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木曽三社神社(きそさんじゃ~)は、群馬県渋川市にある神社。旧社格は県社。「瀧ノ宮」、「木曽明神」とも称される。
平安時代末期の1184年、木曾義仲が滋賀県・粟津で源義経に討たれた後、今井氏、高梨氏などの遺臣が義仲と巴御前の子である三男・木曾義基を匿い、当地に落ち延びたとされる。その後、木曾義仲が崇敬した信濃国筑摩郡の延喜式内社三座「岡田神社・沙田神社・阿礼神社」を勧請して創建されたのが当社とのこと。勧請当時は「箱田神社」と称した。室町時代以降は、関東管領の上杉氏や白井城主の長尾氏、歴代前橋城主の崇敬が篤く、神田の寄進や社殿の修復などが行われてきた。
当社は、JR上越線・八木原駅の東北東3kmの小山の合間(谷)にある。境内は珍しい<下り宮>になっていて、県道170号線沿いの境内入口が高い場所にあり、社殿はそこから大きく下った場所にある。境内はけっこう広く、水湧き場、小川、神池などもある。変わった景観は、非常に印象に残る。
今回は旧社格が県社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中で、参拝者は自分以外に1人いた。
※御朱印は、一之鳥居と道を挟んだ神社駐車場近くにある宮司宅で拝受。当社の由緒を拝聴し、別途史料も拝受した。
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今回は出発時間も遅く、通ったルート上が寺社不毛地帯だったのでほとんど寄れる所がなかった。。。
(もともと少な目な上、有望そうな寺社は過去にほぼ参拝済み(^^;)
しかしまぁ、なんとか1~2ヶ所くらいは行けそうな所がないかと探してみたところ、道の駅まえばし赤城から比較的近くにこちらの興味深い神社を見つけました。
木曽義仲が近江粟津で討死にしたあと、この地に落ち延びた巴御前と義仲遺臣達が、信州にあった義仲の崇敬社三社を勧請して創建した神社だそうです。
おお!
以前、長野の寺社などで触れましたが、ウチの一族の地元には義仲公嫡男の義高公が落ち延びたという伝説がありまして、自分の御先祖も木曽源氏の郎党の一人だった可能性があり、義仲公は個人的に思い入れのある武将です。
つまりこの神社はモロに御先祖様と関わりがあるかもしれない神社( ゚д゚)!?
・・・もっとも社伝によると、この上野箱田の地に落ち延びたのは義高公ではなく、三男の義基公を奉ずる遺臣達だったそうですが(^^;
いやいや!義基グループがあえて鎌倉に近い危険な上野なんかに落ち延びたのは、下野安蘇の義高グループと連絡を取り合うためだったに違いない! うは♪夢が広がりんぐ☆
ということで行き先はここに決定!
観光的神社でないので当然ながら親は渋ったのですが、今回はムリヤリ説き伏せましたw
秘境系というほどではないですがやや隠されたような場所にある神社で、探すのにちょっと苦労しました。
ご覧のようにすり鉢状の盆地の中にある、まさに「落武者の隠れ里」的な神社で、義仲遺臣が建立という神社縁起にもなにか信憑性がありそうな気がします。
クレーターのような盆地の中に白糸の滝のような湧水もあって隠れパワースポット的な雰囲気も抜群☆
近くに宮司宅があり、そちらで受印できると聞いてたので、近所の人などに訪ねてなんとか探しあてました。
が!しかし・・・見事に宮司外出中で受印できなかった orz
う~ん、やっぱウチの先祖、義仲公とは何の縁も所縁もねーんでねぇの?w

神社入口と道を挟んで反対側に駐車場があります
ちなみに宮司宅はこの撮影位置の後ろの方にあり
実は先に境内に車で直接乗り付けられる道を見つけてしまい、この駐車場には後で止め直しました(^^;

神社の紋は源氏の笹竜胆
写真












木曽三社神社の情報
| 住所 | 群馬県渋川市北橘町下箱田1 |
|---|---|
| 行き方 |
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