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今回は出発時間も遅く、通ったルート上が寺社不毛地帯だったのでほとんど寄れる所がなかった。。。
(もともと少な目な上、有望そうな寺社は過去にほぼ参拝済み(^^;)
しかしまぁ、なんとか1~2ヶ所くらいは行けそうな所がないかと探してみたところ、道の駅まえばし赤城から比較的近くにこちらの興味深い神社を見つけました。
木曽義仲が近江粟津で討死にしたあと、この地に落ち延びた巴御前と義仲遺臣達が、信州にあった義仲の崇敬社三社を勧請して創建した神社だそうです。
おお!
以前、長野の寺社などで触れましたが、ウチの一族の地元には義仲公嫡男の義高公が落ち延びたという伝説がありまして、自分の御先祖も木曽源氏の郎党の一人だった可能性があり、義仲公は個人的に思い入れのある武将です。
つまりこの神社はモロに御先祖様と関わりがあるかもしれない神社( ゚д゚)!?
・・・もっとも社伝によると、この上野箱田の地に落ち延びたのは義高公ではなく、三男の義基公を奉ずる遺臣達だったそうですが(^^;
いやいや!義基グループがあえて鎌倉に近い危険な上野なんかに落ち延びたのは、下野安蘇の義高グループと連絡を取り合うためだったに違いない! うは♪夢が広がりんぐ☆
ということで行き先はここに決定!
観光的神社でないので当然ながら親は渋ったのですが、今回はムリヤリ説き伏せましたw
秘境系というほどではないですがやや隠されたような場所にある神社で、探すのにちょっと苦労しました。
ご覧のようにすり鉢状の盆地の中にある、まさに「落武者の隠れ里」的な神社で、義仲遺臣が建立という神社縁起にもなにか信憑性がありそうな気がします。
クレーターのような盆地の中に白糸の滝のような湧水もあって隠れパワースポット的な雰囲気も抜群☆
近くに宮司宅があり、そちらで受印できると聞いてたので、近所の人などに訪ねてなんとか探しあてました。
が!しかし・・・見事に宮司外出中で受印できなかった orz
う~ん、やっぱウチの先祖、義仲公とは何の縁も所縁もねーんでねぇの?w
神社入口と道を挟んで反対側に駐車場があります
ちなみに宮司宅はこの撮影位置の後ろの方にあり
実は先に境内に車で直接乗り付けられる道を見つけてしまい、この駐車場には後で止め直しました(^^;
神社の紋は源氏の笹竜胆
一の鳥居
なんと旧社格は懸社!?
これはガチで義仲公と関係ある神社なのかも(;゚д゚)
二の鳥居
二の鳥居の先はご覧のようにかなりの下りになってます!
まさに「隠れ里」という感じの神社
すり鉢状の盆地の底にある境内
白糸の滝のような湧水あり
周りから隔絶された環境も相まって隠れパワースポット感抜群☆
境内横には少し大きめの沼
ここら辺に2~3台駐車スペースがあり境内に直接乗り付けることもできますが、泥道であまり状態は良くないです(>_<)
今回は偶然こちらの道を先に見つけてしまったので駐車して参拝
後で宮司宅を探すため入口前の本来の駐車場に移動(^^;
沼のほとりの桜
手水舎と社務所(?)
おそらく正月とか例祭日はこちらに人がいると思われ
義仲公か義基公の像
首と腕が欠損
少し登ったところに本殿
拝殿の柱にあった謎のアナログ装置
板状のそろばん??(・・;)
「瀧之宮」とあり
この神社の別名でしょうか?
本殿左側に摂社が一つ
もしかしてこれが「瀧之宮」?
本殿右側
右手に境内社が二つと摂社群
手前の少し高台に古めの石祠が三つ
穴がドット絵の顔か猫のように見えるw
摂社群
左側の境内社
「早虎稲荷」というお稲荷さんでした
当初、本殿と二つの摂社に義仲崇敬の「岡田・沙田・阿礼」の信濃三社がそれぞれ祀られてると考えてたのですが、どうも違うらしい・・・
右の境内社
こちらに至っては神社ですらなく不動堂でした(^^;
ちなみに信濃三社のうち一社でも前回長野に行った時に拝んでいないか?と期待したのですが、二社は松本、一社は塩尻と、行ってない所ばかりでしたw
さらに山中に延びる道があったのですが、特に何もなさそうだったので行かず
道の入口にあった石碑
くずし字なのでハッキリわかりませんが「浮玉の清泉石」と書いてあるようです
もしかしたらこの先に滝の水源か何かあるのかも
木曽三社神社(きそさんじゃ~)は、群馬県渋川市にある神社。旧社格は県社。「瀧ノ宮」、「木曽明神」とも称される。
平安時代末期の1184年、木曾義仲が滋賀県・粟津で源義経に討たれた後、今井氏、高梨氏などの遺臣が義仲と巴御前の子である三男・木曾義基を匿い、当地に落ち延びたとされる。その後、木曾義仲が崇敬した信濃国筑摩郡の延喜式内社三座「岡田神社・沙田神社・阿礼神社」を勧請して創建されたのが当社とのこと。勧請当時は「箱田神社」と称した。室町時代以降は、関東管領の上杉氏や白井城主の長尾氏、歴代前橋城主の崇敬が篤く、神田の寄進や社殿の修復などが行われてきた。
当社は、JR上越線・八木原駅の東北東3kmの小山の合間(谷)にある。境内は珍しい<下り宮>になっていて、県道170号線沿いの境内入口が高い場所にあり、社殿はそこから大きく下った場所にある。境内はけっこう広く、水湧き場、小川、神池などもある。変わった景観は、非常に印象に残る。
今回は旧社格が県社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中で、参拝者は自分以外に1人いた。
※御朱印は、一之鳥居と道を挟んだ神社駐車場近くにある宮司宅で拝受。当社の由緒を拝聴し、別途史料も拝受した。
境内入口。緩やかに登る幹線道路沿いにある。
<一の鳥居>と<社号標>。参道の先、低い位置に社殿がちらっと見える。
少しづつ参道が下がって行く。
<二の鳥居>。
二の鳥居をくぐると、社殿を含めた境内が、ジオラマのように見渡せる。
(当社のベスト撮影ポイント!)
階段を下って<三の鳥居>。谷を隔てて、社殿がバッチリ見える。
三の鳥居をくぐって、右前方向を見渡すと、赤い屋根の境内社が見える。
階段を下りて、すぐ左側にある<社務所>?責任役員、代表役員の表札が掛かっている。
参道の最低地点から社殿を望む。手前は<神橋>。
参道右手の山の中腹からは清水が湧き出ていて、途中境内右側で池になって、境内左側に向かって流れている。
参道左側の<手水舎>と<祓殿>。
境内の階段下から社殿を望む。社殿は江戸時代後期の1794年再建、明治時代の1890年代に大改修。
階段の左側にある<木曽氏遺臣之像>。
階段の右側にある<御腰掛石>。
<拝殿>全景。間口三間半奥行二間。どっしりとした印象。
<拝殿>正面。繊細で美しい彫刻が随所に施されている。<木曽三社大神>と<瀧ノ宮>の2つの扁額が掛かっている。
拝殿後ろの<本殿>。間口一間奥行一間半。
社殿の右側にある石製小祠群、石碑群。おそらく再配置されてきれいに並んでいる。
<正一位早虎稲荷大神>の扁額が掛かっている。
境内社?扁額や表札がなく不明。
稲荷神社から見た、境内全景。
<社殿>全景。バランス的には、拝殿がやや大きい。
拝殿から見た、境内全景。
神池にあった、枝に沿って花が咲く、自分的には見たことがない植物。何でしょう?
こんな場所に木曽三社?と思いました。
木曾義仲没後、源頼朝から逃れ、義仲を崇敬していた信濃の国、岡田神社、沙田神社、阿礼神社の三社をお祀りした神社だそうです。
貫前神社のように、参道をくだって社殿がある珍しい造りでしたが、高い位置の参道から神社全体を見下ろせるロケーションにはとても感動しました。
湧玉に咲くシャガ
道路沿いにある神社の入り口
流れの早い雲のおかげで青空が広がってきました。
風は強い!
一の鳥居
下方に社殿の屋根が見えます。
由緒書き
最後の三の鳥居
まさかこんな所に!と思う。
見晴らしがよく、気持ち良い神社です。
振り返るとこんな感じ。
まるで、自然の中に隠されているような場所です。
綺麗な水が流れる川があります。
奧の小さな崖から水が流れています。
赤い屋根は瀧不動尊
義仲の家臣の像で、御神体を信濃から背負って来た神官だそうです。
信濃から逃れ、一休みした石。
御神体は七つのハコに入れられ、この石に置くと固くくっつき、動かなくなった、、そこでこの地に社殿を建てたそうです。
こーゆー話は大好物です。
おまけに、この地は箱田と言う(о´∀`о)
拝殿
寛政元年、社殿は焼失し、その後再建されたもの。
屏額にも負けない立派な黒田清綱勝の歌額もあります。
写真、忘れてましたが、屏額の左には瀧之宮の屏額があります。
あとで理由がわかりました。
本殿もなかなか見応えあります。
柵の間から撮りました。
末社
脇道があります。
湧玉なんとか入り口?行ってみましょう?
着いた先は湧玉と言われている、赤城山嶺で最大の湧水がありました。
砂を巻き上げドンドン湧き出ています。
湧玉から参道方向へ小川が流れています。
参道から見た瀧もこの水だったんだね。
なんと、サワガニ!
綺麗な証拠です。
駐車場横の神官さん宅で頂きました。
今度はペットボトル持参で水を汲んでいってね、とお話し下さいました。
どこで汲んでも👌
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