いつくしまじんじゃ
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釧路一之宮 厳島神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年09月13日(水)
参拝:2023年8月吉日
当神社は釧路が来開草業の頃、漁場請負人佐野孫右衛門が漁場の安全と大漁祈願の為、安芸の厳島神社の御分霊を勧請奉祀したのが起源と伝えられています。
文化二(一八〇五)年には、二代目佐野孫右衛門が旧真砂町高台のアイヌ民族たちがカムイシュマ(アイヌ語・神岩の意)と呼び木幣いなうを立てて祀っていた約四百坪の土地に神殿を造営しました。以来累年豊漁が続き、住民も年を追って増加し、遂に神社を中心として一部落を形成するに至り、住民自ら産土神と崇仰するようになりました。これは安政四(一八五七)年に函館奉行の命により全道踏破した松浦武四郎の「久摺日誌くすりにっし」に明記されるところです。
明治二十四(一八九一)年二月十日、現在地に本殿拝殿を造営し御遷座、同年五月には社格が郷社に、大正二(一九一三)年五月には縣社に昇格いたしました。
昭和天皇は大正十一(一九二二)年七月十七日に大正天皇の摂政として、また昭和十一(一九三六)年九月二十八日の釧路市行幸の際も釧路國社である当社を御親拝されました。釧路住民全てが氏子とされる格式あるお宮です。
ご由緒書より
文化二(一八〇五)年には、二代目佐野孫右衛門が旧真砂町高台のアイヌ民族たちがカムイシュマ(アイヌ語・神岩の意)と呼び木幣いなうを立てて祀っていた約四百坪の土地に神殿を造営しました。以来累年豊漁が続き、住民も年を追って増加し、遂に神社を中心として一部落を形成するに至り、住民自ら産土神と崇仰するようになりました。これは安政四(一八五七)年に函館奉行の命により全道踏破した松浦武四郎の「久摺日誌くすりにっし」に明記されるところです。
明治二十四(一八九一)年二月十日、現在地に本殿拝殿を造営し御遷座、同年五月には社格が郷社に、大正二(一九一三)年五月には縣社に昇格いたしました。
昭和天皇は大正十一(一九二二)年七月十七日に大正天皇の摂政として、また昭和十一(一九三六)年九月二十八日の釧路市行幸の際も釧路國社である当社を御親拝されました。釧路住民全てが氏子とされる格式あるお宮です。
ご由緒書より
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