しんぜんいん|天台宗|朝倉山
真禅院のお参りの記録一覧
739年僧・行基が開いた宮処寺が前身と伝わる。
790年頃勅命により伝教大師・最澄が南宮神社(現・南宮大社)と神仏習合し大神宮寺に改められた。
1501年4月の火災で諸堂を焼失したが、1511年美濃守護・土岐政房によって再建された。
1600年関ヶ原の戦いで再び焼失し、1642年徳川家光によって再興されている。
明治の神仏分離で南宮大社から分離し、当地に移転している。
本地堂、三重塔は1642年の建築。いずれも南宮大社から移築したもので重文指定されている。
梵鐘は奈良時代から平安時代前期の製作とされ重文指定されている。
本地堂
本地堂
本地堂
本地堂
不動堂
不動堂
薬師堂
薬師堂
釈迦堂
阿弥陀堂
十王堂
鐘楼
梵鐘
梵鐘
梵鐘
梵鐘
鉄塔覆屋
鉄塔
北条政子が源頼朝の菩提の為に寄進したとされる。関ヶ原の戦いで長宗我部盛親の陣営で煮炊きに使われたという。
鉄塔
三重塔
三重塔
三重塔
三重塔
弁天堂
観音堂
南宮大社の北側の坂道を登って行くと突き当たりに朝倉山真禅院があります。南宮大社の元神宮寺で回廊で繋がっていたそうです。明治政府によって神仏分離令が出されて廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた時、神宮寺の秀覚法印と宮代村の方々によって1km離れた現在地に移築されました。大八車に積んで何往復もして運ばれたそうです。幼子も瓦一枚を背負って運んだとか。そのお陰で貴重な文化財が守られたのですね。タルイピアセンターで企画展「垂井と祈りの力」が開催されていました。パンフレットに「人々は、人知を超えた災害や疫病、死に対して無力でしたが、古来から祈り・信じることで心の安寧を得て、それらを乗り越えてきました」とありました。真禅院さんは宮代村の方々にとって穏やかに生きる為の大切な心のよりどころだったのだと思いました。
本地堂(国重要文化財) 現存する「本地堂」は、こちらと日光東照宮のみ
三重塔(国重要文化財) 日本初の請負工事。京都の石材商 久保権兵衛の一括請負。1111両1分で落札
鐘楼(県重要文化財)、梵鐘(国重要文化財)
鉄塔(県重要文化財) 北条政子が源頼朝の菩提を弔うために全国の社寺に寄進したものの一つ
観音堂(町重要文化財)
護摩堂
釈迦堂
薬師堂
最勝寺観音堂
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