かざんいんぼだいじ|真言宗花山院派
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【花山院菩提寺】真言宗花山院派本山
山号)東光山
本尊)薬師瑠璃光如来
創建) 伝・651年 開山)伝・法道仙人
札所)西国33所番外札所
西国薬師49番霊場第21番
* Wikipedia等からの歴史‼︎👀
開祖(法道仙人)は、薬師如来の化身とされる牛頭天皇と共に紫雲に乗り渡って来て、薬師如来の威光で諸病厄滅の
霊験を示すのに最適であると、この地を選んだと伝わります。遠くインドから紫雲に乗って云々の真偽は別にしても、こうした伝承のもとになる地域信仰の中心人物がいた可能性は否定出来ない。法道仙人が41歳で亡くなった後の992年頃、花山法皇がこの地で14年間、隠棲として過ごしたと伝わります
女人禁制であったこの地には、法皇を慕う女官11名が居たが、入山は叶うことは無かった。この辺りの地名である"尼寺‘‘(にんじ)は、11名の女官が、尼となり麓に住んだ事に因む様です。
法皇を慕っていた女官の墓は、麓の集落に残っています。そして女官達が法皇に向け弾いたと云われる琴弾坂があり石碑が建っています。🧐

【東光山(とうこうざん)花山院(かざんいん)菩提寺(ぼだいじ)】
本尊: 薬師瑠璃光如来
宗派: 真言宗花山院派
開山:法道仙人
菩提寺は、兵庫県三田市尼寺、東光山の南側の標高395メートル辺りに位置します。別称は花山院で、通称、花山院菩提寺と呼ばれています。このお寺も、天竺(インド)から雲に乗って日本に飛来したとされる法道仙人により創建されたと伝わっています。
992(正暦3)年頃に花山法皇が自ら復興した西国三十三所観音霊場を巡礼して播州清水寺に登った際、東方の山上が光り輝くのを見てその地を訪ねました。それが当地で、以来法皇は当寺を隠棲の地とし、晩年に帰京するまでの約14年間をここで過ごしたといわれています。
西国三十三所観音霊場(番外札所)で参拝。
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兵庫県三田市にあるお寺です。
花山法皇御廟があることで有名です。
ずいぶん前に西国三十三所巡りを吉願していたのですが 番外のこちら花山院菩提寺さんの御朱印を拝受できていなかったので 2度目のお参りをさせていただきました。
こちらは参拝者が少ないわけではないのですが 静かにお参りできるお寺です。
境内はとてもきれいに掃き清められ 熊手で文様を描かれています。
花山法皇御廟所で手を合わせる方はいらっしゃいませんでしたが 花山法皇がいらっしゃらなければ 西国三十三所巡礼は存在しなかったとも言えるはずです しっかり御廟所で手を合わせました。
薬師堂も本堂も内陣をしっかり見ることができ 仏様も拝顔できるのが嬉しいです。
御朱印を拝受する際 ご住職がお祈りをしてくださいました。
参拝者各人にこのようにお祈りをしてくださるご住職は初めてです。有難いことです。
有馬富士を眺める展望所には 昔懐かしい有料望遠鏡があります。
本当に懐かしい。昭和の時代には この望遠鏡を観光地各地で見かけたものです。
心すっきり穏やかに お寺を後にすることができました。
駐車場では参拝者を乗せてきたタクシーの運転手さんに声をかけられました。
「お気をつけてお帰りください」何と素敵な!客でもないのに。
明日からいい人になろう と思いました。
ネット情報です。
山号は東光山 院号は山院 宗旨宗派は真言宗花山院派 寺格は本山 ご本尊は薬師瑠璃光如来 創建年は伝・白雉2年(651年) 開山は伝・法道仙人です。
開山とされる法道仙人は 天竺から紫雲に乗って飛来したとされる伝説的な人物である。
法道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており 「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても こうした伝承の元になり地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。
正暦3年(992年)頃に花山法皇が自ら復興した西国三十三所観音霊場を巡礼して播磨清水寺に登った際 東方の山上が光り輝くのを見てその地を訪ねた それが当地である。
以来法皇は当寺を隠棲の地とし 晩年に帰京するまでの約14年間をここで過ごしたとされる。
これに因んで元は紫雲山観音寺の名であった当寺は その山号を東光山とするようになったという。
その後 源頼光の寄進によって堂塔伽藍が整えられた。
当寺を含む麓の集落は尼寺(にんじ)と呼ばれるが これは法皇付きの女官11名が法皇寵愛の弘徽殿の女御藤原忯子の位牌を奉じて訪ねて来たものの 女人禁制ゆえに登山を許されなかったため 尼となって麓に住み着いたことに因む。




バスツアー最後に行ったお寺です。
上にはタクシーで行きました🚕
992年頃、三十三の観音霊場を巡礼した花山法皇が、播磨清水寺に登った際に東方の山上が光り輝くのを見て訪ねて隠棲の地としました。
その後晩年に帰京するまでの約14年間を過ごしました。
これに因んで元は紫雲山観音寺の名であった当山は東光山と呼ばれるようになりました。
当山を含む麓の集落は尼寺と呼ばれています。
これは法皇付きの女官11名が法皇寵愛の弘徽殿の女御藤原忯子の位牌を奉じて訪ねて来たものの、女人禁制ゆえに登山を許されなかったため、尼となって麓に住み着きました。
住職は厳しい方で、お参りが最初です。(当たり前ですが…)
私も記帳時に聞かれ、質問されました🤣
素直に答えたら、優しく色々教えてくださいました😊
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