曹洞宗桃源山
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楽しみ方全昌寺のお参りの記録一覧

「西美濃三十三」第30番札所です。
大垣駅から稲葉線に乗り、「奥の細道むすびの地記念館前」で降り徒歩5分🚶♀️
戸田氏ゆかりの寺院として有名です。
戸田氏鉄の室、大誓院がその叔父の戸田甚五郎の菩提を弔うため、摂津尼崎に建立しました。
戸田氏が大垣藩へ移された際に大垣で新たに創建されたものであり、尼崎の全昌寺は本院にあたります。
尼崎全昌寺の住職であった照岩文鏡が大垣全昌寺の開山となり、大垣鷹匠町に創建されました。
その後、1651年に現在の船町の地に移転しました。
御朱印は本堂内に置かれていました。














西美濃西国三十三観音霊場 30番札所 桃源山 全昌寺にお参りしました。
大垣市船町にあり 釈迦如来を本尊とする 曹洞宗の寺院
先にお参りした 報恩寺から チャリで15分ぐらい 近くに行くと 屋根が見えてひと安心
奥の細道結びの地記念館の直ぐ裏 町中にあります 飲食店も多く 多くの観光客がたくさん歩いていました にぎやかな場所にありますが 境内は静かで 誰一人といなくてゆっくりできました 本堂も開いていて中に入ってお参りすることができました🙏
みたらし地蔵尊の扉が少し開いていたのですが もっと開ける勇気?はなくて 格子戸越えですが手を合わせ 「来週 歯科検診がありますが 異常ありませんように・・」とお参り
こちらのお地蔵様は 歯痛でポックリと亡くなった小僧を哀れんで祀ったお地蔵様 歯痛で食べ物が食べられなくてひもじい思いをした小僧を弔って みたらし団子を供えるようになったそうです
寛永12年(1635)尼崎全昌寺の別院 大垣全昌寺は 照岩文鏡和尚を御開山として開かれました
往時には東海の禅林として多くの修行僧を擁する『美濃の赤門寺』として知られましたが 明治時代に入ると 廃藩置県により 大垣藩の庇護を失い 濃尾地震で全壊 第二次大戦空襲により焼失といった時代を幾度となく乗り越え 現在に至っています。
西大垣駅からレンタサイクルでの3ヶ寺のお参りは無事終了! 10分ぐらいで西大垣駅へ行き
ヘルメットと共に返却 最後に写真を撮るつもりが 忘れてしまいました😔 が お参りに付き合っていただき ありがとう お陰で スムーズなお参りができました🚴♀️ レンタサイクル 楽しかったです😊

鐘楼門

みたらし地蔵尊

本堂

白全稲荷大明神

御朱印 本堂に書き置きが準備されていました

西美濃三十三霊場第三十番札所。創建は慶長年間、近江膳所藩主戸田氏鉄(後の大垣藩初代藩主)の正室大誓院(徳川家康の姪)が叔父である戸田甚五郎の菩提を弔う為に開いたのが始まりと伝えられる。氏鉄は寛永12年(1635年)に大垣藩に移封になると、大垣に随行した全昌寺と尼崎に残った全昌寺の2派に分かれた。
~西美濃三十三霊場公式HPより抜粋
「みたらし地蔵」
歯痛で亡くなった小僧を哀れんで祀った地蔵。それを知った町の人々が、歯痛で食べ物がたべられなくて、ひもじい思いをした小僧を弔ってみたらし団子を供えるようになった。
その地蔵に自分の使っている箸を供えて祈ると、歯痛がなくなったので、その噂は遠くまで広がり沢山の人々がやってくるようになった。
みたらし地蔵はTV番組「まんが日本昔ばなし」でも放映されました😃

寺標


山門

本堂

鐘楼

みたらし地蔵

御朱印(直書き)
本堂で住職に書き入れて頂きました🙏
岐阜県のおすすめ2選❄️
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