ひだいちのみやみなしじんじゃ
飛騨一宮水無神社のお参りの記録(1回目)
御由緒など詳しいことはHPや先達方々のご投稿に
ありますので、ご覧下さいませ。
私がHPで心に留まりましたのは、
安永2年(1773年)飛騨一円をまきこむ農民一揆「大原騒動」が起き、当社が大集会の地となり、神職の山下和泉、森伊勢の両名が騒動に連座したと処罰され、山下、森両家に代わり安永7年(1778年)信州より梶原伊豆守家熊が招かれて、従来の両部神道を唯一神道に改めて阿弥陀堂、鐘堂、仁王門を撤去して社殿の大改修を行い、祝、社人、社司などと称した職名を宮司(大宮司)制に改め、安永8年(1778年)8月13日から15日までの3日間、飛騨国中の神々を招請して太々神楽を執行し神社の面目を一新しました。
これが現在まで続く「飛騨の大祭」の元であると云われています。
明治時代に入り明治元年(1868年)政府の発布した神仏判然令に基づき、神仏分離を進め社内にある仏像や仏教関係の古文書等多くを撤去し、明治4年(1871年)5月14日国幣小社に列格し、明治5年(1872年)6月太政官布告をもって世襲神主である社家を廃し、山崎弓雄を当神社権宮司に、市村成章を祢宜に任じて以降、戦後の神社制度の改正まで歴代官選の宮司が任命され、島崎藤村の父であった島崎正樹が明治7年(1874年)11月13日から明治10年(1877年)12月8日までの3年間ほどを宮司として在職しています。
という部分です。
島崎藤村は岐阜県中津川市の生まれとか。
勉強不足の私は、島崎藤村も、父の島崎正樹のことも、ほとんど知識はありませんが、そういう有名な方とご縁のある神社⛩であることを知りますと、しみじみとした趣きを感じます。
直書きもして頂けますが、キラキラ✨の書置きを頂きました💕
ご投稿の皆さんが仰る通り、西洋風の狛犬さまですね。本当に今まで(と言ってもまだ初心者🔰ですが😓)見たことないタイプの狛犬さまです。
幹の太さに圧巻です😳
こちらの神社で1番見たかった神馬さまです。左甚五郎さんの作品に興味があります。
見上げてばかりいたら、首が痛くなります🤣
子🐭
説明不足ですが、見どころいっぱいの神社さまでした。
ご覧頂きありがとうございました😊🙏🏻
すてき
みんなのコメント(3件)
なむなむさん、こんばんはー!
キラキラ御朱印、いきましたね。これはかなりイケてます。とっても綺麗ですね。
あと、左甚五郎への思い、伝わってきます。私も、左甚五郎と聞くとビビっと来ちゃうので<黒駒>の写真、すごく良いです。(o^―^o)
もう一つ、絵馬殿の絵馬、かなり多くの絵馬の写真を載せておられますが、確かに当社の最大の魅力の一つなので、全部載せちゃったのもすごく良いと思います。
やはり、同じ神社を参拝しても感性の違いで写真が違てくるので、めっちゃ楽しく拝見させていただきました!(^▽^)/
惣一郎さま✨
コメントありがとうございます😊🙏🏻
いやぁ〜、惣一郎さまにお褒め頂き、恐縮致します。ありがとうございます。
駆け足で回りますと、いざ投稿する段になると、あれ?どうだったかな?
というように、時間や日をかけてしまうと、記憶が曖昧になってしまいまして😓
本当は参拝中に、目の当たりにしながら投稿するのが新鮮で、ライブ感があるのかも知れませんね。
そんな高度なテクニックは初心者🔰の私には無理なんですがね😅
左甚五郎の黒駒、ガラスの向こう側でしたね?なかなか上手く撮れなくて、
iPhoneをガラスにくっつけて撮りました😅
絵馬の写真、十二干支全部載せて、しつこいかな?と思いましたが、惣一郎さまにそう言って頂き、ホッ😮💨としました。
惣一郎さまにご紹介頂き、参拝出来たこと、大変嬉しく思っています。
また後日、飛騨国分寺、等々、ぼちぼち投稿致します。
誠にありがとうございました😊🙏🏻
なむなむさん~♪
後から思い出してみて、あれ?どうだったかな?ということなんて、自分もしょっちゅうありますよ。
初対面の人をあとでディテールで思い出すのが難しいのと同じだと思いますので、そこは気楽にご対応いただければ良いと思います(といっても、ときどき住職さんや宮司さんがホトカミユーザーだったりするので、多少の慎重さも必要ですが)。
左甚五郎の黒駒、自分もiPhoneをガラスにくっつけたのですがダメでした...(^_^;)
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なむなむ160投稿
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