜三年(903年)以降 |
| 創始者 | 菅原淳茂 |
| 本殿 | 三件社流造 |
| 文化財 | 一ツ物神事(県指定重要無形民族文化財) |
| ご由緒 | 延喜元年(901)菅原道真公は無実の罪により九州大宰府へ左遷される。その途中伊保港に船を寄せて、曽根天満宮西方の日笠山に登られ「我に罪無くば栄えよ」と祈って山上の小松を植えられた。これが霊松(れいしょう)曽根の松で、現在も幹が保存されている。
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| 体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り人形供養花の名所札所・七福神巡り伝説 |
| Youtube | |
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