おばまはちまんじんじゃ
尾浜八幡神社のお参りの記録一覧
![大吉ちゃん](https://minimized.hotokami.jp/tm6hGv6BqgPhVC74MAvZpFyz8bTEF7bhtp-LbYVIJbM/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20250108-010218_3FIUOzZ7ym.jpg@webp)
御祭神 15代応神天皇
尼崎市尾浜町に鎮座しているが創建年代は
不詳。その昔、荒木村重滅亡時の戦禍で
消失との事。
昭和20年の戦火以前は境内に八幡造りの社殿と大日堂もあり、神仏混清の時代が窺える。又、摂津名所図絵にもあるが、大日堂境内に名月姫の菩提所もあったとか
(由緒抜粋)
辺りがその昔 鎮守の杜と言われた理由が
分かるような場所で、神主様や地元の皆さんが長年守ってこられたのだろうなと感じつつ尾浜町の地を後にしました。
尼崎市は大小の寺社仏閣があり、寺町などは必見‼️ですヨ。
機会があれば是非❗️ 吉日
![穏暖](https://minimized.hotokami.jp/7c5LIluuvy8dUBkDI6XjJW331pf-abO9FAAN2RS_X7Q/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20210111-101943_Il0IveANwO.jpg@webp)
尼崎、尾浜神社へ参拝。
由緒は不明のようですが、名月姫伝説の墓所が残っています。なので、平清盛の時代でしょうか。
今は静かな時間が流れています。
鳥居
拝殿
名月姫墓所
資さんうどんの肉ごぼううどん。ごちそうさまでした。
![ねむのき](https://minimized.hotokami.jp/mvSKm3LZ0VxxJztuDB2t1dQQb5XbWuv7Qe_I-vT2N84/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20200912-225734_9npKNKnpUt.jpg@webp)
【尾浜八幡神社】
初めての参拝。
忍たまの聖地の一つ?とか、名月姫の伝説?とか、忍たまはアニメがある、程度しか知らないのですが、なかなか歴史ある神社のようです。
御本殿の修繕工事をされるようで、心持ち多めにお賽銭をしました。
場所は地図を見るとJR尼崎駅とJR立花駅の真ん中あたり。
JR尼崎駅からバスで行けるようですが大きな駅のためバス停がどこにあるか分からず、平坦な道を歩いて行く事に。
片道約25分ほどで到着。暑かった。
今年初、こちらで蚊の襲撃がありカユい思いをしました。
直書き
四條畷神社の御朱印帳に拝受
お稲荷さん
絵馬
神社の外側にお地蔵さんがおられました
![きどっち](https://minimized.hotokami.jp/a1QLesNXHNgmUxv-rGbGfVSd9BUMAjXlLrsWMBmOxik/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20210304-013216_lnNjeEzpzq.jpg@webp)
尼崎市の庄下川沿いに鎮座しています。
現在、社殿の修繕工事中で拝殿まわりは足場が組まれていました。
御祭神 応神天皇
御由緒(境内の案内板より)
創立年代は不詳であるが、恐らく尾浜の歴史と共に古くから存在し、天正年間の荒木村重滅亡時の戦火にあったのではないかと考えられる。
昭和20年の戦災以前は境内に八幡造りの社殿と古風な大日堂があって神仏混淆時代の名残りを留めており、真夏でも涼しい鎮守の森であった。
神社境内東北の一隅にある宝筐院塔が明月姫の墓、又は塔と云われているもので、摂陽群談に「国春塔尾濱村大日堂境内にあり或は亦明月姫の塔とも云えり・・・」とあり、又摂津名所図絵にも「明月姫の塔尾濱村大日堂にあり、此寺は明月姫の菩堤所也」とある。
御由緒に書かれている「名月姫」について、名月姫物語伝説が尼崎市神社あんないのHPに記載がありましたので転載させていただきます。
神崎に、刑部左衛門国春(きょうぶざえもんくにはる)という人が住んでいた。国春には子どもがいなかったので、名月の夜、月に子宝の授からんことを祈ったところ、女の子が生まれた。そこで名月姫と名付けた。
彼女の美しさは成長するにつれて増し、うわさは京の都まで届いたという。
ところが能勢(大阪府)に住む武士が名月姫に一目惚れして、彼女を奪い去ってしまった。
悲しみにくれた母はやがて亡くなり、父は巡礼の旅に出た。当時は平清盛の時代で、清盛は日宋貿易を進めるために、大輪田泊(神戸の港)の修築にとりかかっていた。しかし、工事は難航し、はかどらなかったので、30人の人柱を立てることにした。関所を設け、人柱にする人々を捕らえた。そのなかに国春がいた。
人づてにそのことを聞いた名月姫は、清盛に父の身代わりになることを申し出た。
しかし国春も娘の名月姫は助けたいと思い、お互いかばい合っている時に、平清盛の寵童 松王丸が国春親子の恩愛の情に感じ、また多数の人命を犠牲となすを悲しみ請うて自分一人が人柱となって海へ身を投じた。
この松王丸の死によって国春と名月姫は助かり、再会することができた。
ハッピーエンドみたいな話になっていますが、実に悲しい話です。
一人の犠牲により多くの人を救った・・・アルマゲドンを想像してしまいました😅
御朱印
鳥居は境内東側、庄下川川からになります
拝殿
拝殿内
手水舎
境内社 末廣稲荷社
尾浜宝篋印塔
名月姫の墓と云われています
![AKI](https://minimized.hotokami.jp/QrJetDoS-_CHIk8--bVQzR3GYvkZqRwbcGZcYy0fFFg/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20220910-001815_Igl4RzLWXZ.jpg@webp)
船詰神社の次は尾浜八幡神社に参拝に行って来ました。境内はあまり広くないですが車は駐車できます。本殿は修復工事中でした。パッと見は社務所は無人なのかなと思いましたがインターホンがあったので押してみたら神職さんが出てこられましたので御朱印を頂く事が出来ました。
由緒書き
入り口の鳥居
本殿
狛犬
狛犬
来年の干支の虎の大絵馬。
可愛い顔の虎🐯でした。
稲荷社
尾浜宝篋印塔の説明文
尾浜宝篋印塔と言う名月姫の墓所と言う伝説があります。
名月姫遺蹟石碑
挟み紙は特殊詐欺撲滅の言うな、渡すな、信じるなの3つの言葉が書いてありました。
手水社
明月姫の墓がある「尾浜八幡神社」
庄下川沿い、新名月橋の横にある。
境内駐車スペースあり。
鳥居は神社東側から。鳥居を潜って左手にお手水、正面が拝殿。拝殿左手に授与所、右手に末社。
境内右の北側に名月姫の墓といわれる宝篋印塔。
それほど広くない境内。
名月姫は平安時代後期の領主の姫で、名月のように美しいことから付けられた美女。
尾浜では、名月姫に一目惚れした能瀬に住む家包は姫を勝手に連れて帰ってしまう。姫の父は悲観に暮れ探し回ることになるが、当時清盛が福原遷都のため人柱を探しており父は捕まってしまう。その事を夢枕で姫と家包が知り、兵庫に駆けつけ親子の対面を果たし、尾浜に戻って寺を建立。姫は家包や父の菩提を弔ったとかなんとか。
名月姫伝承はここ尾浜と大阪の能勢にも伝わっているが微妙にストーリーが違う。
能瀬の方は勝手に連れて帰らずちゃんと嫁入りしている。あと、清盛が出てくる。
兵庫県のおすすめ🎌
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