とよひらじんじゃ
豊平神社の御由緒・歴史
ご祭神 | ●上毛野田道命(かみつけのたみちのみこと) 開拓の神、交通守護神、農業・漁業・諸産業の神・武運長久。 日本武尊以来の悲願として蝦夷征伐に向かった武将、伊峙水門で戦死、死後墓から大蛇が出て死傷者を出したことから怨霊神として恐れられたという言い伝えがある。 本社の主祭神であり、青森県よりの移住者阿部仁太郎によって郷里の猿賀神社から合祀された。 ●大山衹神(おおやまつみのみこと) 山林の神。 大山を司る神、山の神の総元締の山神、金運の神。 入植当時は豊平地区一帯が森林で、毎年多くの木材を切り出していたことから祭られた。 ●倉稲魂神(うがのみたまのみこと) 衣・食・住の神、商売繁盛の神、五穀豊穣の神。 田畑の神で、田畑を開墾するにあたって祭られた。 | |
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創建時代 | 明治17年 | |
ご由緒 | 明治4年に小祀を設けて奉斎し、明治17年7月14日に社殿竣工。
当神社は上毛野田道命・大山衹命・倉稲魂命の三柱を奉斎する。
古典(日本書紀)によれば田道命は「仁徳天皇五十五年(西暦三六七年)勅命を受けて北夷の反乱平定のため東北地方に兵を進めたが、戦利あらず、伊寺の水門で戦死なさる。後に大蛇の姿となって平定した」とある。又社伝によれば「五十六年蝦夷の毒手に敗死なされ、従者その屍を仮葬し、賊を捨て帰京す。蝦夷その墳墓をあばくに、たちまち遺体大蛇と化 して毒気を吐発す。土人大いにおそれて鹿角郡猿賀野に祀って産土神となす。その後、二百年の星霜を経て、欽明天皇二十八年(五六七年)に大洪水あり。この時、田道命の神霊、白馬にまたがり漂木を舟として流れにしたがい、当地に移遷し給う、当地住民神霊を迎え奉て古木(鍋木)の洞穴に祀る」と、云われている。
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歴史 | 歴史[編集] 1871年(明治4年) – 阿部仁太郎が上毛野田道命の祠を建てる[1]。 1884年(明治17年) – 社殿を新築[1]。 1889年(明治22年) – 公認神社となる[1]。 1919年(大正8年)1月 – 村社となる[1]。 1943年(昭和18年) – 郷社となる[1]。 ^ a b c d e 札幌市教育委員会文化資料室 1986. | |
引用元情報 | 「豊平神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%B1%8A%E5%B9%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=97185468 |
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