おとこやまはちまんぐう
男山八幡宮のお参りの記録一覧
姫路城の西、男山の中腹に鎮座。
男山麓には水尾神社があり、境内西端の石段を登っていきます。
この石段は登り148段あり、往復すると296段。
296=フクロウ(不苦労)ということで、不苦労を願いながら通るとよいそうです。
男山八幡宮にて参拝後、さらに山頂へと続く石段を少しばかり登ると姫路市配水池公園があり、とても見晴らしがよく、姫路城を眺めることができます。
<御由緒>
貞和元年(1345年)、赤松貞範が姫路城築城の際に、男山の山頂に姫路城鎮守社として創建。
京都の石清水男山八幡宮より勧請されました。
延宝7年(1679年)に松平直矩、そして正徳6年(1716年)には榊原政邦が社殿を寄進したとされています。
主祭神 応神天皇(誉田別命)
配祀神 息長帯姫尊(神宮皇后) 比売大神
男山山頂からの眺め
姫路城
石段の途中にある、幸運の三福かえる
宝かえる、無事かえる、若かえる
飛躍神馬
拝殿
本殿
飛躍神馬一対 阿形/飛龍号 吽形/雲竜号 狛馬❓
限定御朱印頂きました、社務所不在時は郵送で対応して頂けます
限定御朱印、頂きました。
阿形/飛龍号
吽形/雲竜号
【播磨國 古社巡り】
男山八幡宮(おとこやま・はちまんぐう)は兵庫県姫路市山野井町にある神社。播磨國の国府八幡宮(一国一社八幡宮)。祭神は八幡神・比売大神・大帯比売命。
創建は南北朝時代の1345年、赤松貞範が国府姫路の姫山に姫路城を築くにあたり、京都の石清水八幡宮より分霊し、城の天門(乾・北西)の男山に城の鎮守社を建立したのが始まり。その後、歴代姫路城主からの信仰も篤く、1679年に松平直矩が社殿を修復、1716年に榊原政邦が社殿を新築再建した。1987年に放火で社殿を焼失、1990年に本殿、幣殿、拝殿を再建した。
当社は、JR山陽本線・山陽新幹線・姫路駅の北2km弱の姫路城址の北西外側にある。男山という小丘(標高数十m)の山頂にある。境内地は山麓の水尾神社、中腹の千姫天満宮、山頂の男山八幡宮が共有しており、社務所も一つ。入口は二つで水尾神社だけが独立した入口がある。当社社殿のある山頂は、標高は高くないが姫路城がしっかり見える。社殿の裏手は姫路市の配水池公園として整備されており、景色がキレイな高台の公園として知られている。
今回は、播磨國の国府八幡宮であるため参拝することに。参拝時は休日の午前中で、自分以外にも参拝者がぱらぱらと訪れていた。
境内南端西寄りにある<一の鳥居>。社号標はないが、右後方の建物(社務所)の横断幕で当社名はすぐ分かる。(o^―^o)
参道を進むと、北西方向に進む階段が現れる。
階段を登り切ったところにある<千姫天満宮>。
参道はここで東向きに折り返す。
階段の途中からは、姫路城が見え始める。天守閣だけではなく、長い城壁が全体的に見える。
姫路城の天守閣アップ。美しい城。(o^―^o)
さらに階段は西向きに折り返し、下を見ると千姫天満宮の社殿が見える。
階段を登り切ったところで90度右を向くと現れる<二の鳥居>。
二の鳥居の左側にある馬のモニュメント。
同じものが右側にもある。<狛馬>かと思ったが、石碑には「飛翔神馬一対」とある。(^_^;)
階段途中から<拝殿>を望む。
階段を登り切って<拝殿>正面。
階段を登り切ったところの右側にある<手水盤>。
拝殿前左側の<狛犬>。
拝殿前右側の<狛犬>。
<拝殿>内部。
拝殿前から<二の鳥居>方向を望む。姫路市街が見える。
拝殿後方の<本殿>。裏の斜面の少し高い位置にある。
<社殿>全景。割と最近再建されたようできれい。
上の写真の撮影位置から見た<姫路城天守閣>。絵になる。(o^―^o)
参拝後、参道の階段を下って行くが、よく見ると参道の各所にいろんなモニュメントがあることに気付く。こちらのタイトルは「戯れる戎大黒」。
こちらのタイトルは「幸運の蛙」。
一の鳥居まで戻る。一の鳥居の背後には表札のない小さな社と、その横に高い古木が立っている。
境内東側の山裾に建っている<水尾神社>。
境内中央の山裾に建っている<社務所>。御朱印はこちら。(^▽^)/
なお、宮司さん不在の場合には封筒に初穂料を入れてポストに投函すると郵送対応していただける。感謝、感謝!
男山八幡宮
主祭神 応神天皇(第15代誉田別尊)
息長帯姫命(神功皇后)
比売大神
(多岐津姫尊・市杵島姫尊・多紀理姫尊)
創建 1345年(貞和元年)
御神徳 厄除開運・武運長久
安産祈願
特殊神事 厄神祭
(2月18日~19日)
観月祭(9月)
男山(海抜56メートル)から望む初日の出は、姫路城の天守閣附近から昇天し、正に絶景である。
自然林のこぼれ陽の中、石段を上りきり著名な石鳥居をくぐると目前に拝殿を仰ぐ。
当社は遠く貞和元年(一三四五)国家の守護神としてその名も高い京都の石清水男山八幡宮より勧請された。
文明元年(一四六九)大改築の記録も残されているが、正徳六年(一七一六)三月十五日 第三十三代城主、榊原政邦は姫路城の守護神として新社殿を寄進建立した。
石鳥居に刻まれた銘文は今も
政邦公の願いが偲ばれ、金箔壮厳な御神鏡も奉納し、家中諸士から石灯籠、絵馬が奉納され極めて壮観であったと言われている。
政邦公は雄徳山(男山)八景を詠み、大掛軸に和歌一巻を添えて奉納。
その内の一首、雄徳青松
「仰げばなお恵みは高し男山 峯にさかゆく松のみどりば」
は有名であり、その後、代々の城主の尊崇も厚く、特に能面掛け神事が明治初年まで長く斎行された。
昔から姫路城の姫山に対し夫婦山である男山に鎮座されたことから、崇敬者も歴代城主から庶民まで「男山厄神さん」と親しまれている。
現社殿は平成二年(一九九〇)九月再建。
~三社諸略記より~
~・~・~・~
姫路城の石垣 『官兵衛普請の石垣』と五輪塔
沢山の人々、ありとあらゆる石で作られた広大な石垣。
小さな祠がありますが、上山里の石垣補修で中から出てきた石は、播州の荒廃した寺社等からも集められたとのことです。
石垣を眺めながら、官兵衛公や殿様、お武家さまの御苦労や機知、偉大さを改めて感じました。
兵庫県姫路市山野井町
関西ローカルで姫路城🏯の撮影や中継は
姫路市配水池 こちらからが多いです
扇型になった城石垣は、姫路城だけだそうです。
修復石垣と五輪塔
五大にかたどった5種の部分からなる塔をいう。
五輪卒都婆(そとば(卒塔婆)ともいう。
五大とは、物質の構成要素である地、水、火、風、空のことであり、輪とはすべての徳を具備するという意味をもつ。
したがって五輪とは、地輪、水輪、火輪、風輪、空輪の総称である。それぞれ方、円、三角、半月、宝珠形につくられ、日本では平安時代のなかばごろから死者への供養塔あるいは墓標として用いられた。石造りが一般的であり、木、金属、泥などでつくられもした。ちなみに、人間の五体は五輪からなり(五輪五体)、大日如来と等しいとみなして、密教の修行者たちは五輪成身観という観法(禅定の一種)を修した。
後ろの石垣で、補修された部分のみ
切り出された揃いの石になります。
そこから出てきた当時の石を集めて祀ってあります。
千姫天満宮の次は男山八幡宮に参拝。この八幡宮は京都の男山にある石清水八幡宮と関係が深い八幡宮です。
男山八幡宮説明書き
石鳥居由緒書き
石鳥居
狛犬ではなく、馬です。向かって左側。
こちらも。向かって右側
鳥居の右側には文字が彫られます。
左側にも文字が彫られます。
本殿
狛犬
狛犬
姫路城が見えます。
鳩
幸運の蛙の三福かえる
幸運の蛙
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