あかぎじんじゃ
赤城神社のお参りの記録一覧
上野国十二社参り 二之宮
長い坂を登って行くと正面に無垢の丸太で作られた鳥居が見えてくる。
境内は鬱蒼とした森に守られて鎮座する。
拝殿からつながる本殿は少し離れた坂の上に鎮座している。
全てが無垢の作りをしており歴史を感じさせる。
境内には神代文字の碑があり、一部の文字はハングルと同じ表記で同音として読めるのは不思議だ。
#延喜式内社
赤城山を降りて三夜沢の赤城神社へ。
気温が全然違う!確かに鎮守の森に囲われてるのでひんやりとした感じでしたが、大沼の赤城神社の寒さとは比べ物になりません笑
こちらの社格は旧県社だそうで、赤城神社3社のなかで、境内の規模は1番かなと思いました。
手水舎は池の上に浮かぶような感じに建てられており、池には鯉がたくさん泳いでました。
他の参拝者が白い鯉がいると話してるのを聞いて改めて見てみると、確かに真っ白な一匹の白い鯉が泳いでました。
確かに白系の鯉は何匹かいますが、この鯉だけ白さが全然違いました!
ひょっとして神様のお使いなのかも???
こちらのが社殿は典型的な神明造となっており、雰囲気が浅野内宮のようでした。
社号標と鳥居
御由緒板
アクリル板が年季の入った感じに擦れてて読めず。
そのかわり略記が。
池に浮かぶ手水舎
鯉がたくさん
一匹だけ目立つ白い鯉が。
神々しい!
参道
神明造の社殿
拝殿を斜めから
御本殿
剣聖「上泉信綱」の石碑
神楽殿かと思われる。
何も看板がないので分かりませんが。
神代文字の石碑
神代文字
説明板
御朱印と
書き置きのみ
赤城山を往路と変えて県道16号で下山。逆から車が来た場合、すれ違うポイントを押さえないといけないぐらいの狭路。麓まで降りて参拝したのが…
⛩️ 前橋市 "三夜沢赤城神社"
赤城神社の総本社とされる3社の1つ。
更に本宮と推測されてたりするそー。
境内Pは広く数十台 駐めれるかと。着いてみると思ってたよりも人がいてパワースポットとしても有名みたい。
2年程前に新しくなった鳥居を潜ると森の参道… 荘厳な雰囲気。御神水が湧いててかなり冷たい。降りてくると大分 暑かったので救われたlol
参拝して社務所で御朱印を拝受。書き置きの1種類。御朱印にも赤城神社本宮の印が押されてました。
拝殿と御朱印
新しい鳥居
見上げる杉の木のスッとした立ち姿がいいですね。
気持ちまで、ピシッとします。
約300社ある赤城神社の本宮ではないか、と推測されるお宮のひとつだそうです。
確かに、赤城山麓に鎮座している様子は、杉の木に囲まれた神秘的な世界です。
参拝者も後を絶たず、、真冬にお詣りする事も考えましたが、やはりこの季節、緑の中のお詣りは最高でした。
木製の鳥居は見上げる高さ
手水舎
後ろは池で、水鉢と一体化して見える。
池の水はちょっと濁ってますけど、
「赤」「城」の透かしがあります。
写っていませんが、見えない部分に「山」があるんです。
建て替えた鳥居がお守りになっています。
参道の左には
ご神水が流れています。
冷たいです。
拝殿
お賽銭箱は下に埋め込まれているタイプ
背には立派は杉が何本もあります。
拝殿から本殿まで段になっています。
本殿前のたわら杉
正面から撮れないんですが、2本の杉が象徴となって、御朱印帳のデザインになっています。
神楽殿
入り口には西瓜の像があります!
前橋神社巡り⑤前橋の市街地より車で30分ほど、赤城山の中腹に鎮座しています。三夜沢赤城神社とも云います。以前大洞赤城神社へ参拝したときに渋川へ抜けずにこちらに降りてくればよかったと後悔。大洞赤城神社と赤城神社の総本社の争いがあります。神社へ向かう途中に慶長年間に植えられた綺麗な松並木、惣門などもありましたが、写真に収めるのを忘れてしまいました。山の中腹ということもあり、気温が少し低く気持ちが良い。最近寄進された木製の新しい大きな鳥居が迎えてくれます。鳥居を潜ると別世界、沢山の古い灯篭が建ち並び、神池にはゆったりと鯉が泳いでいます。境内からh水の流れる音が、山からの湧水が流れているようです。社殿は山の勾配を利用して建てられているため拝殿から上の傾斜地に本殿があり、脇を上がっていくと近くに観ることが出来ます。御朱印は書置きで社務所で戴きました。
鳥居
由緒書
社号標
付近の観光案内図
由緒書と境内案内図
この辺は以前は宮城村で合併により前橋市になった。前橋市といってもピンとこない!
文化四年(1807)奉納の灯籠
文政十三年(1830)奉納の灯籠
手水舎
神池
泥が沈殿していますが、水は透き通っています
灯籠
元禄七年(1694)奉納の灯籠 文字が読みにくいので確かではありません
狛犬
文化三年(1806)奉納の灯籠
灯籠には「赤」「城」「山」の文字が、灯をともしたら綺麗でしょうね
皆さん、「山」の文字を見落としている方が多いようです
天明四(1784)年奉納の灯籠
参道脇に無造作に水盤がありましたが、使われてはいないようです
宝永三年(1706)の文字と三つ巴の紋が刻まれています
天保十二年(1842)奉納の灯籠
三つ柏紋がありますが、これは奉納者の紋か?
神代文字の碑説明文
碑の前面
碑の裏面に神代文字、神代文字を拡大しました
四という文字は読めましたが、いつの時代か判りません
元禄七年(1601)奉納の灯籠
菊の御紋が刻まれています 皇室関係の寄進か?
文化三年(1806)奉納の灯籠
拝殿
賽銭箱は埋め込み式です
文政十三年(1830)奉納の灯籠
天水桶 菊の紋があります
文化財の説明文
拝殿を裏から
中門が見えるだろうか? 左手前の太い木は「たわら杉」、平安時代中期の貴族であり武将であった藤原 秀郷(俵藤太)が献木したと伝えられます。
こちらの方が見やすいかな?中門の前に2本のたわら杉
本殿
石祠が点在しています
ここを上ってきました
この先にも何やら
神楽殿
剣聖 上泉伊勢守信綱修練の地
信綱像
御神水
キショウブが綺麗に咲いていましたが、今や「要注意外来生物」の一種とされているようです
過去投稿になります。
昔ポカリスエットのCMで
「人間の体の90%以上は水で出来ている」
といっていたような🧜♂️だったら、だったらですよ❗️
体に御神水を入れてしまおうではないか🌈
つーことで、おいらグンマーの象徴赤城山🌋にある
三大赤城神社の一つ三夜沢赤城神社へ⛩
御祭神は大己貴命(おおあなむちのみこと)
おおくにぬしのみことの別名と
豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)
第十代祟神天皇の皇子の2トップ🌞
本殿の建築は伊勢神宮と同じ神明造。
大自然の静けさの中から神聖域を感じられます。
ここは正に神の領域。⛩から左手に
何百年も絶え間なく神のエナジードリンク💧
御神水が湧き出ています。
手を洗って自然乾燥すると、手がサラッッッサラに❗️
マジのおおマジ❗️ほんとービックリ🫢です
女性の方は髪がサラサラになりそう。
これは体に良いに決まってる👍
水道水が飲めなくなりそうな体になりそう。
毎日当家の神棚に捧げて、沸騰させてから
飲んでいます。御神水パワーを全吸収💧
全身の隅々まで染み渡り〜っりーりーりー💦
フォースが使える様になるかもー✨
何百年も絶え間なく
御神水が湧き出ています
神の恵み
ありがとうございます😊
赤城神社(あかぎ~)(三夜沢:みよさわ)は、群馬県前橋市三夜沢町にある神社。式内論社(名神大)で、上野国二之宮の論社。旧社格は県社。祭神は豊城入彦命(とよきいりひこ)と大己貴命(おおなむち)の2柱。上毛三山の一つ、赤城山を御神体として祀る神社で、関東を中心に約300社ある赤城神社の本宮と推測されるうちの1社。赤城山の南面の中腹にある。
創建は不詳。社伝によると、上代に豊城入彦命が上毛野を支配することになった際、大己貴命を奉斎したことに始まる。当社から1kmあまり登った場所に「櫃石」と呼ばれる磐座を中心とした古代の祭祀跡が残っている。『続日本後紀』には平安時代の839年に「赤城神」の神階奉授の記録があり、『日本三代実録』には神階昇叙の記載がある。また、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「上野国 勢多郡 赤城神社 名神大」と記載されており、赤城神社(大洞)、二宮赤城神社とともに、その論社となっている(当社または赤城神社(大洞)は山宮で、二宮赤城神社は里宮と推定されている)。その後、3社のいずれかが上野国二之宮になったとされている。室町時代の1345年頃になって、元からあった当社(東宮)の隣に西宮が遷座してきたことで、以降明治時代に入るまで、当社は東西2宮が併存する形で存続した。江戸時代中期の1762年に東宮が正一位に叙され、次いで1765年に西宮も正一位に叙されている。また19世紀初頭、赤城神社(大洞)との間で「本社」、「本宮」の文言を巡り、寺社奉行を巻き込んで争った。明治時代に入り、県社に列した。
当社は、JR両毛線・前橋駅から北東に道のり18kmの、赤城山の中腹にある。山中の神社ではあるが、境内は広くなく、見て廻るエリアには高低差がないので苦労はしない。巨木の森に囲まれた雰囲気は、古からの神聖な空気感を伝えており、場の空気が非常に良い。
今回は上野国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中、赤城神社(大洞)と比べると、若い男女はほとんどおらず、神社好きの夫婦や家族が集まっているような印象だった。
境内入口の<鳥居>と<社号標>。鳥居は高く大きく非常にシンプル。間から高木の奥に社殿が覗き、古社の風格と神聖な雰囲気が漂う。
数段の階段を上がって、鳥居をくぐる。
少し進んだ右側にある<手水舎>。池に浮かんでいる珍しい様式。
高木の林の中に進み、少し湿り気を帯びた森林の香りが心地よい。
社殿は一段高いところにあり、ステージの上に建っているかのよう。
<拝殿>全景。彩色を一切排した、非常にシンプルな神明造の拝殿。
<拝殿>正面。扁額さえかかっていない潔さ。
ビビッドな朱色で派手な印象の<大洞赤城神社>(当社と同じく、式内・赤城神社の論社)とは正反対の印象。
拝殿の後ろの<幣殿>と<本殿>。本殿は少し離れた、さらに高い場所にある。
<本殿>を写真に収めようとするが、木々が深くてよく見えない...
社殿の左手に向かう。シンプルだがきれいな<神楽殿>。
神楽殿の先に境内社のようなものが見えたので向かってみると、境内社ではなく<上泉伊勢守信綱>の木像。戦国時代の当地の武将で、新陰流を編み出した剣術師。若いころ、当社境内で剣術の修練をしたとのこと。(2017年にBS朝日で上泉信綱のドラマが放送されたらしい。)
上泉信綱像から社殿・神楽殿方向を望む。真上からのみ光が差し込み、神々しい雰囲気の境内。
最後に<拝殿>全景。華美に走らず、質実剛健とはこのことか。
拝殿下の石垣に設けられた<御神水>汲み場。真夏でもきりっとした冷たさ。
拝殿前から、下の段の境内を望む。とにかく場の空気がよく、素晴らしい神社。
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