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楽しみ方能福寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
平家一門祈願寺「能福寺」
R2より南のお寺がやたら多い一角。
駐車場は、入り口入って正面の兵庫大仏の右側奥。
入り口を入り、右手に御手水と記念講堂。左手に鐘楼、瀧善三郎正信顕彰碑、平清盛墓所「平相國廟」。正面のでっかいのが兵庫大仏。
兵庫大仏の右側を通ると本堂「月輪影殿」、本坊。
他にもジョセフヒコの英文碑とか北風正造君顕彰碑とかもある。
歴史は非常に古いが、そんなことより圧倒的に兵庫大仏が持って行ってる気がする。日本三大仏の一つ。
大仏を見にか複数の参拝者がいた。私は清盛公の御墓まいり目的で久しぶりの参拝。
下から兵庫大仏
本堂
平相國廟
入り口から境内

新西国33所めぐりで参拝。23番札所。
平清盛の福原京遷都計画で、平家一門の祈願寺に定められた事で栄えた。
神戸に大仏があった事を初めて知った。案外地元と人も知らないようだ。
日本三大大仏は自称かと思ったが、公認だった。
つくづく三大なにがしは、言ったもん勝ちだと思ったが、三大大仏と言われていたのは初代の大仏。
初代は先の大戦中に金属供出で溶かされてしまい、現在は二代目。
誰もが納得の三大大仏、奈良の大仏の東大寺管長、神奈川の鎌倉大仏の高徳院貫主が開眼法要に臨席されたとある。(1991年)
平清盛の墓もある。

兵庫大仏


平相國廟

月輪影殿(本堂)

月輪影殿(本堂)

地下鉄海岸線「中央市場駅」下車徒歩10分。福原三十三観音霊場第32番札所の天台宗寺院。ご本尊は阿弥陀如来です。
一説には、805年最澄により能福護国禅寺として創建された日本最初の密教教化霊場と云われています。
また、平清盛とも縁があり、福原京遷都計画に伴い平家一門の祈願寺として大伽藍が作られたそうです。
ここの寺院には「兵庫大仏」があり、1891年に豪商の寄進により建立されました。
戦前に時金属類回収令で解体されましたが、鎌倉と奈良とともに日本の三大仏の一つに数えられていました。

「兵庫大仏」の盧舎那仏像です。高さは約15メートル。1991年に再建されました。







#能福寺 #兵庫大仏
本堂のご本尊はアミダ三尊。屋外に「兵庫大仏」と呼ばれるビルシャナ仏を祀る。
大仏の台座が「ビルシャナ殿」というお堂になっていて、そこのご本尊が十一面観音。いまひとつはっきりしないが、写真を見比べる限り、この像が神戸十三佛霊場の札所としての札所本尊でもあるようだ。
また兵庫七福神の札所本尊としてビシャモン天を祀っているらしいが、完全秘仏で、どのお堂にいるのかも書かれていない。
兵庫大仏は奈良の大仏や鎌倉大仏と共に、日本三大仏に数えられる仏像の1躰。かつて三大仏の最後の1躰は現在の京都市にあったが、江戸時代に落雷で焼け、その座は明治時代に新たに建立された兵庫大仏に移った。しかし初代の兵庫大仏は太平洋戦争のとき金属が不足したため溶かされてしまったそうだ。
よって、平成になって再建された現在の兵庫大仏は2代目にあたるのだが、HPによればその材料の一部に、解体された初代の兵庫大仏が使われているそうだ。
現在は、三大仏の最後の1躰とされる仏像が全国に数躰ある状態らしい。僕は正法寺(岐阜県岐阜市)の岐阜大仏と、大仏寺(富山県高岡市)の高岡大仏を拝んだことがある。
が、兵庫大仏のところに、三大仏の最後の1躰は依然として兵庫大仏であると、東大寺と高徳院の住職が認めた、みたいな趣旨のことが書かれていた。正直、驚いた。

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