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あかぎじんじゃ

赤城神社のお参りの記録一覧
群馬県 水沼駅

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惣一郎
惣一郎
2021年09月13日(月)1269投稿

赤城神社(あかぎ~)(大洞:だいどう)は、群馬県前橋市富士見町にある神社。式内論社(名神大)で、上野国二之宮の論社。旧社格は郷社。主祭神は赤城大明神、大国主命(大穴牟遅神)、磐筒男神、磐筒女神、経津主神、豊城入彦命。上毛三山の一つ、赤城山を御神体として祀る神社で、関東を中心に約300社ある赤城神社の本宮と推測されるうちの1社。赤城山の山頂の大沼のほとりにある。

創建は不詳。社伝によると、豊城入彦命が上毛野を支配することになって山と沼を奉斎し、允恭天皇、用明天皇の御代に社殿を創設した。『続日本後紀』には平安時代の839年に「赤城神」の神階奉授の記録があり、『日本三代実録』には神階昇叙の記載がある。また、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「上野国 勢多郡 赤城神社 名神大」と記載されており、赤城神社(三夜沢)、二宮赤城神社とともに、その論社となっている(当社または赤城神社(三夜沢)は山宮で、二宮赤城神社は里宮と推定されている)。その後、3社のいずれかが上野国二之宮になったとされている。
江戸時代直前、厩橋(前橋)城主に入封した酒井重忠が鬼門にあたる当社を篤く信仰し、社殿を改築、2代目酒井忠世は相殿に徳川家康公を祀った。1641年に落雷により社殿が焼失し酒井忠世が新築したが、元来の赤城大明神の山岳信仰と東照大権現の合祀により、将軍家をはじめ諸国大名の信仰を集めた。江戸時代後期の19世紀初頭、赤城神社(三夜沢)との間で「本社」、「本宮」の文言を巡り、寺社奉行を巻き込んで争った。明治時代に入り、郷社に列した。昭和戦後の1970年に現在の小鳥ヶ島に遷座した。

当社は、JR両毛線・前橋駅から北東に道のり30kmの、赤城山の山頂にある大沼の東岸に突き出た小島上にある。大沼は赤城山のカルデラ湖で、湖畔にはホテルや保養所など、リゾート施設が立ち並んでいる。境内はそこそこ広いが、古木が並ぶエリアは限定的。多くは砂地になっている。現社殿は築50年程度なので、まだまだ新しい感じ。御朱印本・雑誌への掲載に積極的であるほか、お洒落で可愛らしい授与品で人気が高い(特に十二単姿の赤城神を描いた御朱印帳は有名)。赤城山観光の中心地になっている印象。

今回は、上野国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中早めの時間、大沼まわりは家族連れ、ランニングの団体、自転車・バイクのグループ、クルマ愛好会などレジャーの人々でいっぱいで、当社にも多くの参拝者が来ていた。朝早めの時間で渋滞知らずで到着(9:30ごろ)したが、1時間後の帰り道は反対車線が大渋滞でびっくりした。(山頂までのワインディングは、クルマ好き、バイク好き、チャリンコ好きには堪らないコース。もし渋滞したら台無し...汗)

赤城神社のその他建物

駐車場近くの陸続きの境内入口。門柱には<赤城神社参道>と書いてある。

赤城神社の景色

遠くには<神橋>が見える。

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