がくりんじ|曹洞宗|大峰山
嶽林寺公式群馬県 上毛高原駅
参拝可能時間
午前9時~午後4時
みなかみ町を見下ろす位置にある曹洞宗のお寺、大峰山嶽林寺です。悪政で苦しむ農民を命をかけて救った義人茂左衛門の菩提寺です
田んぼに囲まれ、たどり着くまでの道も1台だけしか通れない田んぼの脇を通っていくので、とにかく対向車がこないこと祈りながら進みました。
ホタルが生息してるそうで、なるほど納得という静けさと清らかさの中にあるお寺です
あとほぼ毎日鹿がでるそうです。
御朱印いただく時、奥様から「鹿いなかった?年寄りの鹿がよくくるのよ」とのこと
境内にお釈迦様の涅槃像があるからかな?鹿も徳をつみにくるんだなと感心しました
直書きして頂きました。
ドキドキしながらたどり着いた駐車場から
お寺の中にある神社。
狛犬さん
本殿。御朱印待ちの間、中で待たせて貰いました。
枯山水の庭。毎日手入れされてるんでしょうね。京都みたい
義民茂左衛門の菩提寺です。
以前お参りした、月夜野茂左衛門千日堂はこちらで管理されているみたいですね。
茂左衛門とは重税に苦しむ民のため、一家を犠牲にして直訴した義人です。
上毛高原駅の後ろにあり、見晴らしの良い場所にありました。
なだらかな坂道の参道
お駒堂
でたぁー、天上天下唯我独尊!
山門
本堂
御朱印を頂く間、本堂に上げて頂きお参りすることができました。
羅漢像
本堂から丸窓をのぞく、借景
当山が開かれた1500年代は室町時代末期、世は戦国の動乱期であり小川城は上杉氏の関東進出 の大事な足場の一城であった。 沼田城が小田原の北条氏の支配下になった際、よく北条側に対抗していたといわれている。
また、 当時の住職により、数度の戦場となった菩提木の台上では鎮魂の供養がなされ、後に供養塔が 建立されている。
当寺は大本山総持寺元輪番地として開山在天禅師、二十一世物先慧外大和尚が大本山に晋でいる。 元輪番地とは即ち資格のある寺院(輪番地)が定められそこから各々その派頭の五院に登り、更に 大本山総持寺の現方丈として晋んだものである。
江戸時代には数カ寺の末葉を持つ本寺格の寺であり、雙林寺近門七カ寺の総代として本寺後見を 勤めていた。
天下の義民茂左衛門、白子屋お駒の菩提寺としても知られている。
名称 | 嶽林寺 |
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読み方 | がくりんじ |
参拝時間 | 参拝可能時間
|
参拝にかかる時間 | 約20分 |
参拝料 | 志 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり ご朱印は全部で4種類
|
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0278-62-6455 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | gakurinji@kain.co.jp |
ホームページ | http://www.kain.co.jp/gakurinji/ |
新上州観音霊場三十三カ所 第27番 |
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ご本尊 | 釈迦如来座像 |
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山号 | 大峰山 |
院号 | 長慶院 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 1505(永正2年)年 |
開山・開基 | 雙林寺七世在天禅師を開山として、小川城二代小川次郎 景裕公(嶽林院殿奇厳清俊庵主)を開基に開創 |
ご由緒 | 当山が開かれた1500年代は室町時代末期、世は戦国の動乱期であり小川城は上杉氏の関東進出 の大事な足場の一城であった。 沼田城が小田原の北条氏の支配下になった際、よく北条側に対抗していたといわれている。 また、 当時の住職により、数度の戦場となった菩提木の台上では鎮魂の供養がなされ、後に供養塔が 建立されている。 当寺は大本山総持寺元輪番地として開山在天禅師、二十一世物先慧外大和尚が大本山に晋でいる。 元輪番地とは即ち資格のある寺院(輪番地)が定められそこから各々その派頭の五院に登り、更に 大本山総持寺の現方丈として晋んだものである。 江戸時代には数カ寺の末葉を持つ本寺格の寺であり、雙林寺近門七カ寺の総代として本寺後見を 勤めていた。 天下の義民茂左衛門、白子屋お駒の菩提寺としても知られている。 |
体験 | 坐禅(座禅)御朱印札所・七福神巡り |
感染症対策内容 | 〇消毒液の設置
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