みついしじんじゃ
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楽しみ方三石神社のお参りの記録一覧

長田ブラブラ、今日の最後は三石神社。和田神社と隣接していますが、関係はなさそう。
元々は神功皇后が占いをした地だそうで、それが西暦200年。とんでもなく古いですね。神功皇后上陸の地の石碑もあります。
鮮やかな御朱印いただきました。

御朱印いただきました。

鳥居

社殿


神功皇后上陸地の碑

先日投稿させてもらった神戸市和田神社の直ぐ横に鎮座されている 三石神社⛩️です
🇯🇵日本🇯🇵柔道界の最強兄弟、阿部一二三
阿部詩でも有名になりましたね^ ^
602年推古天皇が禊をしたところを
祓殿塚と言い、玉座にした石を三石と言う
天平時代行基が和田泊を興した時、神功皇后の神霊が現れ、船の往来を護ると言われたので、祓殿塚の旧跡に祠を建て、神号を往来神、雪気神とした
その後1593年、雪気神を三石大神と改称
(由緒書き抜粋)
御祭神〜神功皇后、天照大神、素戔嗚大神
御鎮座〜神戸市兵庫区和田宮通に3-2-51
社格 〜村社

三石神社⛩️鳥居

御本殿

摂社 三好稲荷神社

三石の遺跡と歴史書

神戸市兵庫区にある神社です。
せっかく和田岬まで来たのですから 今年2回目ですがお参りさせていただきました。
こちらは御朱印がかっこいいんです。
宮司様が時間をかけて ていねいに書いてくださいます。
本殿には 柔道日本代表の阿部兄妹の写真と絵馬が飾られています。
2回目の投稿になりますので 由緒などについては割愛させていただきます。

正面石鳥居

神功(じんぐう)皇后像と幼き応神天皇を抱いた武内宿禰像

本殿

内陣

三好稲荷神社・東洋大明神

社務所横の壁の絵 ヨットですよね

三石神社の盃状穴

説明

「安産ご神徳」由来の碑

説明

手水鉢と水除・井戸枠

説明

神戸大空襲焼夷弾直撃の石灯籠

説明

和田神社の後に参拝。
こじんまりとしていて、静かで落ち着いた。
武内宿禰命に抱き抱えられた応神天皇の銅像が印象的やった。
神功皇后上陸の地との由来が、神話との繋がりを感じられて良かった。
また晴れた日にお詣りしたい。

鳥居と神功皇后上陸の碑

拝殿

ご本殿 裏から

境内社 三好稲荷神社

神功皇后と応神天皇を抱えた武内宿禰命

兵庫県神戸市にある神社です。
和田神社のすぐ近くにあります。
和田神社ほど大きくはありませんが こちらも由緒正しい歴史のある神社です。
祭神は神功皇后 天照皇大神 盞嗚大神です。
本殿はとても立派で 屋根の形状がとても素敵です。
皇族ゆかりの神社ですから 菊の御紋が輝いています。
神功皇后像は他では見たことがありませんでした。
境内には三石の遺跡がありました。玉座の石があった場所ということだそうですが その玉座が残っていたらと残念に思いました。
ネット情報です。
三石神社の鎮座地である和田岬は 神功(じんぐう)皇后摂政元年(200年) 凱旋の帰途上陸され 三つの石を立てて神占いをした結果 廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に祀らしめた儀式の地である。
602年 推古天皇が禊(みそぎ)をしたところを祓殿塚(はらいどののつか)といい 玉座にした石を三石という。
天平時代 行基が和田泊を興した時 神功皇后の神霊が現れ 船の往来を守るといわれたので 祓殿塚の旧跡に祠を立て神号を往来神・雪気神(ゆきけのかみ)とした。
文禄2年(1593年) 雪気神を三石大神と改称。
さすが兵庫の津 和田の泊があった場所です。
平安時代より以前からの歴史があることに誇りを感じました。

正面石鳥居

手水舎

社務所の裏に本殿

神功皇后像

本殿拝所



柔道の阿部兄妹も参拝 お二人は和田岬の出身ですから

本殿内陣

末社 三好稲荷神社


三石の遺跡

由来

神戸市兵庫区の和田岬の近く、和田神社のすぐお隣に鎮座されています。
御祭神
神功皇后 天照皇大神 素盞嗚大神
神功皇后を祀られているとおり、下記のように神功皇后にまつわる御由緒となっています。
201年に神功皇后が三韓征伐から凱旋の際、ここ和田岬に上陸され、三つの石を立てて神占いをした結果、廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に祀らしめた儀式の地である。
神功皇后が応神天皇をご懐妊の際に当地の三つの石を身に付けて安産を祈願したと伝えられており、その故事から安産の御利益があるとされています。
また応神天皇(八幡大神)の母親であることから、厄除開運などの御利益もあるそうです。
そして何よりこちらは2020東京オリンピックで兄弟そろって柔道金メダルを獲得した阿部一二三、詩兄妹の御実家が近くにあります。
小さい頃から毎年お参りに来られていたそうで、オリンピックが行われた年も兄妹でお参りに来られたそうで、見事優勝!
もちろんお二人の実力と努力があるからこその優勝だったのでしょうが、神功皇后の勝負運の御利益もあったんでしょうね。
宮司様にお聞きしたところ、来年、帰省されたらまたお参りに来ていただけるかもとのことでした。

鳥居
鳥居の向こうには茅の輪もありました

拝殿


神功皇后像と幼き応神天皇を抱きた武内宿禰像

社務所に阿部一二三、詩兄妹の写真と絵馬が飾られていました


三好稲荷神社・東洋大明神

三ツ石の遺跡





神戸神社巡り⑥和田岬駅から地上に出るとすぐに幟が目に入ります。小さな神社ですが、式外社と歴史があります。

鳥居

社号標


灯籠


手水舎

由緒書 あまりに細かく小さい字なので、帰宅してから読みました





狛犬


拝殿

本殿


境内社 三好稲荷神社 東洋大明神



百度石


三石の遺跡


和田神社のすぐ南側に鎮座されています。
2020東京オリンピックで金メダルを取られた柔道の阿部一二三、詩兄妹のご実家はこのご近所だということで、今年の正月にも初詣に来られたようです。
お祝いの横断幕が境内横に掛けられていました。
御由緒
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
神功皇后摂政元年(201年)、海より凱旋の帰途、和田岬に上陸し三ツ石を立てて神占いをした結果、廣田(西宮市)・生田・長田(神戸市)・住吉(大阪市)の神々をその地に祀らしめた儀式の場である。 後、推古天皇(602年)がこの地に来られ、禊をされたので、祓殿塚といい、玉座された石を三石という。
天平年間(720年頃)僧・行基が務古の水門である大輪田泊を築港した時、神功皇后の神霊が現れ、往来の船を守らんと誨えたため、祓殿の旧跡に祠を建てて大輪田泊まりの鎮護とし、神号を往来神・雪気神とした。
貞観元年(859年)3月、従五位下の神階を授けられる。
当社も兵乱により荒廃したが、文禄2年(1593年)兵庫津の代官・南條新左衛門尉が社殿を再建し、神功皇后の三つの石を建てて占った故事によって、雪気神を三石大神と改め現在に至っている。
神社の場所は、もとは現在地より南500mばかりの地にあって元三石といった。
享保7年(1722年)、兵庫津の人・井上八郎右衛門、江戸幕府の許可を得て、和田岬の地を開墾して今和田新田村の一村を設けるに当り、村端の美池に社殿を奉遷し開墾の成功と村中の平安を祈願した。
文化4年(1807年)6月、社殿破損に伴い、地元の井上八郎右衛門、村民と協力して社殿を村の中央に奉遷し、社殿も改築した。 この時更に天照皇大神及び、素戔嗚大神を配祀して産土神と崇め、農事の豊穣も祈願した。
明治39年(1906年)11月、時世の推移に伴い、境内地は三菱神戸造船所設立に伴う山陽鉄道和田支線の敷設のため、官の裁可により現在の地に遷座した。
以下、省略
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
神戸市兵庫区和田宮通3-2-51

鳥居

神功皇后像と幼き応神天皇を抱きた武内宿禰像

拝殿

拝殿内


ご由緒

末社 三好稲荷神社・東洋大明神

三ツ石の遺跡



手水鉢

手水鉢の説明

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