まこまないじんじゃ
真駒内神社北海道 黒岩駅
授与所:10:00~15:00
7月連休『真駒内神社』参拝
こちらは札幌ではなく、せたな町にある真駒内神社です。アイヌ語『マクオマナイ』は、山の後ろ(奥)にある川の意だそう。こちらの真駒内も、近くには真駒内ダムに繋がる真駒内川が流れています。
『熱田神社』『玉川神社』『會津白虎隊遥拝所』の御朱印が拝領できます。宮司様は兼務社に出ているとのことで、書置きをいただきました。ここから熱田神社までのエリアをカバーするのは大変そう…
八雲まで行く元気はもう無いし、玉川神社の白虎隊遥拝所は発見できなかったので、真駒内神社と玉川神社の御朱印だけいただきました。
《御祭神》
八幡大神、大山祇大神、熊野大神
御朱印は四種〜右から
真駒内神社、熱田神社、玉川神社、
會津白虎隊遥拝所
十二支がお出迎え
本殿
扁額
鳥居と扁額の組み合わせもいい感じ✨
一の鳥居
両サイドの石灯籠がカッコイイ
素敵な石灯籠
狛犬さん
後には神楽殿
手水舎〜石をくり抜いた手水鉢が素敵
石灯籠
一の鳥居
社号標からここにまでは、かなりの急勾配の坂を上がります
社号標
明治26年、瀬棚村会津の高野弥平が、払下げを受けた土地の開墾のため竹原秀吉を入植させるが、熊の出没するような危険な土地であったので、開拓の安全を祈念して3百坪を寄付して小祠を建立、大山祇大神と熊野大神を祀ったことに始まる。翌27年、徳島県入植者の坂井良蔵・片山悦次郎らが阿波国那賀郡福井村大宮八幡宮より御分霊を戴き入地し、小祠に合祀した。明治36年、神社の創立を道庁に出願し、同39年に許可され8月30日に新たに社殿が建立され、地名をとり真駒内神社と改称した。その後、入植者も増加し市街地から神社が遠く不便であったので、遥拝所を設けたりしていたが、社殿の老朽化も進み狭くなっていた為、遥拝所を設けた市街地地区の保安林に昭和9年に移転し、新しい社殿が建立された。その間、昭和5年6月9日には村社に列せられた。移住者の多くが4国出身ということもあって、徳島の風習がかなり多く取り入れられ、明治末期から大正にかけて、いまでは見られない祭礼行事があった。当時、例祭には、唐破風造り、4本柱、土台まわりに丈夫な角材を用い、丸太を切って鉄輪をはめた車を4つつけた「だんじり」や「花山」をつくり、10数人で曳き、神社から馬場と称する道をねり歩いたという。
名称 | 真駒内神社 |
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読み方 | まこまないじんじゃ |
参拝時間 | 授与所:10:00~15:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
本殿 | 神明造 |
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ご由緒 | 明治26年、瀬棚村会津の高野弥平が、払下げを受けた土地の開墾のため竹原秀吉を入植させるが、熊の出没するような危険な土地であったので、開拓の安全を祈念して3百坪を寄付して小祠を建立、大山祇大神と熊野大神を祀ったことに始まる。翌27年、徳島県入植者の坂井良蔵・片山悦次郎らが阿波国那賀郡福井村大宮八幡宮より御分霊を戴き入地し、小祠に合祀した。明治36年、神社の創立を道庁に出願し、同39年に許可され8月30日に新たに社殿が建立され、地名をとり真駒内神社と改称した。その後、入植者も増加し市街地から神社が遠く不便であったので、遥拝所を設けたりしていたが、社殿の老朽化も進み狭くなっていた為、遥拝所を設けた市街地地区の保安林に昭和9年に移転し、新しい社殿が建立された。その間、昭和5年6月9日には村社に列せられた。移住者の多くが4国出身ということもあって、徳島の風習がかなり多く取り入れられ、明治末期から大正にかけて、いまでは見られない祭礼行事があった。当時、例祭には、唐破風造り、4本柱、土台まわりに丈夫な角材を用い、丸太を切って鉄輪をはめた車を4つつけた「だんじり」や「花山」をつくり、10数人で曳き、神社から馬場と称する道をねり歩いたという。 |
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