ぐぜいじ|曹洞宗|清瀧山
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弘誓寺の御朱印・御朱印帳
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電話番号 | 0795-94-0039 |
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曹洞宗 清瀧山 弘誓寺
樹齢800年といわれる大銀杏で有名な弘誓寺です。
昨年の夏に一度お参りさせていただきましたが、その頃は当然葉も青々としていたのですが、境内の中央にどっしりと根を下ろした大銀杏の迫力に圧倒されました。
これは絶対紅葉の季節に見に来なければ!と思っていたものの昨年の秋は都合がつかず、今年ようやくリベンジができました。
月曜日だったこともあって参拝者はそこまで多くなかったですが、臨時の駐車場も設けられ、境内には一眼レフのカメラを持った方が多く見受けられました。
孝徳天皇白雉年間(650-654)、法道仙人によって開かれた天地山極楽寺が始まりとされ、「槙が峰・千軒坊」と呼ばれるほど多くの僧坊が建っていたそうです。
ところが、寿永3年(1184年)、平家を追っていた源義経が火を放ったため全山焼失してしまいました。
御本尊は滝に難を逃れて無事だったそうで、文明5年(1473年)に伽藍が再建され、曹洞宗清滝山弘誓寺と名を改めたとのことです。
御本尊 宇土観世音菩薩
御詠歌
誓いにて 今彼の岸に浮かぶ身は 弘誓の舟に帆は槙が峰
夏に見た姿とはまったく異なっていました
駐車場から境内へと向かう参道を歩いていると、もう大銀杏が見えてきます
山門
本堂
平和堂
延命地蔵尊もかなり大きいのですが、大銀杏の前では小さく見えます
多宝塔
曹洞宗 清瀧山 弘誓寺
「宇土の観音さん」と親しまれている、丹波篠山市宇土の曹洞宗古刹です。
病気封じのご利益があるそうで、毎月17日に月例祭が行われているようです。
また境内中央には大銀杏があり、とても存在感があったのですが、秋になると黄金色に輝いてさらに大きく見えるのではないかと思います。
この辺りは紅葉もとても綺麗に色付くようなので、紅葉の赤と銀杏の黄色、これは見逃せませんね。
御朱印は庫裏のインターホンを押すとご対応していただけます。
御朱印には銀杏の葉の絵がささやかに添えられています。
縁起は弘誓寺HPより転載させていただきます。
『当山は、今より約1360余年前、孝徳天皇白雉年間(650-654)に法道仙人の草創せられた古刹である。 はじめは天地山極楽寺と称し、ご本尊は仙人一刀三礼の御作、面貌円満威徳殊勝の聖観世音菩薩である。当時は、 槇が峰一帯に僧坊が軒をつらね、今に「槇が峰千軒坊」と伝えられる仏法繁盛の霊地であった。
ところが寿永三年(1184)源平の兵乱に際し、源氏の大将源義経が、平氏を追って槇が峰にさしかかった時、 千軒坊に平氏の伏兵ありと見て、夜間火を放たしめた。折しも風烈しく、全山一時に焼尽したが、 ご本尊は無事滝の水底に難を逃れられた。その後、近村のある人が、観世音菩薩の霊夢により危うい命を助かり、 夢のおつげに従って、滝の水底より菩薩をさがしあてた。これがまぎれもなく極楽寺のご本尊であったので、 直ちに庵を結んで安座し奉った。
その後、中興開山亀翁松鶴大阿闇梨によって中興され、また、文明五年(1473)玉山良石禅師が来られ、 伝法開山として伽藍を再建し、清滝山弘誓寺と改めた。
こうして干軒の道場も世の有為転変にならって事変をまぬがれなかったが、 ご本尊宇土観世音菩薩のご霊験は時とともにいよいよあらたかであり、 菩薩の威神力を仰ぐ人々はこの地に参詣して今も絶えることがない、まことに霊験顕著の観音霊場である。』
参道入り口
この左側に駐車場があります。
苔がとても綺麗で、まっすぐ伸びた石段の参道は、何かの映画で使えそうな感じです
山門
安政5年(1858年)の建立
山門の扁額
本堂
手前には延命地蔵
結構大きいです
本堂彫刻
本堂左斜め前方から
木造阿弥陀如来坐像の説明
本堂ではなく、本堂向かって左側の平和堂(位牌堂)に安置されています
参道の中央には大銀杏
高さ約20m、樹齢は300年ぐらいだとか。
秋には黄金色に輝くこの大銀杏をまた見に来たいと思います
山門境内側(右)
千手観音様が祀られています
山門境内側(左)
大日如来様が祀られています
多宝塔
御本尊は大日如来坐像
山門前から見た多宝塔
その右側に見えているのが平和堂
鐘楼
御朱印
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御朱印(2枚)
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