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楽しみ方石海神社のお参りの記録一覧

石海神社
宮本武蔵誕生の地と言われる宮本に鎮座する神社
社内に武蔵関連の木版絵が多く飾られている。
こちらは事前宮本武蔵関連と知り、現地へ参りました。
社務所留守のため朱印を頂くことができなかった。



兵庫県太子町にある神社です。
ご祭神は舎人親王(とねりしんのう)です。
舎人親王は日本書紀の編集者です。
太子町宮本は 宮本武蔵生誕の地として有名です。
宝暦12年(1762年)に完成した地誌「播磨鑑」に 宮本武蔵が太子町宮本村で生まれたと記されています。
晩年の武蔵が著した「五輪書」に 自ら「生国播磨の武士・・・」としています。
残念なことに宝暦年間(1751~1764)の大火災にて村の大半が罹災し 武蔵に関する史料・古文書・系図等の大部分を焼失しました。
さらに 明治20年(1887)におきた再度の大火災により 総ての史料・古文書等が灰となってしまったそうです。
この火災に根っこだけが生き残った椋の木が存在し いまでも立派に枝を広げていました。
神社の前にある鳥居の社標(?)が逆向きについていて面白いと思いました。
鳥居の先には宮本公園があり 宮本武蔵生誕之地という碑がありました。



















「宮本武蔵生誕の地」ということで、近くまで来たのでお参りさせていただきました。
宮本武蔵生誕地としては現在3つ説があるようで、岡山県美作市説、兵庫県高砂市説、そしてこの石海神社がある兵庫県揖保郡太子町になります。
宝暦12年に書かれた地誌「播磨鑑」に、武蔵がこの太子町で生まれたと記されているそうで、さらに「五輪書」に武蔵自ら「生国播磨の武士」と記載していることが根拠となっているようです。
その他にも資料等があったようですが、二度の大火で村の大半が罹災し古文書が消失してしまったとのこと。
すぐ近くには武蔵生家跡として伝えられているところに「産湯乃井戸」が残されていました。
石海神社(せっかいじんじゃ)の創立年月日は不詳。
舎人親王(崇道尽敬皇帝)と皇后を御祭神としてお祀りしています。
舎人親王は『日本書紀』を編纂した方で、天皇にはなっていませんが、子が第47代淳仁天皇になられたことで「崇道尽敬皇帝」の追諡があったそうです。
石海神社の元の正式名は「崇道大明神崇道天王両社」のようです。
またこの地は「宮本」と呼ばれ、当社の「宮もと」からきているそうです。
拝殿にはたくさんの奉納絵馬があり、新しいものから古いものまで見ごたえ十分でした。

鳥居前には「宮本武蔵生誕之地」の碑があります


鳥居とその向こうには神門

神門扉の彫刻


拝殿



拝殿内を見上げると多くの奉納絵馬がありました






本殿

泥棒さん、これを見て心を改めてくれるかな。


七福神像はとても新しかったです


石海神社の摂社のようです

「逆さ椋」
樹齢500年とも言われており、二度の大火で燃え残った部分から少しずつ新しい芽が出て現在の姿になったそうです。


ここが宮本武蔵生家跡にある「産湯乃井戸」
現在は涸れてしまっています。


ちょうど秋祭りの宵宮の始まる前に参詣しました。境内、拝殿前には神輿と子供神輿が供えられており神事がなされていたようです。社務所が見当たらないので近くにおられた方に尋ねると、向かって左奥のお家が社務所とのこと。おそるおそる伺えば玄関に「社務所」という表札を掲げておられました。宵宮の神事前のお忙しいところだったのに、気安く御朱印を書いていただきました。この神社、日本最古の学者といわれる舎人親王が御祭神なのですが、もうひとつ、このそばが宮本武蔵の生誕地(のひとつ)と言われていることです。こちらも地域に今も愛され根付いている神社でした。


秋祭りの最中、当日夜が宵宮でした。

秋祭りの提灯が、かなり大きくて立派


この瓦の龍、実際にご覧いただきたい!瓦なのにこの精密さ。
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