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JR明石駅の南側、国道2号線から一本南の細い道をぶらぶら歩いていると、「史蹟 白雲桜の碑」と書かれた看板があり、何だろう?と思いながらそちらへ進むと小さな神社がありました。
神社や御祭神の御由緒はよくわからなかったのですが、境内にある石碑には下記のように記されていました。
「白雲社由来」
明石城 外堀に面した一角の武家屋敷、五十嵐三右衛門の裏庭に大きな垂絲桜があり、花がまるで白雲たなびくように美しかったので、白雲の桜と呼ばれ名所となった。
明石藩主松平直明公の句に、
幾千枝の柳の兄や絲さくら
と読まれて、春には多くの人が見物にくるほど美しかったそうな。
その桜にちなんで一帯は桜の町とよばれるようになり、桜町の町名の由来にもなっている。
明治維新の激しい変革の中、外堀を埋める造成工事が行われたが、この地周辺は、魚住又市朗氏が請負、そのさい魚住氏は五十嵐家に伝わる四代目の桜の老大木を惜しみ現代の地に移しかえ保存された。
石碑等はこれを祈念して建てられた。 その後、台風で倒れ枯死して今ある桜は五代目の樹である。

この看板がなければ、気付かずに通り過ぎてました



祠の中には巳さんが祀られていました



兵庫県明石市にある神社です。
鳥居も祠もあるので神社で間違いないと思うのですが 由緒について調べても何も分かりませんでした。
由緒書かと思った石碑や看板も 白雲桜について書かれています。
白雲桜は 元は大きな枝垂れ桜で 当時江戸から見物に来るほど美しい桜であったと伝えられている。
第八代明石藩主・松平直明が この桜を詠んだという発句も残されている。
その桜にちなんで 江戸時代の中頃に「東土手ノ丁」と呼ばれていた通りが 「櫻丁」に変わり 現在の町名「桜町」に引き継がれてきている。
江戸時代を通して広く知られたこの桜は 代を重ね 明治44年 外堀を埋めて道路にする工事が行われたとき この地に移植され・・・・・
桜のことばっかりやないかい。
関連するものがないかな~と辺りを歩いていますと 平忠度塚がありました。
関係なかったのですが 平清盛の弟さんが一の谷の戦いで討たれ その亡骸を埋めた場所ということで紹介させていただきました。

全景

鳥居の扁額

石の祠 中に白蛇

桜のことばかり

こちらも白雲桜の説明

近くに 平忠度(清盛の弟)の塚がありました

全景

石柱

塚はきちんと掃除されています

手水舎
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