ぜんとうじ|曹洞宗
禅幢寺のお参りの記録一覧
西美濃三十三霊場 第十六番札所。明応3年(1494年)薩州金幢寺の僧正硯和尚が開基した。宗旨は曹洞宗。
豊臣秀吉の軍師として活躍した竹中半兵衛重治公は天正7年(1579年)病没。当寺の重治公の墓は、天正15年(1587年)長男重門が播州三木から移葬したもの。
現在の本堂は重治公の孫、重常公が寛文3年(1663年)に建立した。
~当寺 由緒書きより抜粋
竹中家菩提寺として有名ですね。
西美濃三十三霊場公式HPによると小西行長の墓もあるらしいのですが… 見逃し三振しました😆
残念ながら御朱印(書置き)は、在庫切れでした😅
寺標
山門
鐘楼
程
竹中半兵衛重治公の墓
残念ながら今日はご縁がありませんでした
垂井町岩手地区の竹中家ゆかりの地を巡りました。禅幢寺は竹中氏とその家臣の菩提寺で本堂から向かって左奥にお墓があります。竹中家の家紋には「九枚笹」と「餅紋」があります。姉川の戦の折、半兵衛公が受けた矢が懐に入れていた餅に当たって命を救われたことから「黒餅」を家紋としたそうです。半兵衛公のお墓の中央の瓦には「黒餅」の家紋が描かれていました。江戸時代、垂井町では俳句が盛んで竹中家家臣で美濃派十五世の国井化月坊のお墓もありました。続いて竹中氏陣屋跡を訪れました。岩手小学校の敷地内にあります。櫓門は明治時代「幕府建造物破壊令」によって壊されそうになりましたが地元の方々が「これは菁莪学校の正門である」と主張して残されたそうです。明治政府に屈しなかった岩手の方々。信長公の意に反して松寿丸をかくまった半兵衛公に通じる気概を感じました。
山門
本堂
重軽地蔵さま
竹中半兵衛重治公の墓:中央に「黒餅」の家紋
竹中重元公の墓:中央に「九枚笹」の家紋
竹中久作(半兵衛公の弟)の墓
国井化月坊の墓
鐘楼
竹中氏陣屋跡
櫓門
櫓門は戦後しばらく教室として使われていたそうです。
大野是什坊 邸宅跡
地元の新聞に『半兵衛公の墓所修繕の寄付金募る』の記事が。
竹中半兵衛公のお墓の祠が痛んできたので修繕するそうです。
普段は六月第一日曜日にしか見られない半兵衛公の墓石が見られるので参拝してきました。
募金は直接お寺にするのではなく顕彰会に振り込みという事で後日。
山門
参道奥に本堂
鐘楼
竹中家家紋 九枚笹
祠を修繕中の為露わになった半兵衛公の墓石
名軍師 竹中半兵衛公で有名な竹中氏の菩提寺。
竹中半兵衛公のお墓もあります。
命日に近い6月第一日曜には毎年供養祭が行われ年に一回有名な竹中半兵衛公の肖像画も見られます。
写真の説明
竹中半兵衛公のお墓
年に一度だけ見られる竹中半兵衛公の肖像画
竹中半兵衛公ゆかりの地をまわりました。NHK大河ドラマで「軍師官兵衛」が放送されていた時期です。谷原章介さん素敵でした。
竹中氏陣屋跡
菁莪記念館に半兵衛公の紙芝居がありました。
五明稲荷
最近半兵衛公のノートが発売されました。
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