ずいがんじ
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随願寺ではいただけません
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随願寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年08月13日(日)
参拝:2023年8月吉日
天台宗 増位山 随願寺
播磨西国三十三箇所観音霊場 第4番札所
播州薬師霊場 第15番札所
ご本尊 木造薬師如来座像
姫路市の増位山。
先日投稿した廣峯神社から東に直線距離で約1kmのところに位置しています。
山の中を歩いて向かうこともできるようなのですが、今回は車で移動させていただきました。
今回は「播州薬師霊場巡り」で立ち寄らせていただきました。
御朱印を書いていただいている間、縁側で冷たいお茶とお菓子まで出していただきました。
そしてご住職自らが納経帖をお持ちいただいたのですが、「墨が乾くまで少しお日様の力を借りよう」と縁側で乾かしている間、少しばかりお話させていただきました。
「播州薬師でお参りされる方は珍しいよ」とのことで、「専用の納経帖もどちらで入手?」と聞かれたので、太山寺で購入させていただいた旨のお話をすると、太山寺の前ご住職のお話や播州薬師霊場が始まった際のお話をお聞かせくださいました。
奈良時代の創建と伝えられる古刹ですが、聖徳太子が高麗僧慧便に『増位寺』として創建させたのが前身で、のちに行基が中興して現在の増位山に移されたとされています。
はじめ法相宗だったそうですが、天長10年(833年)に天台宗となります。
天正元年(1573年)三木の別所長治に攻められて焼失しますが、天正13年(1585年)秀吉により再興されます。
慶安2年(1649年)に姫路藩主榊原家の菩提寺となり、現在の本堂は寛文8年(1668年)、姫路城主榊原忠次の建立によるものだそうです。
本堂、開山堂、経堂、鐘楼、唐門、平安期作の毘沙門天立像は国指定重要文化財となっています。
播磨西国三十三箇所観音霊場 第4番札所
播州薬師霊場 第15番札所
ご本尊 木造薬師如来座像
姫路市の増位山。
先日投稿した廣峯神社から東に直線距離で約1kmのところに位置しています。
山の中を歩いて向かうこともできるようなのですが、今回は車で移動させていただきました。
今回は「播州薬師霊場巡り」で立ち寄らせていただきました。
御朱印を書いていただいている間、縁側で冷たいお茶とお菓子まで出していただきました。
そしてご住職自らが納経帖をお持ちいただいたのですが、「墨が乾くまで少しお日様の力を借りよう」と縁側で乾かしている間、少しばかりお話させていただきました。
「播州薬師でお参りされる方は珍しいよ」とのことで、「専用の納経帖もどちらで入手?」と聞かれたので、太山寺で購入させていただいた旨のお話をすると、太山寺の前ご住職のお話や播州薬師霊場が始まった際のお話をお聞かせくださいました。
奈良時代の創建と伝えられる古刹ですが、聖徳太子が高麗僧慧便に『増位寺』として創建させたのが前身で、のちに行基が中興して現在の増位山に移されたとされています。
はじめ法相宗だったそうですが、天長10年(833年)に天台宗となります。
天正元年(1573年)三木の別所長治に攻められて焼失しますが、天正13年(1585年)秀吉により再興されます。
慶安2年(1649年)に姫路藩主榊原家の菩提寺となり、現在の本堂は寛文8年(1668年)、姫路城主榊原忠次の建立によるものだそうです。
本堂、開山堂、経堂、鐘楼、唐門、平安期作の毘沙門天立像は国指定重要文化財となっています。
本堂
本堂内
天井画が見えていますが、写真を撮り忘れました😅
天井画が見えていますが、写真を撮り忘れました😅
本堂遠景
経堂
鐘楼
榊原忠次墓所唐門
榊原忠次が姫路城主となるまでの経緯や業績などの一代記が約3000文字に刻まれた碑があり、一字の誤りもなく読むと碑石のカメが動くという伝説があると書かれています。
この話、どこかで聞いたような・・・と思っていたら、明石の柿本神社にも同様にカメ(贔屓)の背に乗せられた同様の碑文がありました。
そちらは柿本人麻呂に関する伝記でしたが。
この話、どこかで聞いたような・・・と思っていたら、明石の柿本神社にも同様にカメ(贔屓)の背に乗せられた同様の碑文がありました。
そちらは柿本人麻呂に関する伝記でしたが。
約3000文字の碑文が刻まれた碑が写真中央に。
開山堂
すてき
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