あかぎじんじゃ
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楽しみ方赤城神社のお参りの記録一覧(5ページ目)

初めて彼と行った神社ここ、赤城神社。
初めての神社巡りに建物もすごくて圧倒しました。
空気も雰囲気も良くて、なおかつ大好きな人と巡れることが幸せを感じられたひと時でした。











榛名山、妙義山と並び、上毛三山の一つに数えられる赤城山の標高1,345メートルの山頂にある大沼は、面積88ヘクタール、最深度は16.5メートルの湖。赤城山の噴火に伴いできたカルデラ湖で、夏の行楽シーズンにはボート遊びなどの行楽客でにぎわうほか、湖面が凍結した冬場にはワカサギ釣りやスケートなども楽しむことができる。
その大沼の東側、半島状に突き出した小鳥ヶ島に鎮座するのが、上州二宮の赤城神社。赤城山をご神体として祀る神社で、その創始は赤城山の山岳信仰から始まったとされる。関東地方をはじめ、全国各地にあるおよそ300社の赤城神社の本宮といわれる社の一つで、ほかの赤城神社と区別して、「大洞赤城神社」とも称される。


















赤城神社(あかぎ~)(大洞:だいどう)は、群馬県前橋市富士見町にある神社。式内論社(名神大)で、上野国二之宮の論社。旧社格は郷社。主祭神は赤城大明神、大国主命(大穴牟遅神)、磐筒男神、磐筒女神、経津主神、豊城入彦命。上毛三山の一つ、赤城山を御神体として祀る神社で、関東を中心に約300社ある赤城神社の本宮と推測されるうちの1社。赤城山の山頂の大沼のほとりにある。
創建は不詳。社伝によると、豊城入彦命が上毛野を支配することになって山と沼を奉斎し、允恭天皇、用明天皇の御代に社殿を創設した。『続日本後紀』には平安時代の839年に「赤城神」の神階奉授の記録があり、『日本三代実録』には神階昇叙の記載がある。また、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「上野国 勢多郡 赤城神社 名神大」と記載されており、赤城神社(三夜沢)、二宮赤城神社とともに、その論社となっている(当社または赤城神社(三夜沢)は山宮で、二宮赤城神社は里宮と推定されている)。その後、3社のいずれかが上野国二之宮になったとされている。
江戸時代直前、厩橋(前橋)城主に入封した酒井重忠が鬼門にあたる当社を篤く信仰し、社殿を改築、2代目酒井忠世は相殿に徳川家康公を祀った。1641年に落雷により社殿が焼失し酒井忠世が新築したが、元来の赤城大明神の山岳信仰と東照大権現の合祀により、将軍家をはじめ諸国大名の信仰を集めた。江戸時代後期の19世紀初頭、赤城神社(三夜沢)との間で「本社」、「本宮」の文言を巡り、寺社奉行を巻き込んで争った。明治時代に入り、郷社に列した。昭和戦後の1970年に現在の小鳥ヶ島に遷座した。
当社は、JR両毛線・前橋駅から北東に道のり30kmの、赤城山の山頂にある大沼の東岸に突き出た小島上にある。大沼は赤城山のカルデラ湖で、湖畔にはホテルや保養所など、リゾート施設が立ち並んでいる。境内はそこそこ広いが、古木が並ぶエリアは限定的。多くは砂地になっている。現社殿は築50年程度なので、まだまだ新しい感じ。御朱印本・雑誌への掲載に積極的であるほか、お洒落で可愛らしい授与品で人気が高い(特に十二単姿の赤城神を描いた御朱印帳は有名)。赤城山観光の中心地になっている印象。
今回は、上野国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中早めの時間、大沼まわりは家族連れ、ランニングの団体、自転車・バイクのグループ、クルマ愛好会などレジャーの人々でいっぱいで、当社にも多くの参拝者が来ていた。朝早めの時間で渋滞知らずで到着(9:30ごろ)したが、1時間後の帰り道は反対車線が大渋滞でびっくりした。(山頂までのワインディングは、クルマ好き、バイク好き、チャリンコ好きには堪らないコース。もし渋滞したら台無し...汗)

駐車場近くの陸続きの境内入口。門柱には<赤城神社参道>と書いてある。

遠くには<神橋>が見える。

参道を歩いていると、立派な社殿が見えるこちらに到着。

拝殿に向かって左手にある<手水舎>。

<拝殿>全景。大きく立派。両サイドの狛犬は、サイズ大きめで、新しいもの。

<拝殿>正面。割と小さい扁額には<赤城大明神>と書いてある。

拝殿の左手にある<授与所>の入口。たくさんの授与品がある。十二単の平安美女を描いた御朱印帳が有名。御朱印はこちら。

拝殿後ろの<本殿>。拝殿に比して小さ目。

<社殿>全景。ビビッドな朱色が印象に残る。

拝殿の左側の林。境内社はなく、石碑がいくつか立っているのみ。

境内から見た<大沼>。当社は大沼の東岸にある。

南側に進んで、社殿からちょっと離れて見る。境内の木々の高さはだいたいこのくらい。1970年に遷座して来たので古大木は見当たらない。

さらに湖岸に沿って南下すると、赤い燈籠が並ぶ。参道みたい?

やがて湖岸南端に近づくと<鳥居>が。実はこっちが正しい参道だったらしい...(^_^;)

鳥居に繋がる<神橋>。かつてはここを通って参拝したのかな? 自分の参拝時点では通行不可...
※2020年8月30日現在

先週、妙義神社でもらった「上毛三山スタンプラリー」の台紙は、昨日の榛名神社と当社参拝でコンプリート~♪ (^▽^)/
興味が湧くと、せっかちな性分で、ついつい急いで廻ってしまった...(^_^;)

群馬、草津への神社仏閣巡りツアーの最後に立ち寄ったのが、赤城神社です。赤城山の山頂にあり標高も1345mと高くかなり寒いです。湖の辺りに神社が有りますが、湖が凍っておりワカサギの穴釣りをやっている程、気温が低いところでした。

本殿


大沼湖畔にあり、湖が凍っているため氷の上にあるみたいでした

神社の反対側の湖畔からの写真です


御朱印です。
書置きのみ

赤城神社、前橋市の市内にある神社に訪問させてもらったことはありましたが、山中の神社訪問は初めてでした。道路標識や、カーナビに従って進むと、どんどん山奥に入っていきます。急なカーブをいくつも通り過ぎた後に急に神社が現れます。湖のほとりで、とても雰囲気のある神社でした。
山奥の割には人手が多く、人気のじんじゃなんだねぇなんて思いながら参拝。
社務所、きれいでしたが御朱印が印刷物。コロナ前だったので、なんだか物凄くがっかりしたことを覚えています。日付だけ入れるようになってまして、他は印刷されたものでした。事前に手書きしてあり、日付だけ入れるならまだしも・・・
まぁ、それだけ人気ということですよね。
御朱印の天転売が話題になった時期でもあるししかたないのかなぁ。

上毛三社巡りの3か所目は赤城山の赤城神社。
赤城山には赤城神社が3つもあったんですね。
区別するために大洞赤城神社と呼ばれることもあるそうな。
ここら辺は標高1300mほどあるので、妙義神社、榛名神社に比べれば涼しかったです。
大沼にせり出した小鳥ヶ島に鎮座していて、啄木鳥橋を渡って参拝に行くのが一般的なようですが、現在、啄木鳥橋は老朽化のために工事中。渡ることができませんので、駐車場から直接境内に入ることになります。
先に参拝した妙義神社、榛名神社に比べるとシンプルで、近代的です。拝殿は彫刻などの装飾はありませんが、全体的に朱色に塗られ、目に鮮やか。
それほど広い神社ではないので、一通り見て回るのに30分かからないでしょう。
ちょうど夏祭りの日だったので混雑を覚悟していましたが、それほどではありませんでした。大沼の反対側湖畔からジャズが聞こえていました。

御朱印は見開きで、書置き対応です。
御朱印右部は啄木鳥橋の写真。御朱印の一部が写真になっているのはちょと珍しい。
あっ、神田明神もそうでした。

赤城神社は、女性の願いをかなえてくれることで人気の神社ですが、こちらの御祭神である伝説の美女・赤城姫の姿をあしらった御朱印帳がとても人気です。
御朱印帳人気ランキングで常に上位にあります。
私もぜひ頂きたいと思っておりました。
通常の帳面は朱色に十二単の着物を着た赤城姫姿がデザインされていますが、8/1から色違いの秋バージョンも頒布されておりました。
迷いましたが、時期限定の秋バージョンを頂いてきました。
紅葉をイメージした色でしょうね。
サイズは18cm×12cmの大判です。
これを持って、神楽坂の赤城神社に行ってみるか
( ̄∀ ̄*)イヒッ

啄木鳥橋。
今は通行止め。

啄木鳥橋を渡ってくるとすれば、最初に目にする神門。

鳥居には赤城大明神と書かれています。
神社の由緒を見ると御祭神は赤城大明神とありますが、赤城姫が出てこない・・。
調べたら、赤城姫=赤城大明神だったんですね。
継母に殺されそうになった時、赤城山に逃げ、赤城の沼の龍神に助けられ、その後を継いで、赤城大明神になったとのことでした。

赤城山大沼

湖畔の参道

赤城神社本殿。
全国300以上もある赤城神社の本社の一つと言われております。

赤城山の長七郎、地蔵岳登山後に赤城神社に寄ってきました。
大沼にある社、静かで幻想的な感じでした

大きな立派な社です

鳥居も立派です

今は通行止めになってます

赤城神社の御朱印
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