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楽しみ方前橋東照宮のお参りの記録一覧
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寛永元年(1624)、結城秀康の五男である松平直基により最初の領地であった越前勝山で創建された。
寛延2年(1749)、松平朝矩が姫路藩から前橋藩に国替えとなったが、水害により前橋城を廃棄し、明和4年(1767)川越城へ移転した。その時、東照宮も移転し、現在の社殿はこの時期に川越で造営されたものである。
以後は代官に前橋を治めさせていたが、慶応3年(1867)、松平直克が念願の前橋復帰を果たし、東照宮も社殿を解体して前橋に移転をはかったが、幕末の混乱により再建は明治4年(1871)となった。
江戸時代初期の前橋藩主・酒井重忠は天満宮を創建し、酒井氏時代から長く崇敬されていた。これを明治4年に合祀したものである。また、明治31年(1898)には長壁神社も合祀され、現在に至る。

前橋東照宮は、群馬県前橋市にある神社。旧社格は県社。徳川家康公(東照大権現)を主祭神に、木花咲耶姫、菅原道真、長壁姫を合祀。正式名称は「東照宮」。
当社は、江戸時代初期の1624年、結城秀康(徳川家康の次男)の五男・松平直基により、最初の領地であった越前勝山(福井県)に創建。江戸中期の1749年、松平友矩が姫路藩から前橋藩に国替えとなったが、水害により前橋城を放棄し、1767年川越城へ移転し、川越藩と称した。東照宮もこれに合わせて移転し、現在の社殿はこの時期に川越で造営されたもの。以後、前橋は代官に治めさせたが、1867年に松平直克が念願の前橋復帰を果たし、東照宮も社殿を解体して1871年に前橋に移転した。江戸時代初期の前橋藩主・酒井重忠は天満宮を創建し、酒井氏はこれを長く崇敬していたが、1871年に東照宮に合祀、1898年には長壁神社を合祀た。
当社は、JR両毛線・前橋駅の北西2kmの利根川沿いにある前橋城跡にある。街中の大神社らしく、
境内は広いが草木は少ない。社務所棟は大きな現代建築。残念なことに、川越から移築した自慢の社殿とその参道が大規模工事中であったため、近くにいるのに遙拝となった。
今回は旧社格が県社ということで参拝することに。参拝時は週末の昼ごろで、さすが都会の大神社、参拝者はぱらぱらとそれなりにいた。
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