みぬめじんじゃ
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楽しみ方敏馬神社のお参りの記録一覧
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交通量が多い国道2号線沿いに鎮座。
敏馬と書いて「みぬめ」と読むのですが、どうしてもこの読み方が覚えられず・・・😅
この敏馬神社から海までは500mほどの距離がありますが、埋め立てられる前は境内のすぐ南側に海岸線があったようです。
その海が「敏馬の浦」と呼ばれ、白砂青松の美しい海浜だったそうです。
さらに良質な海藻が育つ海でもあり、大和時代には都があった大和の人達が九州や朝鮮へ渡る際、ここで一泊したり、新羅から来朝した人を生田社で醸した酒をここで給い穢れを祓ってもてなしたそうです。
また柿本人麻呂や大伴旅人、田辺福麻呂など多くの歌人もこの地を訪れ、多くの歌が詠まれています。
<御祭神>
素盞嗚命 天照皇大神 熊野座大神
下記の御由緒にはもともとの御祭神は「美奴売神」だったようですが、江戸時代の頃素盞嗚命信仰が盛んになったことにより、御祭神が変わったのではないかとのこと。
<御由緒>~パンプレットより~
当社の旧記は慶長年間(1600年頃)兵火にかかり焼失して伝わらないが、諸文献によって考察することができる。
奈良時代の摂津風土記(713年)に『美奴売とは神の名で、神功皇后が新羅へご出兵の時、神前松原(豊中)で神集いをされた処、能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神様が来られ、我が山にある杉の木を伐り船を造りて新羅へ行かれるなら幸いするところありと教えられた。
その通りなされると大成功を収めた。
お還りの時、この地で船が動かなくなったので、占い問うと神の御心なりと。 故に美奴売の神様をこの地に祀り、船も献上した。』とある。
これ当社の縁起にして、神功皇后摂政元年(201年)の御創建となる。
また平安時代の延喜式(927年)の神名帳に生田・長田神社と並び汶売(みぬめ)神社が記されている。
延喜式に記載される神社を式内社といい、最も古い由緒を誇る格式のある神社である。

三宮から2kmほど東側に位置する敏馬神社。
交通量の多い国道2号線沿いですが、車で前を通るとつい通り過ぎてしまうほど、こんなところにあったんだ!と以前思ったこともありました。
鳥居をくぐると駐車場となっているのですが、基本的には契約車両用です。
参拝者は鳥居の左手、社務所前に2台しか停められませんが、社務所に一声かければ空いているスペースに停めさせてくれるかもしれません。
今回2年ぶりの参拝となりましたが、この日は10月1日。
ついたちには金文字で御朱印を書き入れていただけることを初めて知りました。
御祭神
素盞嗚尊 天照皇大神 熊野座大神
御神徳
航海守護、災厄解除、悪縁解除
縁切りの神様として古くから信仰されているとのことで、この神社の前を花嫁行列は避けて通っていたそうです。
それは創建当初、弥都波能売大神(みずはのめのおおかみ)を御祭神として祀られていたそうで、この女神が嫉妬するからという云われがあったようです。
平安時代の延喜式神名帳には、生田神社・長田神社と並んで汶売神社(みぬめじんじゃ)が記されていることから、創建から少なくとも1300年以上ということになりますかね。
なお兵庫県神社庁HPには、「神功皇后摂政元年(201)の創建」とも記載がありました。

神戸に立寄る用事があったので、久しぶりに参拝。
前回は家から神戸までの40kmウォーキングの際、疲れまくった足を引き摺って参拝したのであまり記憶に残って居らず。
ただ、階段が割とある変な名前の神社という感じでした。
今回改めて参拝。
そもそも敏馬神社(みぬめ)は読めないでしょう。
昔はこの地に敏馬港があったとされます。
昭和初期に阪神電車のトンネル化の土で海岸が埋め立てられるまでは、かなりの賑わいを見せた海岸だったそうですね。
阪神淡路大震災もありましたので、当時を偲ぶ風景や建物は殆ど無くなったそうです。
社殿かっこいいですね。
万葉集ゆかりの地らしく、割と多めの詠が看板に書かれていました。
最寄り駅は阪神の岩屋駅ですが、阪急の王子公園駅からでも10数分で行けます。
今回は三ノ宮から歩いたので35分ぐらいでした。


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