ひだいちのみやみなしじんじゃ
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飛騨一宮水無神社ではいただけません
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飛騨一宮水無神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年08月30日(火)
参拝:2022年8月吉日
【飛騨國 式内社巡り】
飛彈一宮水無神社(ひだいちのみや・みなし~)は、岐阜県高山市一之宮町にある神社。式内社で、飛騨國一之宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は水無大神(御歳大神ほか14柱の総称)。神体山は位山。
創建は不詳。国史には平安時代初期の867年に神階奉授、881年に神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「飛騨國 大野郡 水無神社 小」に比定されている。のち飛騨國一之宮とされ、神仏習合が進み「水無大菩薩」、「水無大明神」、「水無八幡宮」とも称された。戦国時代に祭祀が途絶えたが、江戸時代に入り1692年から吉田神道系に属した。
江戸中期の1773年、飛騨一円を巻き込む農民一揆「大原騒動」の際には当社が大集会の地となった。この時、神道制度の大改革が行われ、飛騨国中の神々を招請して太太神楽を執行したのが現在の「飛騨の大祭」の元となっていると言われる。その後は唯一神道に基づいて仏教を一掃し、阿弥陀如来像および仁王門を一位山往還寺に、その他仏具等を袈裟山千光寺に移した。明治時代に入り、近代社格制度の下、国幣小社に列格した。明治初期、島崎藤村の父が3年間宮司を務めた記録がある。
当社は、JR高山本線・飛騨一ノ宮駅の南東400m、宮川と国道41号線を越えた住宅地の中、平地にある。間口の広い入口から大きな絵馬殿が建ち、巨木が聳え、広々とした参道を進むと緩やかに段差を登りながら瑞垣に囲まれた社殿に至る大社らしい造り。境内は明るく草木は少なめだが、社殿の後ろや随所に古巨木が立っているところに古社らしさを感じられる。
今回は、飛騨國の式内社、飛騨國一之宮、旧国幣小社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、自分たち以外にもぱらぱらと参拝者が訪れていた。
境内北西端入口全景。大社らしい外観。
階段を登って<鳥居>をくぐる。
鳥居の左側にある<狛犬>。今まで数百社でも見たことがない、西洋風(?)のスタイル。まるでパルテノン神殿から抜け出して来たみたい...(^_^;)
鳥居をくぐって左方向にある<絵馬殿>。扁額には「水無神社」とある。
江戸時代初期1607年、飛騨国主となった高山城主・金森長近の造営。
江戸時代初期1607年、飛騨国主となった高山城主・金森長近の造営。
たくさん掛かっている絵馬のうちの一枚。「文政貮年」とあるので、江戸時代後期の1819年のもの。
鳥居の右側にある<狛犬>。口を開けても西洋風。ギリシャ出身かローマ出身か。
狛犬の後ろにある<大スギ>。推定樹齢800年、樹高35m、目通り幹囲6.4m。岐阜県指定天然記念物になっている。
大スギの近くにある「伝説の木 ねじの木」。自然の作用でねじ曲がった珍しいヒノキの木。
階段を数段登って社殿に向かう。写真右端に見えるのは「二本桧」。推定樹齢700年以上、樹高40m、目通り幹囲4.6m。
階段を登ってすぐ右手にある<神馬二体>。大きな白駒(祈晴の神馬)と小さな黒駒(稲喰神馬)の2体が収められている。黒駒は「左甚五郎」の作と伝わる。
神馬舎の左隣にある<白山神社>。白川村に建造された御母衣ダムに沈んだ2つの集落の<白山神社>を合祀しここに創建したもの。
<社殿>遠景。周囲の森に包まれる造り。
社殿に向かって左側にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所の前、社殿よりの場所にある<手水舎>。
本殿を囲む瑞垣に設けられた<神門>。
神門から瑞垣内部、<拝殿>を望む。
神門から瑞垣内部、左側を望む。
神門から瑞垣内部、右側を望む。
拝殿前左側の<狛犬>と<青銅燈籠>。なるほど、こちらの<狛犬>も西洋風。
拝殿前右側の<狛犬>と<青銅燈籠>。
神門の手前、左側にある建物。内部には鏡などが置いてあるので末社?(。´・ω・)?
社殿の左側にある<飛騨一宮稲荷社>の鳥居。
鳥居の奥にある<飛騨一宮稲荷社>の社殿。
境内と思われる場所の北側にある<参集殿>、<講堂>、<慰霊碑>。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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