しんふくじ|単立(真言宗)
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真福寺について
ここが元祖!
名古屋の大須観音といえば有名ですが元は現在の羽島市にありました。
何度も水害に遭うこの地から徳川家康の命により名古屋に移されました。
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「美濃新四国」第34番札所です。
徳林寺横に鎮座しています。
愛知県名古屋市中区大須にある大須観音は、元々はこの真福寺の一院である「宝生院」が移転した寺院です。
御朱印は本堂内にありました。
真福寺(しんふくじ : 大須観音)に参拝させて頂きました🙏🌸名古屋市中区大須にある「大須観音」は元々、この真福寺の一院である「宝生院」が移転した寺院です。🍁岐阜県羽島市桑原町大須にある真言宗の寺院です。🌺1236年(嘉禎2年)頃、この地に観音堂が建立されたのが起源と伝えられています。1324年(元亨4年)後醍醐天皇が尾張国中島郡長岡庄大須(現岐阜県羽島市 )に北野天満宮を創建。1333年(元弘3年)に同社の別当寺として、能信が創建する(1366年の説もある)1371年から翌1372年にかけて、僧・賢瑜によって『古事記』3帖が書写され、これは現在に伝わる最も古い『古事記』の写本であり、真福寺本(国宝)と呼ばれるものであります。🍁1612年(慶長17年)、徳川家康の命令で犬山城主の成瀬正成によって、真福寺の一院である宝生院が名古屋城城下に移転する。その際、上記『古事記』や古典籍、絵画のほとんどが移動し、真福寺のある地名「大須」も移動される☘️このことがきっかけとなり、真福寺は衰退しまし、その後も幾たびかの洪水で荒廃するが、地元の人々に守られ続けられる。1964年(昭和39年)、現在地に移転する。
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👣所在地 : 岐阜県羽島市桑原町大須2759−131
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御朱印 : 真福寺(大須観音)
真福寺(大須観音)本殿
名古屋大須観音のふるさと真福寺
赤いお堂が建ってます
本堂前には真新しい説明板が立てられています
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日本庭園 : 魚勝
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【岐阜県 人気寺社仏閣巡り】
真福寺(しんぷくじ)(大須観音)は、岐阜県羽島市桑原町大須にある寺院。
当寺は、建久年間(1190年~1199年)に土地の人々によりに中島観音堂が建立されたのが始まり。1324年に後醍醐天皇によりその地に北野天満宮が創建され、1333年に同社の別当寺として真福寺と、その塔頭・宝生院が創建され、摂津国の四天王寺の観世音菩薩を移して本尊としたとされる。のちに後村上天皇により伽藍が建立され勅願寺となり、3代目住職の任瑜法親王の時には寺領1万石、伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃6か国の真言宗寺院335ヶ寺を末寺とした。戦国時代には、織田信長から寺領500石が寄進された。江戸時代に入り、1615年に徳川家康が僧・天海とともに当寺に来て蔵経を見て、その後犬山城主・成瀬正成に命じて宝生院を大須郷から名古屋城下に移転した。その後、当地村民が再び真福寺を建立したが、洪水で幾度か場所が変わり現在に至っている。
当寺は、名鉄羽島線・新羽島駅(東海道新幹線・岐阜羽島駅)の南方5kmの長良川東岸堤防脇にある。周囲は小さな住宅街で、境内は左隣の徳林寺と合わせても一般住宅3、4軒分程度と広くはない。由緒を考えると、名古屋を代表する大寺院の発祥元ということではあるが、現在の当寺を見る限り、その面影は感じられなかった。
今回は、旅行情報サイト「じゃらん」で、岐阜県の人気寺社仏閣No.2となっていたため参拝することに。参拝時は平日のお昼ごろで、けっこうな雨が降っていたこともあり、参拝者は自分以外にはいなかった。
※旅行情報サイト「じゃらん」での、岐阜県で人気のある寺社仏閣ランキングは、①千代保稲荷神社、②大須観音(真福寺)、③日枝神社(高山市)の順。
住宅街の狭い道に面した境内南端入口の<寺号標>。
境内に入って左側にある、きれいに並んだ石造群。
かつては、ばらばらの場所にあったのを集めたのかな。
<本堂>全景。屋根の瓦はなかなか立派。手前にちゃんと由緒書が立っている。
<本堂>正面。上部には味のある扁額。柱には「徳川家康ゆかり」の文字。
<本堂>内部。当寺の御朱印はあるようだが、ひとの気配はなかった。ゆえに未拝受。
賽銭箱脇のエキゾチックな仏像。個人的には南米テイストを感じる。(^_^;)
真福寺の左隣にある<徳林寺>。石碑には<大聖 不動明王>の文字。
<徳林寺>の本堂全景。
<徳林寺>の本堂正面。
本堂手前左側に建つ仏像。真福寺の仏像と同じ作者かな。
本堂手前右側に建つ仏像。印象に残る造形。(^▽^)/
名称 | 真福寺 |
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読み方 | しんふくじ |
通称 | 大須観音(おおすかんのん) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 058-398-6578 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
美濃四国 第35番 | 御本尊:聖観世音菩薩 |
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詳細情報
ご本尊 | 聖観世音菩薩 |
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宗旨・宗派 | 単立(真言宗) |
ご由緒 | 寛元年間(1240年代)土地の人たちにより尾張の国中島郡長岡荘大須(現在の羽島市桑原町大須)に中島観音堂が建立。
土御門任瑜法親王が在職した41年間は全盛期で寺領も一万石以上。伊勢、美濃、尾張、三河、遠江、近江の真言寺院は全て宝生院の末寺になっていたといわれ勅願祈祷も行われていました。享徳二年(1453)の「末寺出仕帳」には335の末寺が記されています。 戦国の時代、寺は荒廃したが織田信長の保護により再興。知行500石を寄進されるも慶長十年(1605)、木曽・長良の大洪水により堂塔全て流失。貴重な宝物・古文書などを残すのみとなりました。 慶長十七年(1612)、徳川家康は真福寺が由緒ある寺であり、貴重な蔵経がある事を知り元和元年(1615)、家康自ら僧天海と共に訪れ寺宝「大須文庫」を見、名古屋城下に移されました。これが現在の名古屋市大須観音になりました。 移転後には村民が寺を建立。「真福寺」と称し現在に至っています。 |
体験 | 仏像重要文化財札所・七福神巡り |
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