あかぎじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
赤城神社ではいただけません
広告
赤城神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年09月14日(火)
参拝:2020年8月吉日
赤城神社(あかぎ~)(三夜沢:みよさわ)は、群馬県前橋市三夜沢町にある神社。式内論社(名神大)で、上野国二之宮の論社。旧社格は県社。祭神は豊城入彦命(とよきいりひこ)と大己貴命(おおなむち)の2柱。上毛三山の一つ、赤城山を御神体として祀る神社で、関東を中心に約300社ある赤城神社の本宮と推測されるうちの1社。赤城山の南面の中腹にある。
創建は不詳。社伝によると、上代に豊城入彦命が上毛野を支配することになった際、大己貴命を奉斎したことに始まる。当社から1kmあまり登った場所に「櫃石」と呼ばれる磐座を中心とした古代の祭祀跡が残っている。『続日本後紀』には平安時代の839年に「赤城神」の神階奉授の記録があり、『日本三代実録』には神階昇叙の記載がある。また、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「上野国 勢多郡 赤城神社 名神大」と記載されており、赤城神社(大洞)、二宮赤城神社とともに、その論社となっている(当社または赤城神社(大洞)は山宮で、二宮赤城神社は里宮と推定されている)。その後、3社のいずれかが上野国二之宮になったとされている。室町時代の1345年頃になって、元からあった当社(東宮)の隣に西宮が遷座してきたことで、以降明治時代に入るまで、当社は東西2宮が併存する形で存続した。江戸時代中期の1762年に東宮が正一位に叙され、次いで1765年に西宮も正一位に叙されている。また19世紀初頭、赤城神社(大洞)との間で「本社」、「本宮」の文言を巡り、寺社奉行を巻き込んで争った。明治時代に入り、県社に列した。
当社は、JR両毛線・前橋駅から北東に道のり18kmの、赤城山の中腹にある。山中の神社ではあるが、境内は広くなく、見て廻るエリアには高低差がないので苦労はしない。巨木の森に囲まれた雰囲気は、古からの神聖な空気感を伝えており、場の空気が非常に良い。
今回は上野国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中、赤城神社(大洞)と比べると、若い男女はほとんどおらず、神社好きの夫婦や家族が集まっているような印象だった。
創建は不詳。社伝によると、上代に豊城入彦命が上毛野を支配することになった際、大己貴命を奉斎したことに始まる。当社から1kmあまり登った場所に「櫃石」と呼ばれる磐座を中心とした古代の祭祀跡が残っている。『続日本後紀』には平安時代の839年に「赤城神」の神階奉授の記録があり、『日本三代実録』には神階昇叙の記載がある。また、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「上野国 勢多郡 赤城神社 名神大」と記載されており、赤城神社(大洞)、二宮赤城神社とともに、その論社となっている(当社または赤城神社(大洞)は山宮で、二宮赤城神社は里宮と推定されている)。その後、3社のいずれかが上野国二之宮になったとされている。室町時代の1345年頃になって、元からあった当社(東宮)の隣に西宮が遷座してきたことで、以降明治時代に入るまで、当社は東西2宮が併存する形で存続した。江戸時代中期の1762年に東宮が正一位に叙され、次いで1765年に西宮も正一位に叙されている。また19世紀初頭、赤城神社(大洞)との間で「本社」、「本宮」の文言を巡り、寺社奉行を巻き込んで争った。明治時代に入り、県社に列した。
当社は、JR両毛線・前橋駅から北東に道のり18kmの、赤城山の中腹にある。山中の神社ではあるが、境内は広くなく、見て廻るエリアには高低差がないので苦労はしない。巨木の森に囲まれた雰囲気は、古からの神聖な空気感を伝えており、場の空気が非常に良い。
今回は上野国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中、赤城神社(大洞)と比べると、若い男女はほとんどおらず、神社好きの夫婦や家族が集まっているような印象だった。
境内入口の<鳥居>と<社号標>。鳥居は高く大きく非常にシンプル。間から高木の奥に社殿が覗き、古社の風格と神聖な雰囲気が漂う。
数段の階段を上がって、鳥居をくぐる。
少し進んだ右側にある<手水舎>。池に浮かんでいる珍しい様式。
高木の林の中に進み、少し湿り気を帯びた森林の香りが心地よい。
社殿は一段高いところにあり、ステージの上に建っているかのよう。
<拝殿>全景。彩色を一切排した、非常にシンプルな神明造の拝殿。
<拝殿>正面。扁額さえかかっていない潔さ。
ビビッドな朱色で派手な印象の<大洞赤城神社>(当社と同じく、式内・赤城神社の論社)とは正反対の印象。
ビビッドな朱色で派手な印象の<大洞赤城神社>(当社と同じく、式内・赤城神社の論社)とは正反対の印象。
拝殿の後ろの<幣殿>と<本殿>。本殿は少し離れた、さらに高い場所にある。
<本殿>を写真に収めようとするが、木々が深くてよく見えない...
社殿の左手に向かう。シンプルだがきれいな<神楽殿>。
神楽殿の先に境内社のようなものが見えたので向かってみると、境内社ではなく<上泉伊勢守信綱>の木像。戦国時代の当地の武将で、新陰流を編み出した剣術師。若いころ、当社境内で剣術の修練をしたとのこと。(2017年にBS朝日で上泉信綱のドラマが放送されたらしい。)
上泉信綱像から社殿・神楽殿方向を望む。真上からのみ光が差し込み、神々しい雰囲気の境内。
最後に<拝殿>全景。華美に走らず、質実剛健とはこのことか。
拝殿下の石垣に設けられた<御神水>汲み場。真夏でもきりっとした冷たさ。
拝殿前から、下の段の境内を望む。とにかく場の空気がよく、素晴らしい神社。
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。