みぬめじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方敏馬神社のお参りの記録一覧

1日に参拝すると金色で御朱印を書いて頂けます✨️✨️✨️
素晴らしい神社です!大通りに面した場所で、交通量が多いにも関わらず ずっと居たいと思ってしまいました🤭
駐車場は境内の社務所前に2台分あります🚗
御朱印は500円✨️

御朱印















神戸港発祥の地、万葉ゆかりの地
御本殿のある高台は昔は岬であり、古い文献から神戸最初の港であると言われる
美しい海浜で、古来より人々の憩いの土地であったと考えられる
奈良時代に編纂された最古の和歌集の
万葉集には敏馬を詠んだ多くの歌がある
御祭神(素盞嗚命、天照大神、熊野座大神)
御神徳(航海守護、厄災解除、悪縁解除)
【敏馬神社⛩️御由緒抜粋】

御朱印二種類

境内には名だたる歌人が詠んだ歌が・・

立派な御本殿

風鈴の音色が涼しげな手水舎

大鳥居の真下の石柱

手水舎

敏馬神社⛩️大鳥居⛩️

白玉稲荷

御本殿

境内(松尾神社⛩️) 酒造業繁栄守護

神戸は灘区にある敏馬神社へお参りしてきました。阪神電車の岩屋駅から徒歩5分ほどのところに鎮座しています。御祭神は素盞嗚命、天照皇大神、熊野座大神です。歴史は古く、万葉集に敏馬を詠んだ多くの歌があり、境内には柿本人麻呂と田辺福麻呂の万葉歌碑もあります。

鳥居です。

拝殿へ向かう階段です。

手水舎です。

拝殿です。

境内社 后の宮です。

境内社 松尾神社です。

境内社 水神社 奥の宮です。

境内社 白玉稲荷神社です。

田村福麻呂の万葉歌碑です。

御朱印です。御朱印帳に書き入れしていただきました。

交通量が多い国道2号線沿いに鎮座。
敏馬と書いて「みぬめ」と読むのですが、どうしてもこの読み方が覚えられず・・・😅
この敏馬神社から海までは500mほどの距離がありますが、埋め立てられる前は境内のすぐ南側に海岸線があったようです。
その海が「敏馬の浦」と呼ばれ、白砂青松の美しい海浜だったそうです。
さらに良質な海藻が育つ海でもあり、大和時代には都があった大和の人達が九州や朝鮮へ渡る際、ここで一泊したり、新羅から来朝した人を生田社で醸した酒をここで給い穢れを祓ってもてなしたそうです。
また柿本人麻呂や大伴旅人、田辺福麻呂など多くの歌人もこの地を訪れ、多くの歌が詠まれています。
<御祭神>
素盞嗚命 天照皇大神 熊野座大神
下記の御由緒にはもともとの御祭神は「美奴売神」だったようですが、江戸時代の頃素盞嗚命信仰が盛んになったことにより、御祭神が変わったのではないかとのこと。
<御由緒>~パンプレットより~
当社の旧記は慶長年間(1600年頃)兵火にかかり焼失して伝わらないが、諸文献によって考察することができる。
奈良時代の摂津風土記(713年)に『美奴売とは神の名で、神功皇后が新羅へご出兵の時、神前松原(豊中)で神集いをされた処、能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神様が来られ、我が山にある杉の木を伐り船を造りて新羅へ行かれるなら幸いするところありと教えられた。
その通りなされると大成功を収めた。
お還りの時、この地で船が動かなくなったので、占い問うと神の御心なりと。 故に美奴売の神様をこの地に祀り、船も献上した。』とある。
これ当社の縁起にして、神功皇后摂政元年(201年)の御創建となる。
また平安時代の延喜式(927年)の神名帳に生田・長田神社と並び汶売(みぬめ)神社が記されている。
延喜式に記載される神社を式内社といい、最も古い由緒を誇る格式のある神社である。


私が参拝した日の一週間後に夏祭が予定されていたようです

この階段を登ると拝殿です。
社務所は階段前の左手にあります。

手水舎

拝殿

本殿

水神社

后の宮

松尾神社

田辺福麻呂の万葉歌碑




閼伽井

白玉稲荷神社




三宮から2kmほど東側に位置する敏馬神社。
交通量の多い国道2号線沿いですが、車で前を通るとつい通り過ぎてしまうほど、こんなところにあったんだ!と以前思ったこともありました。
鳥居をくぐると駐車場となっているのですが、基本的には契約車両用です。
参拝者は鳥居の左手、社務所前に2台しか停められませんが、社務所に一声かければ空いているスペースに停めさせてくれるかもしれません。
今回2年ぶりの参拝となりましたが、この日は10月1日。
ついたちには金文字で御朱印を書き入れていただけることを初めて知りました。
御祭神
素盞嗚尊 天照皇大神 熊野座大神
御神徳
航海守護、災厄解除、悪縁解除
縁切りの神様として古くから信仰されているとのことで、この神社の前を花嫁行列は避けて通っていたそうです。
それは創建当初、弥都波能売大神(みずはのめのおおかみ)を御祭神として祀られていたそうで、この女神が嫉妬するからという云われがあったようです。
平安時代の延喜式神名帳には、生田神社・長田神社と並んで汶売神社(みぬめじんじゃ)が記されていることから、創建から少なくとも1300年以上ということになりますかね。
なお兵庫県神社庁HPには、「神功皇后摂政元年(201)の創建」とも記載がありました。

通常御朱印
金文字バージョン

限定御朱印

鳥居
まっすぐ階段を進むと拝殿、鳥居左手には社務所があります

拝殿

拝殿内



本殿

手水舎

水神社

「奥の宮」は水神社社殿後方にありますが、写真は撮っていません

后の宮


松尾神社

拝殿前から鳥居を見下ろす

白玉稲荷神社

私が参拝した1週間後の10月7日、8日には秋の例大祭が予定されていました

神戸に立寄る用事があったので、久しぶりに参拝。
前回は家から神戸までの40kmウォーキングの際、疲れまくった足を引き摺って参拝したのであまり記憶に残って居らず。
ただ、階段が割とある変な名前の神社という感じでした。
今回改めて参拝。
そもそも敏馬神社(みぬめ)は読めないでしょう。
昔はこの地に敏馬港があったとされます。
昭和初期に阪神電車のトンネル化の土で海岸が埋め立てられるまでは、かなりの賑わいを見せた海岸だったそうですね。
阪神淡路大震災もありましたので、当時を偲ぶ風景や建物は殆ど無くなったそうです。
社殿かっこいいですね。
万葉集ゆかりの地らしく、割と多めの詠が看板に書かれていました。
最寄り駅は阪神の岩屋駅ですが、阪急の王子公園駅からでも10数分で行けます。
今回は三ノ宮から歩いたので35分ぐらいでした。

社殿正面

拝殿横
かっこいい

鳥居から見る風景
それこそ昔はこの先は綺麗な海が見えたんやろね

鳥居

社務所近くにあった祠
岩礁?

由緒書き

后の宮
神功皇后を祀る

お稲荷さん

神戸神社巡り⑤六甲山を見ながら自転車を走らせ、時折「六甲おろし」を口ずさんでいました。少し汗ばみながら国道2号線に面した敏馬神社に到着。中々の難読神社、古く、汶売、美奴売、三犬女、見宿女等の文字で書かれることもあったとのこと。本来の祭神はミヌメ神(美奴売神・敏馬神)であった。ミヌメ神はその神名から水神の弥都波能売神と同神とみられ、現在では境内社の水神社に弥都波能売神が祀られている。現在の主祭神は素戔嗚尊。又、神功皇后を祀った后の宮も境内に鎮座しています。市内最古の神社とあって、なかなか見ごたえのある神社でした。

鳥居

社号標

寛政甲寅(寛政六年、1794)年奉納の灯籠



天保六年(1835)奉納の灯籠

多分、阪神淡路大地震で枯れた湧水はここだろう

急な石段

寛政甲寅年(寛政六年、1794)奉納の灯籠


万延元年(1860)奉納の灯籠

拝殿

本殿


手水舎

境内社 松尾神社


境内社 后の宮(きさいのみや)



境内社 水神社 奥の宮


狛犬







境内社 白玉稲荷大神

敏馬と書いて「みぬめ」と読みます。
国道2号線沿い、三宮から少し東に進んだところに鎮座しています。
昔この辺りは神社のすぐ前は海で、社殿のある高台は岬になっていたそうです。
そして両側は入り江になっていて、奈良時代には「敏馬の浦」「敏馬の泊」と呼ばれる神戸最古の港だったとか。
そのため多くの歌人もここを訪れ、多くの歌を残しているようです。
奈良時代の摂津風土記(713年)に
『美奴売(みぬめ)とは神の名で、神功皇后が新羅へ御出兵の時、神前松原(豊中)で神集いをされた処、能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神様が来られ、我が山にある杉の木を伐り船を造りて新羅へ行かれるなら幸いするところありと教えられた。その通りなされると大成功を収めた。お還りの時、この地で船が動かなくなったので、占い問うと神の御心なりと。故に美奴売の神様をこの地に祀り、船も献上した』
とあり、これがこの敏馬神社の縁起として、神功皇后摂政元年(201年)の創建となるそうです。
また創建当初の御祭神は上記のとおり美奴売の神でしたが、貞享3年(1686年)の文書には敏馬三社として、素盞嗚尊を主祭神、天照皇大神と熊野坐神を配祀神とされたとか。
美奴売の神(弥津波能賣神)は、水の神様として境内の水神社に祀られています。
一体何があったんでしょうね・・・
なお社殿は昭和20年の戦災により焼失したため昭和36年に再建、その後阪神淡路大震災で倒壊しましたが復元修復されたそうです。

鳥居


拝殿はこの階段の先です

階段を登り切ると拝殿が見えました!

拝殿内部


拝殿の右側(東側)に飛び石があり、思わず誘われるようにその方向へ。
って、間隔広すぎ~😅
飛び石というよりは、誘導する目的のほうが強いのかも。

飛び石の先には、万葉歌碑がありました。
万葉集(巻六) 田辺福麻呂

歌碑の内容の説明です

本殿

手水舎

水神社
祭神:弥津波能賣神
水を司る神様で、創建時の主祭神と伝承されているそうです。

水神社と奥の宮の説明
奥の宮?どこにあるんだろう?と思ってたんですが、帰ってから調べてみたら水神社の社のすぐ後ろにあるそうです。

后の宮
祭神:神功皇后


松尾神社
祭神:金山彦神 大山祇神 船玉神
酒の神様です

この地を詠んだ歌が境内に掲げられていたので、いくつか紹介します
右:妹と来し 敏馬の埼を 帰るさに 独り見れば 涙ぐましも(大伴旅人・奈良時代・万葉集)
左:よそにだに みぬめの浦の あま人や ただいたづらに 袖ぬらすらむ(藤原師光・平安時代)

右1:夜もふかく みぬめの浦を 過ぎぬれば 磯うつ波の 音のみぞ聞く(片桐貞芳・江戸時代)
右2:見奴女とは たがいひそめし 名なるらん かくたぐひなき 浦のながめを(松平忠名・江戸時代)
左1:いわし曳く 網をはじめて 敏馬かな(呉春・江戸時代)
左2:広澤は いかに敏馬の 月清し(大魯・江戸時代)

右:ますかがみ 今やみぬめの 浦ならむ くもるもひさし 五月雨の空(頓阿法師・南北朝時代)
中:浪の上を こぎ行く舟の 跡もなき 人を見ぬめの うらぞ悲しき(賀茂真淵・江戸時代)
左:ますかがみ みぬめの浦の 沖津洲に 舟人さわぐ 月や出づらむ(香川景樹・江戸時代)

敏馬の泊、敏馬浦の変遷


階段を降りて駐車場にも万葉歌碑が。
柿本人麻呂の歌でした。
玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島の崎に船近づきぬ

神社略記

白玉稲荷神社


閼伽井
現在は水が涸れてしまったようです

社務所前にも小さな手水鉢がありました。


通常御朱印
直書きしていただけます

限定御朱印
書き置きになります

参拝しました。秋祭りは中止との事でした。コロナの影響でしょうね。直書き御朱印と、秋バージョンの書き置きを頂きました😉専用駐車場🅿️あります。

直書き御朱印です。

秋バージョンの書き置き御朱印です😉

鳥居です。

駐車場の横にあります。

手水舎。

本殿です。

絵馬。


兵庫県神戸市・敏馬神社
国道43号線沿いにある「みぬめ」神社。奈良時代に創建されたとされる、歴史ある神社です。
奈良時代は神社のあるこの高台は海に突き出た岬だったそうで、岬の東側が「敏馬泊」と呼ばれており、遣唐使など大陸へ向かう船が大阪を出航して最初に立ち寄るのがこの場所でした。これからの長い船旅に向け、ここで多くの和歌が詠まれたことから、万葉ゆかりの地として境内には柿本人麻呂などの万葉碑が建てられていました。
航海安全が祈願されただけでなく、女神が祀られていることから「縁切り神社」の役割もあるそうで、思い返せば絵馬に縁切りを願掛けされている方もいましたね。古の兵庫を感じる歴史ある神社でした。












最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ































































































15
0