御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年5月
西方寺ではいただけません
広告

臨済宗建長寺派

西方寺
群馬県 西桐生駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-

おすすめの投稿

たかく
2019年09月22日(日)
133投稿

桐生氏(家)歴代の墓所のある西方寺は鎌倉時代末期より約650年以上の歴史があり、寺の伽藍は南向きの緩やかな岡の斜面に建立されていて桐生氏歴代の墓所の高台まで登ると眼下の景色も素晴らしく遠く富士山も年に数回観望できる。寺伝では、鎌倉時代安貞年間(1227年頃)野州の豪族宇都宮弥三郎頼綱公が出家して浄土門徒となりその仲間の者が当地へ来て堂宇を構えたのが本寺の草創である。その後当地の豪族桐生国綱公は観応元年(1350年)檜杓山(城山)に桐生城を築き、このとき浄土宗宝樹山西方寺を建立した。およそ40年後3代桐生豊綱公は禅宗の教義に共感し、当時の名僧峻翁令山和尚(法光円融禅師)を頼んで臨済宗に改宗した。令山和尚の記録によると明徳3年(1392年)5月1日とある。第1世の萬古梵亘和尚は鎌倉大本山建長寺第97代目住職を務めた高僧であった。その後約100年間は記録上空白となった。第2世天叟中樹和尚はあじさいで有名な現在の鎌倉明月院を塔頭とした禅興寺(今は廃寺)から来山し、9代助綱と共に本尊胎内銘文中にその名を残している。その後天正元年(1573年)桐生家は滅び寺は外護者を失うが、江戸時代前期までに末寺7か寺、塔頭二院を持つ本寺となり、また御朱印寺としても十五石七斗の寺領を江戸幕府より認められていた。文政6年(1823年)の火災では、わずかに本尊他仏像を残しただけで全山焼失し、資料等も失われた。大正時代には第24世徳隣和尚の時本堂が、昭和の第25世大道和尚の時旧庫裡、鐘楼が再建され、さらに現本堂、桐生塔が順次建てられた。現在の客殿・庫裡は平成15年に落成し、檀信徒や地域住民の方々に見守られ往年の姿を取り戻しつつある。桐生市仏教会より

西方寺の建物その他
西方寺の庭園
西方寺の庭園
もっと読む
投稿をもっと見る(1件)

西方寺の基本情報

住所群馬県桐生市梅田町1-266
行き方
アクセスを詳しく見る
名称西方寺
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0277-32-1448
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

宗旨・宗派臨済宗建長寺派

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ