ひょうごすみよしじんじゃ
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楽しみ方兵庫住吉神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年07月03日(木) 20時51分23秒
参拝:2025年6月吉日
神戸市兵庫区にある神社です。
こちらも兵庫運河のすぐそばにあります。
神社の社殿はあまり目立たないのですが 隣接する清盛塚が目を引きます。
この日は参拝者はおらず 静かにお参りできました。
住吉神社ですから 大阪の住吉大社からの勧請ですね。
社殿は比較的新しく 阪神淡路大震災で被災したものを再建されたものでしょう。
本殿でのお参りをすませ 境内社の橋本稲荷神社でもお参りをすませ 隣接する清盛塚に行きます。
十三重塔があり 清盛の墓所とも伝わりますが 能福寺にも墓所がありましたので 不明です。
平敦盛公の兄である平経正公の墓所と言われる琵琶塚もあります。
ネット情報です。
主祭神は上筒男命 配祀神は中筒男命・底筒男命・神功皇后です。
神戸港の西へ続く海岸線 和田岬の手前 兵庫の津は古来風浪を避ける場所が無く 大風浪時には船を避難させることが出来ず 地元では難儀をしていた。
明治10年(1877)新川が完成 船の通運が全く安全になったので 地元商家住民の熱望に依り 海の守護神と仰ぎ奉る住吉大神を守護神に勧請せんとする熱意が実り 浪速の住吉大社より御勧請することとなり 地元の人々の敷地奉献の至誠により約700坪の境内地を造成し 豪壮な住吉造の社殿を竣工し 明治11年(1878)6月3日 遷座奉祝祭を斎行。
大東亜戦の戦火により 社殿以下付属舎悉く罹災し 畏くも御霊璽は和田神社御神霊と共に和田神社神域内にお遷ししていたが 昭和39年(1964) 社殿を復興御遷座。
平成10年(1998)は御創祀120年に当たり 奉祝に大石鳥居の奉建あり これを機に附属舎 境域整備等の奉賛事業を完了 平成11年(1999)奉祝祭斎行。
こちらも兵庫運河のすぐそばにあります。
神社の社殿はあまり目立たないのですが 隣接する清盛塚が目を引きます。
この日は参拝者はおらず 静かにお参りできました。
住吉神社ですから 大阪の住吉大社からの勧請ですね。
社殿は比較的新しく 阪神淡路大震災で被災したものを再建されたものでしょう。
本殿でのお参りをすませ 境内社の橋本稲荷神社でもお参りをすませ 隣接する清盛塚に行きます。
十三重塔があり 清盛の墓所とも伝わりますが 能福寺にも墓所がありましたので 不明です。
平敦盛公の兄である平経正公の墓所と言われる琵琶塚もあります。
ネット情報です。
主祭神は上筒男命 配祀神は中筒男命・底筒男命・神功皇后です。
神戸港の西へ続く海岸線 和田岬の手前 兵庫の津は古来風浪を避ける場所が無く 大風浪時には船を避難させることが出来ず 地元では難儀をしていた。
明治10年(1877)新川が完成 船の通運が全く安全になったので 地元商家住民の熱望に依り 海の守護神と仰ぎ奉る住吉大神を守護神に勧請せんとする熱意が実り 浪速の住吉大社より御勧請することとなり 地元の人々の敷地奉献の至誠により約700坪の境内地を造成し 豪壮な住吉造の社殿を竣工し 明治11年(1878)6月3日 遷座奉祝祭を斎行。
大東亜戦の戦火により 社殿以下付属舎悉く罹災し 畏くも御霊璽は和田神社御神霊と共に和田神社神域内にお遷ししていたが 昭和39年(1964) 社殿を復興御遷座。
平成10年(1998)は御創祀120年に当たり 奉祝に大石鳥居の奉建あり これを機に附属舎 境域整備等の奉賛事業を完了 平成11年(1999)奉祝祭斎行。

正面鳥居

御鎮座150周年記念事業について

社号の石柱

手水舎

本殿

扁額

内陣

由緒書

境内社 橋本稲荷神社(宇賀魂大神)



清盛塚

十三重塔

十三重塔について

十三重塔について

平相国菩提所 八棟寺無縁如来塔 の石柱

史跡の石柱

琵琶塚

琵琶塚の由緒

変な岩 なんじゃこりゃ
すてき
投稿者のプロフィール

くるくるきよせん2995投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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