るべしべじんじゃ
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楽しみ方留辺蘂神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2024年05月04日(土) 20時23分36秒
参拝:2024年5月吉日
事前に参拝連絡して、先に温根湯神社で参拝をしてから伺いました。
宮司さんから直接境内案内を頂き、時間があればと言う事で神道業法の「禊」を拝見し大変貴重な体験をさせて頂きました。
そして、月参りの5月の御朱印(今月は十二支の5番目の辰)を拝受しました。
宮司さんから直接境内案内を頂き、時間があればと言う事で神道業法の「禊」を拝見し大変貴重な体験をさせて頂きました。
そして、月参りの5月の御朱印(今月は十二支の5番目の辰)を拝受しました。

月参りの十二支の5番目辰の御朱印拝受しました。す

宮司さんが行った、神道業法の「禊」を身近で拝見ができて貴重な体験ができました。

留辺蘂神社の参拝時の拝殿の様子になります。

留辺蘂神社手水舎です。
20数年振りに、禰宜さんの奮闘により復活した手水舎です。
使用時に蛇口🚰をひねって、使用後は締め忘れに注意して感謝して使用しましょう。
境内に現れるエゾリスの「煉獄さん」「甘露寺さん」に見立てた置物が鯉のぼり🎏と一緒にいます。
20数年振りに、禰宜さんの奮闘により復活した手水舎です。
使用時に蛇口🚰をひねって、使用後は締め忘れに注意して感謝して使用しましょう。
境内に現れるエゾリスの「煉獄さん」「甘露寺さん」に見立てた置物が鯉のぼり🎏と一緒にいます。

留辺蘂神社の神輿殿です。

今回は、神輿殿を開けて頂き神輿を撮影させて頂きました。

神輿殿の横にある、荒木大人之碑。
初代宮司の石碑で、亡くなられた翌年の1964年建立とありますが、台座以外はあとで再作成されたものである。
石碑の背面には、荒木氏の事が今ではあまり考えられないような表現での記載があるので、読みにくいですが是非解読してみてください。
初代宮司の石碑で、亡くなられた翌年の1964年建立とありますが、台座以外はあとで再作成されたものである。
石碑の背面には、荒木氏の事が今ではあまり考えられないような表現での記載があるので、読みにくいですが是非解読してみてください。

忠魂碑は、陸軍少佐富塚貞一郎之書とあり1921年(大正10年6月)建立。
その隣に台座を同じにして、平和記念碑があり留辺蘂出身の戦没者は三百三十八柱あり、その人達の尊い礎の上に今日の日本があることを忘れてはならないと刻まれている。
その隣に台座を同じにして、平和記念碑があり留辺蘂出身の戦没者は三百三十八柱あり、その人達の尊い礎の上に今日の日本があることを忘れてはならないと刻まれている。

慰霊碑には、温根湯森林鉄道での衝突事故により殉職された36名の人々の慰霊碑として1940年(昭和15年)建立とある。
その後、留辺蘂営林署と留辺蘂林産組合によって、昭和30年と平成14年7月に移転とある。
平成13年に留辺蘂営林署は閉庁され、その後は行事はおこなわれていない。
その後、留辺蘂営林署と留辺蘂林産組合によって、昭和30年と平成14年7月に移転とある。
平成13年に留辺蘂営林署は閉庁され、その後は行事はおこなわれていない。

御大典記念碑は、1928年(昭和3年)昭和天皇即位の大礼を記念して建てられた。

御神木ではないようですが、北見市の保存樹木として、シダレヤナギが平成21年4月1日指定を受けています。
この御神木は、令和6年現在樹齢約95年で林登氏に「仁王柳左衛門」と命名されているとの事。
この御神木は、令和6年現在樹齢約95年で林登氏に「仁王柳左衛門」と命名されているとの事。

謝恩の植樹碑は、北海道厚経木開発60周年に当たって、樹霊に対して感謝の意を表すために、全国経木折箱連合植樹会、北海道厚経木協同組合、全国厚経木問屋組合、全国折箱連合会によって1966年(昭和41年)に建立とあります。

明治天皇碑は、明治天皇崩御に対して哀悼の遥拝碑として大正元年に建立され、昭和11年9月再建とあります。
すてき
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