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あかぎじんじゃ

赤城神社

群馬県 本宿駅

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027-283-1268

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり

右下に延喜式内社、赤城神社本宮の印が押された御朱印です。社殿が描かれた御朱印帳があります。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

赤城神社本宮三社

ご利益

赤城神社について

赤城神社の総本宮


『延喜式神名帳』に記載された式内社で、関東圏に300社の分社がある赤城神社の総本宮とされる一社です。
赤城山の麓に鎮座し、深い鎮守の杜と山から流れる水を讃えた自然の中のお宮です。

おすすめの投稿

惣一郎
2021年09月14日(火)
849投稿

赤城神社(あかぎ~)(三夜沢:みよさわ)は、群馬県前橋市三夜沢町にある神社。式内論社(名神大)で、上野国二之宮の論社。旧社格は県社。祭神は豊城入彦命(とよきいりひこ)と大己貴命(おおなむち)の2柱。上毛三山の一つ、赤城山を御神体として祀る神社で、関東を中心に約300社ある赤城神社の本宮と推測されるうちの1社。赤城山の南面の中腹にある。

創建は不詳。社伝によると、上代に豊城入彦命が上毛野を支配することになった際、大己貴命を奉斎したことに始まる。当社から1kmあまり登った場所に「櫃石」と呼ばれる磐座を中心とした古代の祭祀跡が残っている。『続日本後紀』には平安時代の839年に「赤城神」の神階奉授の記録があり、『日本三代実録』には神階昇叙の記載がある。また、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「上野国 勢多郡 赤城神社 名神大」と記載されており、赤城神社(大洞)、二宮赤城神社とともに、その論社となっている(当社または赤城神社(大洞)は山宮で、二宮赤城神社は里宮と推定されている)。その後、3社のいずれかが上野国二之宮になったとされている。室町時代の1345年頃になって、元からあった当社(東宮)の隣に西宮が遷座してきたことで、以降明治時代に入るまで、当社は東西2宮が併存する形で存続した。江戸時代中期の1762年に東宮が正一位に叙され、次いで1765年に西宮も正一位に叙されている。また19世紀初頭、赤城神社(大洞)との間で「本社」、「本宮」の文言を巡り、寺社奉行を巻き込んで争った。明治時代に入り、県社に列した。

当社は、JR両毛線・前橋駅から北東に道のり18kmの、赤城山の中腹にある。山中の神社ではあるが、境内は広くなく、見て廻るエリアには高低差がないので苦労はしない。巨木の森に囲まれた雰囲気は、古からの神聖な空気感を伝えており、場の空気が非常に良い。

今回は上野国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中、赤城神社(大洞)と比べると、若い男女はほとんどおらず、神社好きの夫婦や家族が集まっているような印象だった。

赤城神社(群馬県)

境内入口の<鳥居>と<社号標>。鳥居は高く大きく非常にシンプル。間から高木の奥に社殿が覗き、古社の風格と神聖な雰囲気が漂う。

赤城神社の建物その他

数段の階段を上がって、鳥居をくぐる。

赤城神社の手水

少し進んだ右側にある<手水舎>。池に浮かんでいる珍しい様式。

赤城神社の建物その他

高木の林の中に進み、少し湿り気を帯びた森林の香りが心地よい。

赤城神社(群馬県)

社殿は一段高いところにあり、ステージの上に建っているかのよう。

赤城神社(群馬県)

<拝殿>全景。彩色を一切排した、非常にシンプルな神明造の拝殿。

赤城神社の本殿

<拝殿>正面。扁額さえかかっていない潔さ。
ビビッドな朱色で派手な印象の<大洞赤城神社>(当社と同じく、式内・赤城神社の論社)とは正反対の印象。

赤城神社の本殿

拝殿の後ろの<幣殿>と<本殿>。本殿は少し離れた、さらに高い場所にある。

赤城神社の建物その他

<本殿>を写真に収めようとするが、木々が深くてよく見えない...

赤城神社の建物その他

社殿の左手に向かう。シンプルだがきれいな<神楽殿>。

赤城神社の建物その他

神楽殿の先に境内社のようなものが見えたので向かってみると、境内社ではなく<上泉伊勢守信綱>の木像。戦国時代の当地の武将で、新陰流を編み出した剣術師。若いころ、当社境内で剣術の修練をしたとのこと。(2017年にBS朝日で上泉信綱のドラマが放送されたらしい。)

赤城神社(群馬県)

上泉信綱像から社殿・神楽殿方向を望む。真上からのみ光が差し込み、神々しい雰囲気の境内。

赤城神社の本殿

最後に<拝殿>全景。華美に走らず、質実剛健とはこのことか。

赤城神社の建物その他

拝殿下の石垣に設けられた<御神水>汲み場。真夏でもきりっとした冷たさ。

赤城神社の建物その他

拝殿前から、下の段の境内を望む。とにかく場の空気がよく、素晴らしい神社。

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ハチナナエ
2022年05月03日(火)
19投稿

テラヨリーモジンシャスキーさんともちょこっとやりとりをしましたが、赤城神社といえば、1998年に失踪事件がありました。様々な説が囁かれていますが、失踪された方の無事を祈っています。

その事件の日の98年5月3日、その頃私は何をしていたかというと、、、
不本意ながらも大学に入り、某サークルにも誘われていつの間にか入っていた。
その頃は、こうなったのはしゃーないから現実を受け入れ、皆と仲良くやって行こうと思っていた。でもそれが半年、一年と経つうちにばかばかしくなってきたのよね。。
そのうちに、ヒキニートに。やはり自分の思うことをやりたい

でも良い事もあった。
高校時代、あまり話した事のなかった女子と初めて会話をした、I。
一泊研修の夕食の席でたまたま隣同士となり、初めてまともに会話をした、K。
あの頃は研修も行く気になる程、前を見ていたんだな

男の連れも、高校1年で同じクラスだったK。2年で一緒だったM。
その2人は3年で同じクラス、私は違うクラスだった。

あえて今を語れば、人を受け入れ、また受け入れて貰える、そのような経験もプラスになっている事は間違いない。黒歴史ではあるけれど、そんな思いも連れ達も大切にしたい。

何よりも失踪された方の無事を心から祈っております⛩

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☀️太陽を探して☀️
2022年05月17日(火)
42投稿

過去投稿になります。
昔ポカリスエットのCMで
「人間の体の90%以上は水で出来ている」
といっていたような🧜‍♂️だったら、だったらですよ❗️
体に御神水を入れてしまおうではないか🌈
つーことで、おいらグンマーの象徴赤城山🌋にある
三大赤城神社の一つ三夜沢赤城神社へ⛩
御祭神は大己貴命(おおあなむちのみこと)
おおくにぬしのみことの別名と
豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)
第十代祟神天皇の皇子の2トップ🌞
本殿の建築は伊勢神宮と同じ神明造。
大自然の静けさの中から神聖域を感じられます。
ここは正に神の領域。⛩から左手に
何百年も絶え間なく神のエナジードリンク💧
御神水が湧き出ています。
手を洗って自然乾燥すると、手がサラッッッサラに❗️
マジのおおマジ❗️ほんとービックリ🫢です
女性の方は髪がサラサラになりそう。
これは体に良いに決まってる👍
水道水が飲めなくなりそうな体になりそう。
毎日当家の神棚に捧げて、沸騰させてから
飲んでいます。御神水パワーを全吸収💧
全身の隅々まで染み渡り〜っりーりーりー💦
フォースが使える様になるかもー✨

赤城神社(群馬県)赤城神社(群馬県)赤城神社(群馬県)赤城神社(群馬県)赤城神社(群馬県)赤城神社(群馬県)

何百年も絶え間なく
御神水が湧き出ています

赤城神社(群馬県)

神の恵み
ありがとうございます😊

赤城神社の御朱印
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歴史

赤城神社は東国開拓の神々が祀られている古来の神社である。
東国経営にあたった上毛野君の創始以来、国司、武将が篤く崇敬し、朝庭からも承和六年(839)に従五位下を贈られ、元慶四年(880)に従四位上にあけられ、延喜式には名神大社に列せられた。長元九年(1028)には正一位に叙せられ、次いで、上野国ほ二宮とうやまわれていた。
赤城山は高く、美しく、後ろに山々をひかえて、悠然と聳えている。山頂の小沼から出る粕川を始め各河川は麓の村をひろくうるおしている。その尊厳と恩恵とはみ山とよばれ親しまれ尊ばれ上毛野君の昔から祀りつかれてきた。
分社は群馬県下のみで十八社その他を併せると三百余社に及ぶ。昭和十九年(1944)には国幣中社に昇格の内定があったが、終戦後は国土建設、開拓精神発揚のため、神威益々顕著である。

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赤城神社の基本情報

住所群馬県前橋市三夜沢町114
行き方

上毛電気鉄道「大胡駅」→群馬ふるさとバス「赤城神社」下車

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名称赤城神社
読み方あかぎじんじゃ
通称赤城本宮,三夜沢赤城神社
参拝時間

社務所・09:00〜17:00

参拝にかかる時間

30分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

右下に延喜式内社、赤城神社本宮の印が押された御朱印です。社殿が描かれた御朱印帳があります。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号027-283-1268
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
おみくじあり

詳細情報

ご祭神《主》大己貴命,豊城入彦命
ご神体赤城山
本殿神明造
札所など

赤城神社本宮三社

文化財

有形文化財
本殿内宮殿
本殿並びに中門
古文書 - 永禄3年(1560年)から慶長18年(1613年)までの45通
惣門
重要美術品(国認定)
硬玉製勾玉(赤城山櫃石付近出土)

ご由緒

赤城神社は東国開拓の神々が祀られている古来の神社である。
東国経営にあたった上毛野君の創始以来、国司、武将が篤く崇敬し、朝庭からも承和六年(839)に従五位下を贈られ、元慶四年(880)に従四位上にあけられ、延喜式には名神大社に列せられた。長元九年(1028)には正一位に叙せられ、次いで、上野国ほ二宮とうやまわれていた。
赤城山は高く、美しく、後ろに山々をひかえて、悠然と聳えている。山頂の小沼から出る粕川を始め各河川は麓の村をひろくうるおしている。その尊厳と恩恵とはみ山とよばれ親しまれ尊ばれ上毛野君の昔から祀りつかれてきた。
分社は群馬県下のみで十八社その他を併せると三百余社に及ぶ。昭和十九年(1944)には国幣中社に昇格の内定があったが、終戦後は国土建設、開拓精神発揚のため、神威益々顕著である。

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