まえばしとうしょうぐう
前橋東照宮のお参りの記録一覧(2ページ目)
本日2社目です。前橋から赤城山に上がったので麓に降りて市の中心に有ります。
近代的に整備されてます。由緒書によると令和3年に大改修とあるので納得です。さほど広くは無いですが車も15台程止められます。「はらい川」は水があまり流れて無かったので川には見えませんでした‥。
迷いましたが上州神社〜神玉巡り〜のセットを購入。パンフも手に入れてたので徐々に集めて行こうと思います。本日は長年行きたかった別の神社に行く予定です。
改修のさいに白梅と紅梅を植樹したようですがまだまだ小さく絵馬に隠れてました。
季節の御朱印と何種類かあります
大通り沿いに鎮座してるので、大きな鳥居まで写すのはムリです
東照宮なので手水舎も葵の御紋入り
参拝者も多めでしたが、タイミング良く無人で撮れました
玉の向きが裏です😓
前橋東照宮に久しぶりの参拝です🙆
県庁からすぐ近くです❕
令和の大改修が終わって、ガラリと変わりました。
今月の限定御朱印を頂きました✨
限定御朱印
拝殿
本殿は中にあります。
近くの公園 パンジーかな
群馬県前橋市の前橋東照宮に伺いました。
日光東照宮のような煌びやかさはないですが、立派な拝殿です。
前日に雪が少々積もったようで、境内に雪が残っておりました。
御朱印は日光東照宮で頂いた御朱印帳に直書き頂きました。
この御朱印帳は陽明門の大改修の記念御朱印帳で、拝受は平成31年3月30日。
頂いたときは、これで東照宮巡りするぞ~って意気込んでいましたが、
日光、上野、芝、仙波で頂いて以降ストップしておりました😅
2年ぶりの出陣です🤭
書置き御朱印は月替りと季節のものがありましたが、
季節のものを頂きました。
「七つの神玉を集めたら願いを叶えてしんぜよう」
って神様がおっしゃっております🐲 ので
やらない選択肢はぬぁーい🙆♂️ つー事で
心を込めて集めさせて頂きます🫡題して
『神様大好きおんぶにだっこドラゴンボールin群馬編』
三社目は前橋東照宮へ⛩
御祭神はもちろん徳川家康公 東照大権現様☀️
江戸時代中期に松平家が移封の際に創祀されました。
この辺り一帯は川の氾濫が多く、沢山の被害が
あったようです。ここで登場大権現様☀️
やっぱり家康公頼みの神通力をあやかりたいと
願ったのでしょう。
是非とも自分もあやかりたいです🫡
いつの時代も家康公の偉大さは変わりませんね🌈
この度も金の御朱印帳に直書きして頂きました⭕️
夢を願いを叶えてちょうだいませませ🙇♂️
鶴舞う形の群馬県ですから
七つ集めたら神の御加護がきっとある事でしょう🌈
つ・か・も・う・ぜ❗️ドラゴンボール🐉
世界でいっとー神玉巡り🎵
久しぶりに東照宮様に参拝いたしました☔
社殿が立派になってましたね。
直書きの御朱印と夏限定の御朱印(8月)を頂きました🎵
夏の御朱印
通常の御朱印
では参ります。
社殿は令和の大改修でした。
前橋神社巡り③利根川を渡った川沿いに鎮座しています。新しくなり、現代的でおしゃれな装い。最近は参拝者も増えたとのこと。個人的には子供が境内で遊ぶ村の鎮守的な方が好みです。社殿は東照宮的な極彩色ではありません。経年劣化で色が落ちたとのことです。ホテルのフロントの様な社務所で御朱印を書き入れて頂き、境内社の岩神稲荷神社の書き置きの御朱印を戴きました。
社号標
鳥居
由緒書
境内社 厩橋護国神社
境内社鳥居
境内社 栄築稲荷神社
手水舎
車の祓殿
拝殿
主祭神は東照大権現ですが、長壁姫も合祀されています
元は姫路城の天守閣に祀られており、厳密にいうと姫路城の刑部神社は元宮で神様が祀られていないことになります。長壁姫とは妖怪ですが、妖怪が神さんとして祀られるんですね。
拝殿扉の彫刻
現代的なガラス張りの覆屋
五角絵馬掛 菅原道真公も合祀されているので中には白梅が植えられていますが、まだ小さくて、見えません
紅梅もまだまだ小さい
狛犬
神輿
だるま納所 有料です
文化財説明板
はらい川
水は流れていませんでした
水占い
北原白秋・萩原朔太郎記念撮影の地
本当に利根川の際に鎮座しているのが判ります
JR両毛線前橋駅から徒歩25分くらいのところに居られます。
社殿が新しくてピカピカで近代的な印象です。
境内にカフェがあり、ゆっくりとくつろぐことができました。
駐車場の端のほうにひっそりと護国神社も居られました。
前橋での御城印イベントに行った流れで前橋城に行き、その足で参拝しました。
なかなかにお洒落な社殿です。
水が奇麗ですね。
真っ白な狛犬さんです。
生まれ年はチェック忘れ…
手水も4連で珍しいですね。
護国神社です。
群馬と言えば埴輪ですね。可愛い。
日光東照宮を擁する栃木県民なのに何ですが、しょっちゅう狸オヤジとかdisってるように、私、三英傑の中で徳川家康が一番嫌いですw (静岡県のかた本当にすみません)
「織田がつき羽柴がこねし天下餅 座して喰らふは徳の川」
この戯歌ごとく、家康が天下取れたのはなんか漁夫の利というか棚ぼた感をすんごい感じるので(^^;
もちろん竹千代君も幼少期の過酷な人質生活、信長・秀吉から受けた数々のパワハラ、神君伊賀越えなど危機的状況を何度も潜り抜けて天下を取った超人ですが、やはり歴史が浅すぎていまいち神としてのイメージが湧かない( ゚д゚)?
武田勢にビビってウ○コ漏らしたこともあるしなw
(まぁ素戔嗚尊の高天原での天津罪とかを見るに、日本の神様なんてそんなものかもしれませんが(^^;)
何より地元の唐沢山城と佐野家改易のぐう畜エピソードへの反発が大きい。
火事で真っ先に江戸に駆けつけたら逆にそれに難癖つけられて取り潰し、現代でいえば被災地で決死の救助に当たる自衛隊の方々に難癖つけるサヨクのようなものかと(違w)
ホトカミに一番最初に投稿した世良田東照宮のように、なんとなく家康公とは波長も合わないみたいだしね(^^;
さて、そんなワケで次の目的地を決めるに当たり、前橋東照宮だけは絶対にないない(ヾノ・ω・`)と思ってたのですが・・・
なんとここ、兼務社御朱印が豊富でしかも全て手頃な距離!Σ(゚∀゚) 残りの時間巡礼するのにピッタリだったので手のひら返しして行くことにしました♪www
県庁近くのかなり交通量の多いところで、また改装中ということもあり駐車場入るのにやや苦労。
実質一方通行で、一度入り損ねて神社の周りを2週くらいしてしまった(>_<)
境内も工事や整備の関係者さんがまだいろいろ作業中でした。
神社はかなり現代的で、社務所もまるでホテルのロビーのよう。
よく行く冠稲荷神社も結婚式場併設のためかわりと近代的ですがここは究極の姿かも。
よく小規模な神社行くと、プレハブ小屋みたいな社務所でバイトの巫女さんが寒そうに奉仕しているのを見ますが、ここに勤めてる巫女さんや禰宜さんは快適だろうな~、やっぱ寺社界にも労働格差ってあるのね(;-ω-)とか、現実忘れようと寺社に来てるのにいらんこと考えてみたりw
祭神は狸オヤジオンリーかと思ったのですが、まさか刑部姫なんて超レアキャラも祀られてるとは思わなかった!Σ(゚Д゚)
やっぱムリしてでも御札授かるべきだった(>_<)
てことで、改装が終わった頃にまた参拝します♪
(さんざん家康disっといて・・・まさに神を恐れぬ所業w)
ここも総社神社と同じく東照宮の御朱印だけでも結構な種類があったのですが、兼務社御朱印だけで予算オーバーだったのと、家康に思い入れがないので通常物だけいただきましたw
一ノ鳥居
この辺りかなり交通量が多かったため外からは撮影できず
寺社の古札納め所はだるま不可の所が多いですが、ここはそれなりに規模がある神社のためか、高崎の隣りという土地柄もあってか、だるま専用納所がありした
車祓え所も立派ですね
結婚式場や撮影スタジオなんかもあるためか、休憩所もオサレですな♪
あぁ・・・そういえば御巣鷹山もグンマーだったな(-ω-)
小さいお稲荷さん
拝殿
改装中らしく職員の方がいろいろ作業中でした
紅白の梅がありましたが、絵馬堂に囲まれてほとんど見えんかった(^^;
近代的な拝殿
本殿
祭神は家康公と天神様と木花咲耶姫
そしてなぜか姫路城の天守閣に住まうという妖怪 刑部姫も祀られてるらしい!?Σ(゚Д゚;)
(ここでは長壁姫と表記)
裏手に厩橋護国神社
西南戦争以来の英霊を祀ってるそうです
ウクライナ紛争終結を願ってとりわけ熱心に拝んできました(-人-)
他国の戦争に日本の英霊の力が及ぶかどうかはわからないが、今のロシアつーかプーチンの動向を見ると、ヘタすりゃ第三次世界大戦で地球ヲワタになりかねないからね(>_<)
裏側にかなり大きくてカコイイ忠魂碑あり(*´Д`)
隣にお稲荷さん
栄築稲荷神社
本殿裏にししおどし
この辺り利根川の河川敷のためか赤城下ろしがいっそう強く、水がかなり狙いを逸れてたw
正面に見えるは群馬県庁
辺りは公園でちょうど河津桜(?)が満開
高台を上ると「さちの池」というのがあり、その向こうは利根川
社務所+授与所はまるでホテルのロビーか図書館
御朱印書いていただいてる間、家康アニメを視聴
狸オヤジに闇落ちする前の「きれいな竹千代君」
奥の坊さんは今川家の名軍師 太原雪斎らしい
てか演出とはいえ雪斎さん、敵国の若殿に薫陶とか与えちゃダメでしょw
まぁこの人が生きてたら桶狭間の敗戦もなく今川家が天下取ってたかもしれんので、家康の出る目もないけど
ロビー内にもキレイな中庭
原哲夫先生の「影武者 徳川家康」より
まんま険が取れた「きれいなサウザー」だなww
一方「花の慶次」の家康公
主人公補正が外れると非常に悪そうですw
刑部姫の資料を引っ張ってきましたw
狸オヤジだけじゃなくこんなのも祀ってるなら、ぜひとも女神コレクション用に御札授かるべきだった(>_<)
てことでまたそのうち参拝しますw
神罰?ナニソレ( ゚д゚)
麻呂は帝の臣であって徳川ごときの家来ではおじゃらん!
令和の大改修により近代的な神社になっていました😲
ビフォーは行ったことありませんでしたが💦
ピカピカでした✨
お賽銭箱の隣に荷物置き場が😲
社務所内にカフェが出来てました~
店員さんがイケメン🤭
寛永元年(1624)、結城秀康の五男である松平直基により最初の領地であった越前勝山で創建された。
寛延2年(1749)、松平朝矩が姫路藩から前橋藩に国替えとなったが、水害により前橋城を廃棄し、明和4年(1767)川越城へ移転した。その時、東照宮も移転し、現在の社殿はこの時期に川越で造営されたものである。
以後は代官に前橋を治めさせていたが、慶応3年(1867)、松平直克が念願の前橋復帰を果たし、東照宮も社殿を解体して前橋に移転をはかったが、幕末の混乱により再建は明治4年(1871)となった。
江戸時代初期の前橋藩主・酒井重忠は天満宮を創建し、酒井氏時代から長く崇敬されていた。これを明治4年に合祀したものである。また、明治31年(1898)には長壁神社も合祀され、現在に至る。
前橋東照宮は、群馬県前橋市にある神社。旧社格は県社。徳川家康公(東照大権現)を主祭神に、木花咲耶姫、菅原道真、長壁姫を合祀。正式名称は「東照宮」。
当社は、江戸時代初期の1624年、結城秀康(徳川家康の次男)の五男・松平直基により、最初の領地であった越前勝山(福井県)に創建。江戸中期の1749年、松平友矩が姫路藩から前橋藩に国替えとなったが、水害により前橋城を放棄し、1767年川越城へ移転し、川越藩と称した。東照宮もこれに合わせて移転し、現在の社殿はこの時期に川越で造営されたもの。以後、前橋は代官に治めさせたが、1867年に松平直克が念願の前橋復帰を果たし、東照宮も社殿を解体して1871年に前橋に移転した。江戸時代初期の前橋藩主・酒井重忠は天満宮を創建し、酒井氏はこれを長く崇敬していたが、1871年に東照宮に合祀、1898年には長壁神社を合祀た。
当社は、JR両毛線・前橋駅の北西2kmの利根川沿いにある前橋城跡にある。街中の大神社らしく、
境内は広いが草木は少ない。社務所棟は大きな現代建築。残念なことに、川越から移築した自慢の社殿とその参道が大規模工事中であったため、近くにいるのに遙拝となった。
今回は旧社格が県社ということで参拝することに。参拝時は週末の昼ごろで、さすが都会の大神社、参拝者はぱらぱらとそれなりにいた。
境内東側にある<鳥居>と<社号標>。
鳥居をくぐって、すぐ左側にある<手水舎>。
鳥居をくぐって、右手にある<東照宮仮殿>。なんで仮殿?
鳥居をくぐって、正面を向くと社殿の屋根は見えるが、その手前にテントがあって<遥拝所>の看板が。あと<創建四百年記念・令和の大改修>とある。なるほど、絶賛工事中ということか...( ;∀;)
工事現場のフェンス越しに見える<本殿>①。銅葺屋根が真新しいのかな?
工事現場のフェンス越しに見える<本殿>②。本殿のサイズはかなり大きい。
本殿の真裏にある<営築稲荷神社>の鳥居。
<営築稲荷神社>の社殿。江戸時代末期1863年創建。松平直克が前橋城再築にあたり工事の安全を祈願するために勧請。宇迦之御魂神を祀る。
境内の北西角にある<厩橋(うまやばし)護国神社>。明治時代の1877年創建。西南の役から大東亜戦争に至る、前橋出身の英霊2346柱を祀る。
<厩橋護国神社>左側にある<招魂碑>。
<仮殿>近くまで戻る。中央は境内で最も高い木(御神木かな?)。左側は<五角の絵馬掛>、右側は<はらい川>、右後ろは<仮殿>。
手水舎の右側に入口がある<社務所>。内部は冷暖房完備、授与所にカフェ併設。休憩スペースでは、御祭神の徳川家康公のアニメを放映している。
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