いちのみやぬきさきじんじゃ
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楽しみ方一之宮貫前神社のお参りの記録一覧
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一之宮貫前神社(いちのみやぬきさき~)は、群馬県富岡市にある神社。式内社(名神大社)、上野国一之宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は経津主神と姫大神。
当社は社殿の配置が変わっていて、一般的な神社が平地または階段を登った先に社殿があるが、当社は総門(神門)をくぐると階段のはるか下の方に社殿がある。この配置を「下り宮」というようで、広い意味では「出雲大社」も下り宮だが、もっと急に下る形になっている。当社は、宮崎県の鵜戸神宮、熊本県の草部吉見神社(くさかべよしみ~)と並び、「日本三大下り宮」とも言われている。
社伝によると、創建は安閑天皇元年(534年)、物部姓磯部氏が鷺宮(さぎのみや:現・安中市)に氏神である経津主神を祀り、鷺宮の南方、蓬ヶ丘綾女谷(よもぎがおか・あやめたに:現所在地の旧称)に社を定めたのが始まりとされる。飛鳥時代には天武天皇の命により、初の奉幣(勅使が神社に幣帛を奉ること)があった。
平安時代には、『延喜式神名帳』に「上野国甘楽郡 貫前神社 名神大」と記載され、上野国一之宮とされた。平安期までには神階が最高位の正一位に達していたものと推定されている。
平安時代中期以降、源頼義・義家父子をはじめ武家の崇敬を集め、室町時代から戦国時代にかけて、越後上杉氏、相模後北条氏、甲斐武田氏の庇護を受け、江戸時代には徳川将軍家から社殿の整備等多大な庇護を受けた。江戸時代までは「抜鉾神社」と称していたが、明治に入り近代社格制度で国幣中社に指定されると、延喜式記載の「貫前神社」に改称した。
当社は、上信電鉄・上州一ノ宮駅の東北東0.5kmの、南方を流れる鏑川の河岸段丘上にある。南側の境内入口は下仁田街道(県道198号線)に面していて、そこから総門までの300mほどの登り参道は、当社のために整備されたのか、県道209号線という別の番号が付いている。上述の通り「下り宮」なので、総門までが登り坂、神門から社殿までが下り階段となっている。非常に特徴的。個人的には、徳川3代将軍が建立し、5代将軍綱吉が極彩色の漆塗りをした<本殿>、<拝殿>がとにかく美しくイチ押し。
今回は2回目の参拝。前回2020年8月に参拝した時は、上野国の神社の初参拝であったため、御朱印帳を購入し御朱印を拝受。ただ、「全国一の宮御朱印帳」に御朱印を拝受するのを忘れたため、今回はこのために参拝。前回参拝時は、拝殿が修復工事中で拝殿に近づくことができずよく見えなかったが、今回はそれもなく、極彩色で美しい拝殿を近くでじっくり見ることができた。
参拝したのは週末の昼ごろ、自分以外にも家族連れや夫婦ペアなど、参拝者がちらほら来ていた。
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(参拝2回目(2021年5月8日)分を先に投稿済み)
当日が、群馬県の寺社仏閣初参拝。初めての土地に行く時は、まず始めに一之宮に参拝して、現地の神様にご挨拶することにしているので、群馬県≒上野國となると自動的に上野國一之宮である当社に参拝することに。
東京からだと練馬ICから関越道を使って100km超になるので、到着するまでにそれなりの疲労度を覚悟したが、意外と疲れなかったのでひと安心。
当社は事前の調査で、<下り宮>の代表的神社ということだったので非常に楽しみにしていたが、期待通りの見事な神社で大満足。境内社も細かく見て廻り、参拝は大満足であったが、ご朱印拝受でちょっとしたミスを。上野国の神社参拝のキックオフということで、当社のオリジナル御朱印帳を購入し、御朱印を拝受するまでは良かったものの、別途<全国一の宮御朱印帳>にも御朱印をもらうべきところ、持参するのをすっかり忘れてしまった。これで自分的には要再参拝確定。残念...涙
※ただ参拝時、拝殿正面を修復作業中だったので、次回は美しい拝殿を見られると思うとちょっとした慰めに。

境内南端の入口。県道198号線沿いにあって、<社号標>はあるが、地味で目立たない。ここから参道を徐々に登って行くが、面白いことにこの参道は県道209号線という公道。参拝者のクルマだけではなく、関係のないクルマも走っている。

参道を登って行くと、途中で踊り場のような場所がある。ここから歩行者は鳥居までの階段を登る。クルマは写真枠外左にある急峻な道を登っていく。

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