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るべしべじんじゃ

留辺蘂神社の御由緒・歴史
公式北海道 留辺蘂駅

ご祭神天照皇大神、大山津見大神、布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯御魂大神
創建時代明治45年
ご由緒

【留辺蘂神社】
明治45年7月30日明治天皇崩御在らせられた際、市街地有志の斉藤喜一郎外7名が謀り現在明治天皇の碑の箇所に遥拝所を設け、市街住民一同御遺徳を仰ぎ奉り遥かに哀悼の微意を表わしてきた。爾来此の地を記念し小祠を建て天照皇大神の神霊を奉斎し、年次例祭を執行した。大正15年留辺蘂神社として創立の許可を受ける。昭和2年に村社に列せられ昭和21年宗教法人となる。

【聖徳太子神社】留辺蘂神社の境内社
現存している昭和五十七年の聖徳太子神徳讃仰之碑より、明治40年~同43年(西暦1907年〜同1910年)頃に留辺蘂町で太子講が設立され、聖徳太子を祀る標柱(神社の前身)を建立し、聖徳太子の神徳を仰ぎ毎年例祭を斎行して来たことがわかる。
かつて存在した太子講という組織は実質すでに無く、当時を語り継ぐ者は居ない。
現存する聖徳太子神社の社殿が具体的にいつ創建されたかは不明であるが、御幣に「昭和5年6月15日奉納」と記されているため約94年程前には社殿が存在していたと推測される。(令和6年現在)
それ以前の太子講設立から20年余りという空白の期間は、社殿がどのような形状をしていたのか不明である。

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