ぶつがんいん|真言宗醍醐派|矢熊山
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楽しみ方佛眼院のお参りの記録一覧

天気が良かったので家族と低山登山&お寺巡り🏔´-
「美濃新四国」第25番札所です。
不動山にあり、整備された道をひたすら上がります。
前渡の旗本坪内家の家臣・山本軍八郎藤原盛行の一子・秀之助が盲目となり成田不動に眼病治癒を祈願し開眼し、報恩のために成田不動於いて得度を受け僧名を明心と改名しました。
1890年、標高87mの矢熊山(現在の不動山)の山頂付近に二間四面の仮堂を建て、諸人の厄除の霊場となりました。
承久の乱合戦供養塔があり、佛眼院参道の途中、矢熊山の山腹にあります。





















◯年ぶりの本堂巡りでした。
大河影響かわかりませんが、承久の乱供養塔の御朱印がお目見えしていたので、それも併せてお受けしてきました。
多分、7年くらいぶりでしょうか💦
線香と蝋燭、弘法堂に書き置き御朱印というのは、なんとなくの記憶
鐘楼堂にて鐘が付けることも覚えていませんでした。
知多四国巡ってから、様々な石像にも目を見張る機会も増えて
結構楽しい山登りでした。
夕景なので、降っていくと結構いい感じに暗くなってきたので足元だけはもつれて転ばない様に気をつけました。

書き置き御朱印
直書きもあるという話はどこかで聞いた気がする。(駐車場前に詰めている時に書いて頂いたと誰かさんが言ってた)

美濃新四国の専用御朱印

承久の乱供養塔のカラー御朱印

佛眼院は、眼病平癒の祈祷もされているので、折角なのでおひとつ受けてきました。 300円


開基塔の狛犬

人形供養がある様です。

承久の乱供養塔御朱印のお知らせ

山道は辛いという方向け用の不動堂

ここから登って行きます

中濃新四国(今は活動休止中)の石柱

弘法大師一千百年御遠忌記念の柱

参道、なかなかの傾斜


供養塔
中央に地蔵菩薩立像



山頂は間近

茄子の椅子
腰かけて景色を見てもよし


千手観世音

鎮守大◯◯

中央に不動明王像

水子地蔵

手水舎

鐘楼堂

寸志で鐘付きできました。

南無三十六童子

狛犬阿像

狛犬吽像

南無八大童子

縁起

毘沙門堂

本堂
賽銭箱の上には、干支守りが幾つも置かれています。

本堂にて
賓頭盧尊者、大黒天

絵天井、これは知らなかったですね。

斬られている地蔵?
身代わり地蔵かな?でも、重軽地蔵っぽい。

美濃新四国 今も活動継続中の霊場です。

お砂踏み

弘法堂を開けると、バインダー綴じ専用の御朱印に
せんこう(線香)ろうそく(蝋燭)の販売
美濃新四国のバインダーは一番札所の岐阜善光寺に行ってくださいとお知らせ中

弘法堂

御神籤を引いたら、まさかの 凶 だった。
今年二回目の 凶 です。

以前営業されていた飲み処

ちょうど、ほぼ満月が見えた🌕





美濃新四国八十八ヶ所霊場巡りの3寺目は、
2寺目の薬王院から南西へ約7km行った各務原市前渡西町に在る矢熊山 佛眼院です。
真言宗醍醐派で、本尊は不動明王。
美濃新四国八十八ヶ所霊場 第25番札所。
ーー後日アップします。

御朱印

麓のお堂



右へ行きます

承久の乱合戦供養塔


鐘楼

手水

狛犬があります

弘法堂


毘沙門堂

本堂

阿形

吽形



本堂前からの眺望
手前の木が茂っている所が木曽川、緑色の建物が「すいとぴあ江南」、奥のビル群が名古屋駅

美濃新四国 第25番札所 佛眼院にお参りしました。
各務原市にある真言宗醍醐派の寺院。ご本尊は不動明王。
1886年 前渡の旗本、坪内家の家臣、山本軍八郎の子秀之助が17歳のとき両目を失明して、
成田不動(成田山新勝寺)にて修行した所片目の視力が回復。この恩を受け帰依
して出家し明心と改名。
1891年 京都市にあった佛眼院を移転・安置し奉る。
前渡不動と呼ばれ、眼病治療にご利益があるとされる佛眼院は、不動山(矢熊山)の頂上にあります。標高87mで、登山道(山全体が霊場なので参道?)は少し急な所もありますが10分位で到着しました。帰りは、別の道もあるようですが低山とはいえ遭難しては😢・・と思い石段を踏み外さないように慎重に来た道でもどりました🚶

寺号標 後ろには「カフェドエピ」というお洒落なカフェがあります 左横から坂道を登ります

承久の乱供養塔

鐘楼堂

弘法大師像

弘法大師堂

お砂ふみ

本堂

御朱印 大師堂の中に書き置きがありました

真言宗醍醐派の寺院。通称「前渡不動尊」(まえどふどうそん)
眼病治療にご利益があるとのこと。
承久3年(1221年)6月、承久の乱に際して、各務原市前渡は幕府軍と後鳥羽上皇軍の激戦地となった。(摩免戸の戦い)その供養搭が本堂に行く途中にあります。
今回は通常の御朱印を頂きましたが、承久の乱供養搭の御朱印もありました。

向かって左が社務所になっています


寺標
ここから上り坂スタート!

そこそこ急な上り坂です

あと少しかな?

途中にある承久の乱供養搭


茄子のベンチがありました🍆

山頂にある鐘楼

山頂からの眺めです
キレイでした。

前渡不動尊(まえどふどうそん)として有名なお寺。
前渡の旗本・坪内家の家臣の子が病気のため盲目となり成田不動に眼病治癒を祈願したところ目が見えるようになり、京都の醍醐山にあった祈願所と仏眼院を移したのだそうです。
ここは承久の乱で「摩免戸の戦い」として知られる地で、激し戦で命を落とした人のための供養塔があります。
木曽川をはさんで、鎌倉からくる幕府軍と後鳥羽上皇軍が対峙したそうです。
道を挟んだ市杵島神社に行きたかったので駐車場をお借りしました。
駐車場のすみにあるお堂。
頭に乗ってるのは特別な意味があるのか、それともどこのお寺もこれが普通なのか…。
この坂を上っていった途中に供養塔、山頂に本堂があります。
「承久の乱 摩免戸の戦い」
岐阜県のおすすめ2選❄️
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