ほんがくじ|日蓮宗|広布山
広布山 本覚寺
公式広島県 十日市町駅
この度、十日市こども食堂おてらごはんに対し、個人様&おてらごはん実行委員会より無料にて「生チョコクリームトルテ」を3個提供して頂けることになりました。以下の日程にて配布致しますので、ご希望される方は12月20日(水)正午までに、以下の専用フォームでエントリーして下さい。↓ ↓ ↓
https://forms.gle/tfwaLxr6LYo8Tofh8
日時 12月23日(土)16時~16時30分(時間厳守でお願いします)
場所 広島市中区十日市町1-4-10 日蓮宗本覚寺
内容 生チョコクリームトルテ(約15センチ・3600円相当)3個+食品沢山
受付期間 本日~12月20日正午まで(落選の場合でも希望により食品を配布します)
★12月16日のキッズバリスタ体験当選者・昨年の生チョコクリームトルテ当選者は機会均等のため、
エントリーをご遠慮下さい。
※エントリーされた方全員に、12月20日にメールで結果をお知らせします。
※お問い合わせ・ご不明な点につきましては、十日市こども食堂おてらごはんまでお願いします。
2023年12月16日(土) 13時00分〜
78組115名の応募がありました。抽選結果は当選者のみに12月10日21時56分までにメールでご連絡しました。落選された方にはメールは送信しません。
なお、想定を超える人気の為、参加人数を15名→20名に拡充しました。
「スターバックスのパートナー(従業員)がこども食堂を訪問、ホリデーギフトをお届けし、子どもたちとバリスタ体験を行います。ホリデーの特別な時間を一緒に過ごしませんか?」
日時 2023年12月16日(土)13時~14時
会場 広島市中区十日市町1‐4‐10 日蓮宗本覚寺 本堂
対象 3歳~中学生
人数 20名様限定(抽選制・保護者の同伴可)
参加費 無料(スターバックスのお菓子セット付き)
申込締切 12月10日20時
申込方法 以下の専用フォームのみ ↓ ↓ ↓
https://forms.gle/k1jKKfxjTaxa8Xay7
★抽選になった際には公式ブログにてお知らせの上、当選者のみメールでお知らせします。(落選の場合はメールは送信しません)
★当日はメディア取材が行われる可能性がありますが、プライバシーに配慮することを確約しておりますのでご安心下さい。
★本企画に関するご質問等については、十日市こども食堂おてらごはんまでお願いします。
★本企画を第58回十日市こども食堂おてらごはんに振替とします(食事提供はありません)
駐車場 | あり(10台程度) | ||
---|---|---|---|
御朱印 | ありません | ||
1月1日 新春初祈祷会
2月 厄除星祭節分会
3月 春季彼岸施餓鬼会
4月 釈尊降誕会(花まつり)
6月1日 妙見まつり
7月 土用丑ほうろく祈祷会
8月 盂蘭盆施餓鬼会
9月 秋季彼岸施餓鬼会
11月 お会式
Q 本覚寺はいつ、どこに、誰によって開かれたのですか?
A 天正18(1590)年9月18日です。現在の安芸高田市(旧高田郡吉田町)に自性院日朝上人によって創建されました。【本覚寺過去帳には紀伊国(和歌山県)から吉田へ移転したと記載されています】
Q 本覚寺はいつ広島に移ったのですか?
A 慶長5(1600)年に現在地(旧左官町)に移転しました。毛利輝元による広島城の築城に伴って移動したと伝えられています。その後、基本的に移転することなく現在に至ります。
Q 昭和20年8月6日に原爆が投下された時はどのような様子でしたか?
A 当時の住職は第31世の金川龍洸上人でした。奥さんと2人の女の子、お腹の中に胎児がいましたが、全員死亡しました。本覚寺は爆心地から約550メートルに位置していたので全壊・全焼しました。また近隣の本覚寺檀信徒もその多くが亡くなりました。
当時8歳であった吉田(旧姓)友子さんが8月11日、被爆後の本覚寺にやって来たそうですが、
「お寺のお堂、その他の建物など跡形もなくがれきの山で足の踏み場もありませんでした。吉田家のお墓は斜め横に吹き飛ばされ、墓石に大きな亀裂が走っていました。他のお墓も同様でした」
と手記に残されています。その後、第32世の本立院日運上人(渡部正康・中興開山)が入寺し、戦後の復興に尽力しました。
Q 本覚寺にはどんな被爆石造物がありますか?
① 灯篭(とうろう)・・・文化2年(1805)10月の銘文があります。
② 鳥居(とりい)・・・慶応2(1866)年5月5日の銘文があります。
③ 香炉(こうろ)・・・明治14(1939)6月の銘文があります。
④狛犬(こまいぬ)・・・昭和14(1939)年6月の銘文があります。
その他、墓石・石仏などが墓地に点在しています。
Q 現在の伽藍はいつ建立されたのですか?
納骨堂・・・昭和63(1988)年6月に完成しました。
本堂・・・平成8(1996)年7月に完成しました。
会館・・・平成16(2004)年10月に完成しました。
みょうけんバーガー 10円キャッシュバック(10時~17時 住職不在の時は対応不可)
11月19日にて定員に達しました。次回は2024年春頃を予…続きを読む
投稿:2023年10月01日(日)
名称 | 広布山 本覚寺 |
---|---|
読み方 | ほんがくじ |
通称 | 妙見さん |
御朱印 | なし |
電話番号 | 050-3717-7620(問い合わせ専用) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | hbn7620@gmail.com |
ホームページ | https://hongakuji.org/ |
SNS |
山号 | 広布山 |
---|---|
宗旨・宗派 | 日蓮宗 |
創建時代 | 1590年 |
開山・開基 | 開基 久遠成院日親上人・開山 自性院日朝上人 |
本堂 | 鉄筋コンクリート2階建て |
ご由緒 | Q 本覚寺はいつ、どこに、誰によって開かれたのですか? A 天正18(1590)年9月18日です。現在の安芸高田市(旧高田郡吉田町)に自性院日朝上人によって創建されました。【本覚寺過去帳には紀伊国(和歌山県)から吉田へ移転したと記載されています】
Q 本覚寺はいつ広島に移ったのですか? A 慶長5(1600)年に現在地(旧左官町)に移転しました。毛利輝元による広島城の築城に伴って移動したと伝えられています。その後、基本的に移転することなく現在に至ります。
Q 昭和20年8月6日に原爆が投下された時はどのような様子でしたか? A 当時の住職は第31世の金川龍洸上人でした。奥さんと2人の女の子、お腹の中に胎児がいましたが、全員死亡しました。本覚寺は爆心地から約550メートルに位置していたので全壊・全焼しました。また近隣の本覚寺檀信徒もその多くが亡くなりました。 当時8歳であった吉田(旧姓)友子さんが8月11日、被爆後の本覚寺にやって来たそうですが、 「お寺のお堂、その他の建物など跡形もなくがれきの山で足の踏み場もありませんでした。吉田家のお墓は斜め横に吹き飛ばされ、墓石に大きな亀裂が走っていました。他のお墓も同様でした」 と手記に残されています。その後、第32世の本立院日運上人(渡部正康・中興開山)が入寺し、戦後の復興に尽力しました。
Q 本覚寺にはどんな被爆石造物がありますか? ① 灯篭(とうろう)・・・文化2年(1805)10月の銘文があります。 ② 鳥居(とりい)・・・慶応2(1866)年5月5日の銘文があります。 ③ 香炉(こうろ)・・・明治14(1939)6月の銘文があります。 ④狛犬(こまいぬ)・・・昭和14(1939)年6月の銘文があります。 その他、墓石・石仏などが墓地に点在しています。
Q 現在の伽藍はいつ建立されたのですか? 納骨堂・・・昭和63(1988)年6月に完成しました。 本堂・・・平成8(1996)年7月に完成しました。 会館・・・平成16(2004)年10月に完成しました。 |
体験 | 祈祷お宮参り結婚式七五三仏像傾聴食事・カフェお守り祭り人形供養法話 |
概要 | 本覚寺(ほんがくじ)は、広島県広島市中区十日市町にある日蓮宗の寺院。山号は広布山。旧本山は京都本法寺。 |
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歴史 | 歴史[編集] .mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「本覚寺 (広島市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9C%AC%E8%A6%9A%E5%AF%BA%20%28%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%29&oldid=90069890 |
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