ななつまつ(ななまつ)はちまんじんじゃ
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七松八幡神社へ。参道には尼崎厄神の幟がたっておりました。小さいながら参拝者もちらほら居られ地域に根づいている感じです。手水舎の龍が角がなくて可愛そう・・・😥尼崎市のHPの紹介に「戦国時代に七松で亡くなられた武士及び家族六百二十餘人の慰霊碑がある。」と掲載されてますがめちゃめちゃソフトに書かれています。実際は織田信長に反旗を翻した有岡城主・荒木村重が一人逃亡し、説得に行った重心も逃亡。残された家臣とその家族を信長が見せしめのために皆殺しにしたのがここ七松の地で、その慰霊碑になります。
【七松八幡神社】
御朱印は書置き対応のみ。厚紙で一枚でもしっかりしています。尼崎市内の神社マップも前回同様に頂けました。
尼崎市内には沢山の神社があり行きたい思いつつまだ行けてないところもあります。
書置き
四條畷神社の御朱印帳に拝受
よく見るとタオルのマスクでした😃
お稲荷さん
薬神社
忍たま縁の神社とのこと、絵馬がかわいい💕
歴史
第68代後一条天皇寛仁3年(1019)、刀伊の乱に際し、源頼信勅を奉じて之を討ち、凱旋のおり、天浪速の浦に至る。男山の方向に当り、瑞雲ありて、西方に靄靆す。頼信この地に至りて、之を視るに一松樹あり。其側に民家24戸、村名を問へば、葭原村と云ふ。其時一小童来りて、此地の民窮乏を訴へ、救助を求めて忽然として去る。頼信奇異を感じ之を奏し、水田73町と松樹6株を寄附す。彼の一松樹の畔にありし一社を改築し、之を七松八幡宮と称すと云ふ。七松の村名又此神社に依って起ると云ふ。
往時は、神宮寺と称する宮寺ありて、之が祭祀を掌りしが、明治初年神仏混淆廃止に際し、神宮寺を廃す。
名称 | 七松八幡神社 |
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読み方 | ななつまつ(ななまつ)はちまんじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
絵馬 | あり |
詳細情報
ご祭神 | 《主》応神天皇 |
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創建時代 | 1019年(寛仁3年) |
ご由緒 | 第68代後一条天皇寛仁3年(1019)、刀伊の乱に際し、源頼信勅を奉じて之を討ち、凱旋のおり、天浪速の浦に至る。男山の方向に当り、瑞雲ありて、西方に靄靆す。頼信この地に至りて、之を視るに一松樹あり。其側に民家24戸、村名を問へば、葭原村と云ふ。其時一小童来りて、此地の民窮乏を訴へ、救助を求めて忽然として去る。頼信奇異を感じ之を奏し、水田73町と松樹6株を寄附す。彼の一松樹の畔にありし一社を改築し、之を七松八幡宮と称すと云ふ。七松の村名又此神社に依って起ると云ふ。
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体験 | 御朱印アニメなどサブカル伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 七松八幡神社(ななまつはちまんじんじゃ)は、兵庫県尼崎市七松町にある神社である。八幡神を主祭神とする八幡宮の一つである。 |
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歴史 | 由緒[編集] 創建は後一条天皇の時代、寛仁3年(1019年)に源頼信が当地を訪れた際、一人の小童がこの地の農民の窮状を訴えたことに感じ、1本の松樹のもとにあった小祠を改装し、あわせて松の木を6本植えさせたことによるとされる。「七松」という地名の由来もこれに関係するという[1]。 ^ “七松八幡神社(尼崎市)”. 国立国会図書館レファレンス協同データベース. 2024年10月10日閲覧。 |
アクセス | アクセス[編集] JR西日本東海道本線立花駅から南東へ徒歩5分 阪神電気鉄道阪神本線尼崎駅から北東へ徒歩15分 尼崎市役所から西へ約5分 |
行事 | 年中行事[編集] 元旦祭(1月1日):大晦日と元旦に「福箸」と「御神酒」を授与 夏祭(8月第1日曜日):午後4時から子どもみこしの巡行 例大祭(10月19日):奉納行事が行われる |
引用元情報 | 「七松八幡神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%83%E6%9D%BE%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102407372 |
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