かざんいんぼだいじ|真言宗花山院派
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楽しみ方花山院菩提寺のお参りの記録一覧

兵庫御朱印さんぽ①
西國三十三霊場番外の菩提寺へ参拝🙏
🚗で山道をひたすら登り辿り着きました😅
観音様と弘法大師にご挨拶しまし😊御朱印書いて頂き御朱印を返してもらう前にお祈り🙏をして下さいましたありがたく頂戴しました☺️

仁王門

扁額

阿形

吽形

手水舎

瑠璃光殿

瑠璃光殿

瑠璃光殿

弘法大師像

鐘楼

西國三十三霊場御朱印500円

西国三十三所観音霊場には、"番外札所"とされているお寺さんが3カ寺あります。花山院菩提寺は、そのひとつ。花山天皇(968〜1008 第65代天皇)が
隠遁し、その生涯を閉じたお寺さんです。
大河ドラマ「光る君へ」で藤原氏の策略にはまり
退位していく様子が分かりやすく描かれていました
花山院は、西国三十三所観音霊場を中興されたとも言われています。
西国三十三所観音霊場 番外札所
山号:東光山
宗派:真言宗花山院派
ご本尊:薬師瑠璃光如来
創建:伝·651年(白雉2年)
開山:伝·法道仙人

【山門】

【薬師堂】

【本堂 観音堂】

【幸福の七地蔵】

境内

有馬富士が望めます。


兵庫県三田市にあるお寺です。
花山法皇御廟があることで有名です。
ずいぶん前に西国三十三所巡りを吉願していたのですが 番外のこちら花山院菩提寺さんの御朱印を拝受できていなかったので 2度目のお参りをさせていただきました。
こちらは参拝者が少ないわけではないのですが 静かにお参りできるお寺です。
境内はとてもきれいに掃き清められ 熊手で文様を描かれています。
花山法皇御廟所で手を合わせる方はいらっしゃいませんでしたが 花山法皇がいらっしゃらなければ 西国三十三所巡礼は存在しなかったとも言えるはずです しっかり御廟所で手を合わせました。
薬師堂も本堂も内陣をしっかり見ることができ 仏様も拝顔できるのが嬉しいです。
御朱印を拝受する際 ご住職がお祈りをしてくださいました。
参拝者各人にこのようにお祈りをしてくださるご住職は初めてです。有難いことです。
有馬富士を眺める展望所には 昔懐かしい有料望遠鏡があります。
本当に懐かしい。昭和の時代には この望遠鏡を観光地各地で見かけたものです。
心すっきり穏やかに お寺を後にすることができました。
駐車場では参拝者を乗せてきたタクシーの運転手さんに声をかけられました。
「お気をつけてお帰りください」何と素敵な!客でもないのに。
明日からいい人になろう と思いました。
ネット情報です。
山号は東光山 院号は山院 宗旨宗派は真言宗花山院派 寺格は本山 ご本尊は薬師瑠璃光如来 創建年は伝・白雉2年(651年) 開山は伝・法道仙人です。
開山とされる法道仙人は 天竺から紫雲に乗って飛来したとされる伝説的な人物である。
法道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており 「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても こうした伝承の元になり地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。
正暦3年(992年)頃に花山法皇が自ら復興した西国三十三所観音霊場を巡礼して播磨清水寺に登った際 東方の山上が光り輝くのを見てその地を訪ねた それが当地である。
以来法皇は当寺を隠棲の地とし 晩年に帰京するまでの約14年間をここで過ごしたとされる。
これに因んで元は紫雲山観音寺の名であった当寺は その山号を東光山とするようになったという。
その後 源頼光の寄進によって堂塔伽藍が整えられた。
当寺を含む麓の集落は尼寺(にんじ)と呼ばれるが これは法皇付きの女官11名が法皇寵愛の弘徽殿の女御藤原忯子の位牌を奉じて訪ねて来たものの 女人禁制ゆえに登山を許されなかったため 尼となって麓に住み着いたことに因む。

仁王門



山門をくぐってすぐ

石段を上がります

とてもきれいに掃き清められた境内

花山法皇御廟所







幸福の七地蔵

賢者地蔵

結び地蔵

子供地蔵

母(妻)地蔵

父(夫)地蔵

祖母(姑)地蔵

祖父(舅)地蔵

薬師堂

扁額

内陣

弁天堂

花山法皇殿(本堂)


扁額

内陣

さらに奥


修行大師像

荒神堂

扁額

内陣

中門

鐘楼


有馬富士を眺める展望所

不動堂

内陣


納経所

納経について

三田廻り、次は花山院菩提寺へ。
ここも西国三十三観音のひとつ。久々の参拝です。
駐車場は広いので安心。山門をくぐり境内へ入ります。名の通り花山法皇の菩提寺です。
お堂は静かな佇まい。時間がゆっくりとなってきます。
御朱印のために寺務所にいくと、素晴らしい景色が広がります。空気が澄んでます。

山門。

三国三十三観音。


不動堂。

一番奥にある寺務所。御朱印や土産はここです。

花山法皇殿。

薬師堂。

花山法皇御廟所。

七地蔵。

荒神堂。

展望所より。

参拝の記録です。


薬師堂の限定切り絵御朱印

薬師堂の限定切り絵御朱印


山門

山門

本堂

本堂

薬師堂



花山院御廟

花山院御廟




薬師堂


西国三十三所番外札所です。
花山法皇が晩年14年間過ごされたとのことです。

【本堂】

【薬師堂】
西国薬師四十九霊場第21番札所です。

【幸福の七地蔵】


いただいた御朱印です。

バスツアー最後に行ったお寺です。
上にはタクシーで行きました🚕
992年頃、三十三の観音霊場を巡礼した花山法皇が、播磨清水寺に登った際に東方の山上が光り輝くのを見て訪ねて隠棲の地としました。
その後晩年に帰京するまでの約14年間を過ごしました。
これに因んで元は紫雲山観音寺の名であった当山は東光山と呼ばれるようになりました。
当山を含む麓の集落は尼寺と呼ばれています。
これは法皇付きの女官11名が法皇寵愛の弘徽殿の女御藤原忯子の位牌を奉じて訪ねて来たものの、女人禁制ゆえに登山を許されなかったため、尼となって麓に住み着きました。
住職は厳しい方で、お参りが最初です。(当たり前ですが…)
私も記帳時に聞かれ、質問されました🤣
素直に答えたら、優しく色々教えてくださいました😊

























2024年も早2月、今回はあまり行ったことがない三田周辺へ。
まずは山沿いの花山院菩提寺へ。花山法皇の即位時にお仕えしていた女官たちが法皇を慕い尼僧となって麓に住み着いた(HPより抜粋)ことに由来するようです。また地名は「尼寺」ですが実際に尼寺があったわけではないそうです。西国巡礼の開祖とされる花山法皇ゆかりの地として西国巡礼番外地となってもいます。
山寺と思ってましたが意外に建物も整っていて(失礼な)、暖かい日で穏やかな時間となりました。納経所前からの景色は三田の街を見下ろす見事な景色でした。

御朱印

山門。

山門潜って境内へ。

手前に花山法皇殿、奥に薬師堂、本堂が2つあります。

薬師堂側から。

花山法皇御廟所。

この横、右手が納経所。

見事な景色です。

荒神堂

記念塔とありますが詳細不明。



西国三十三所観音霊場 番外札所
山号:東光山
宗派:真言宗花山院派
御本尊:薬師瑠璃光如来
創建:伝 651年(白雉2年)
開山:伝 法道仙人
西国三十三所観音霊場中興の祖と言われている花山院。天皇としての在位は短いのですが、そのあたりのいきさつを知ることができるかもしれないと、今年の大河ドラマに期待しています。😊
さらに、徳道上人が成し得なかった"西国三十三所観音霊場"の話を聞き、中山寺に赴き"宝印"を石櫃から取り出し、札所を作っていったいきさつに触れていただけたら嬉しいのですが、それは、はい、難しいですよね。😅

山門

花山法皇殿

薬師堂



いただいた御朱印です。

今回ご縁いただき、ご住職(山本三洋貫主)が書かれた本を購入しました。耳の痛いお話があるだろうという事が予想できます。が、それでも"読みたい"気持が優先しました。怖いもの知らずのところは若い頃から
変わりません。ただ、"まぁ、ゆっくり読んでみたら?"と、年齢を重ねることで出てきた寛容な別の自分もいてなんだか可笑しい時があります。🤭
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