あかぎじんじゃ(みよさわまち)
赤城神社(三夜沢町)のお参りの記録一覧(2ページ目)

赤城神社(あかぎ~)(三夜沢:みよさわ)は、群馬県前橋市三夜沢町にある神社。式内論社(名神大)で、上野国二之宮の論社。旧社格は県社。祭神は豊城入彦命(とよきいりひこ)と大己貴命(おおなむち)の2柱。上毛三山の一つ、赤城山を御神体として祀る神社で、関東を中心に約300社ある赤城神社の本宮と推測されるうちの1社。赤城山の南面の中腹にある。
創建は不詳。社伝によると、上代に豊城入彦命が上毛野を支配することになった際、大己貴命を奉斎したことに始まる。当社から1kmあまり登った場所に「櫃石」と呼ばれる磐座を中心とした古代の祭祀跡が残っている。『続日本後紀』には平安時代の839年に「赤城神」の神階奉授の記録があり、『日本三代実録』には神階昇叙の記載がある。また、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「上野国 勢多郡 赤城神社 名神大」と記載されており、赤城神社(大洞)、二宮赤城神社とともに、その論社となっている(当社または赤城神社(大洞)は山宮で、二宮赤城神社は里宮と推定されている)。その後、3社のいずれかが上野国二之宮になったとされている。室町時代の1345年頃になって、元からあった当社(東宮)の隣に西宮が遷座してきたことで、以降明治時代に入るまで、当社は東西2宮が併存する形で存続した。江戸時代中期の1762年に東宮が正一位に叙され、次いで1765年に西宮も正一位に叙されている。また19世紀初頭、赤城神社(大洞)との間で「本社」、「本宮」の文言を巡り、寺社奉行を巻き込んで争った。明治時代に入り、県社に列した。
当社は、JR両毛線・前橋駅から北東に道のり18kmの、赤城山の中腹にある。山中の神社ではあるが、境内は広くなく、見て廻るエリアには高低差がないので苦労はしない。巨木の森に囲まれた雰囲気は、古からの神聖な空気感を伝えており、場の空気が非常に良い。
今回は上野国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中、赤城神社(大洞)と比べると、若い男女はほとんどおらず、神社好きの夫婦や家族が集まっているような印象だった。
境内入口の<鳥居>と<社号標>。鳥居は高く大きく非常にシンプル。間から高木の奥に社殿が覗き、古社の風格と神聖な雰囲気が漂う。
数段の階段を上がって、鳥居をくぐる。
少し進んだ右側にある<手水舎>。池に浮かんでいる珍しい様式。
高木の林の中に進み、少し湿り気を帯びた森林の香りが心地よい。
社殿は一段高いところにあり、ステージの上に建っているかのよう。
<拝殿>全景。彩色を一切排した、非常にシンプルな神明造の拝殿。
<拝殿>正面。扁額さえかかっていない潔さ。
ビビッドな朱色で派手な印象の<大洞赤城神社>(当社と同じく、式内・赤城神社の論社)とは正反対の印象。
拝殿の後ろの<幣殿>と<本殿>。本殿は少し離れた、さらに高い場所にある。
<本殿>を写真に収めようとするが、木々が深くてよく見えない...
社殿の左手に向かう。シンプルだがきれいな<神楽殿>。
神楽殿の先に境内社のようなものが見えたので向かってみると、境内社ではなく<上泉伊勢守信綱>の木像。戦国時代の当地の武将で、新陰流を編み出した剣術師。若いころ、当社境内で剣術の修練をしたとのこと。(2017年にBS朝日で上泉信綱のドラマが放送されたらしい。)
上泉信綱像から社殿・神楽殿方向を望む。真上からのみ光が差し込み、神々しい雰囲気の境内。
最後に<拝殿>全景。華美に走らず、質実剛健とはこのことか。
拝殿下の石垣に設けられた<御神水>汲み場。真夏でもきりっとした冷たさ。
拝殿前から、下の段の境内を望む。とにかく場の空気がよく、素晴らしい神社。

赤城三社巡りで参拝しました。
赤城さんの麓にあり、森と水が豊富な綺麗な空気のお宮です。
ブログにも詳細を投稿しましたのでご覧ください。
一の鳥居
由緒書き
手水舎
参道
拝殿
神楽殿①
神楽殿②
本殿①
本殿②
上泉信綱の増加
湧き水
おみくじ
赤城山の地図
参道のツツジと松の並木がとてもきれいでした。
手水舎も池の中にあって、周りの新緑が映ってきれいでした。
境内は苔むした灯篭などの緑がまた美しくて、とても気持ちのいい神社でした。
先ほどこちらを見たら、同じ日に参拝された方がいらしたので嬉しかったです。
すれ違ったかもしれないと思うと勝手に親しみがわいてしまいます。
<手水舎>とてもきれい!池には大きなコイが泳いでいます。
<手水舎>
<参道>長い参道にはツツジがいっぱい咲いていました。
イノシシのお食事跡が見られます。ボッコボコの穴だらけです。
鳥居前に大きなスイカ。
<鳥居>
<狛犬と灯篭>灯篭に見える「赤」の文字。左の面は「城」。合わせて「赤城」です。
苔きれい。
<拝殿>
<ウラシマソウ>花の中から釣り糸を垂れているような形に見えるので「浦島草」です。
実家の近くの林にもあったので懐かしかったです。
マムシグサとよく間違われますが、マムシグサは糸が垂れてなくて枝分かれして葉っぱが出るのでわかります。
里芋の仲間だと聞きましたが食べるなと言われてました。
<御朱印帳>
<御朱印>

テラヨリーモジンシャスキーさんともちょこっとやりとりをしましたが、赤城神社といえば、1998年に失踪事件がありました。様々な説が囁かれていますが、失踪された方の無事を祈っています。
その事件の日の98年5月3日、その頃私は何をしていたかというと、、、
不本意ながらも大学に入り、某サークルにも誘われていつの間にか入っていた。
その頃は、こうなったのはしゃーないから現実を受け入れ、皆と仲良くやって行こうと思っていた。でもそれが半年、一年と経つうちにばかばかしくなってきたのよね。。
そのうちに、ヒキニートに。やはり自分の思うことをやりたい
でも良い事もあった。
高校時代、あまり話した事のなかった女子と初めて会話をした、I。
一泊研修の夕食の席でたまたま隣同士となり、初めてまともに会話をした、K。
あの頃は研修も行く気になる程、前を見ていたんだな
男の連れも、高校1年で同じクラスだったK。2年で一緒だったM。
その2人は3年で同じクラス、私は違うクラスだった。
あえて今を語れば、人を受け入れ、また受け入れて貰える、そのような経験もプラスになっている事は間違いない。黒歴史ではあるけれど、そんな思いも連れ達も大切にしたい。
何よりも失踪された方の無事を心から祈っております⛩
群馬県のおすすめ2選🎌
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
4
0