そうふくじ|臨済宗妙心寺派|神護山
崇福寺のお参りの記録一覧
神護山 崇福寺(そうふくじ, 臨済宗 妙心寺派, 1469年)
山門, 本堂(血天井), 大放玄関, 鐘楼, 読経堂, 本尊は延命地蔵菩薩・聖観音, 織田信長・有栖川宮家ゆかり, 織田家菩提寺
崇福寺(そうふくじ)さんは、宗派は臨済宗妙心寺派、山号は神護山、御本尊は地蔵菩薩さんです。
また織田信長・信忠父子の廟所や位牌堂があります。
1567年、織田信長公が美濃に入ると禁制を出し、崇福寺(そうふくじ)さんを菩提所として特別保護しました。
1582年、信長・信忠親子が本能寺の変で討たれると、側室 小倉なべ(お鍋の方)が岐阜城から二人の遺品を崇福寺さんに葬ったそうです。
1600年、信長公の孫 三法師秀信が関ヶ原合戦の約1ヶ月程前に西軍に属し、東軍の攻撃を受け岐阜城が落城すると、戦死した将兵38名の霊を弔うため、城の床板を天井に張り、今でも血痕が付着しています。
拝観受付時に御朱印帳をお預けして、録音された音声による案内を聞きながらお参り・拝観しました。
とても興味深かったです。
その後、御朱印帳を受取り、建物の外に出て、本堂裏手にある庭園や廟所なども観ることができました。
新緑が目に優しくて、とても癒やされました!
織田信長公菩提所の御朱印
延命地蔵さんの御朱印
聖観世音さんの御朱印
はさみ紙
伝 織田信長公愛用櫓時計
血天井
庭園
護国之寺から車で10分、岐阜市長良福光の臨済宗妙心寺派崇福寺卍
永正8年(1511)の創建ですが、前身の大寿山崇福寺は明徳元年(1390)創建とあり、どちらが正解?😅
永禄10年(1567)美濃入りした織田信長は、崇福寺を菩提所としました。本能寺の変で信長・信忠親子が討たれると、側室小倉なべの方が信長の遺品などを葬ったと伝わります。
拝観をお願いすると録音音声で案内してくれますが、もう少しゆっくり目でもいいかな🙇
本堂内拝観中に、御朱印を書いていただきました🖌️
右側に駐車場があります🅿
境内きれいでした
手前は竜舌蘭。拝観申込みは右手へ。
音声案内に遅れないようにしないと💦
織田信長肖像画
血天井。関ヶ原合戦前に岐阜城が落城した際に、戦死した将兵の霊を弔うため城の床板を天井に張ったという😓
本堂
信長・信忠親子廟(墓)
位牌堂
臨済宗妙心寺派の寺院。創建は鎌倉年代。永禄10年(1567年)織田信長が斎藤龍興を亡ぼし、美濃に移ると織田家の菩提所となった。本能寺の変後は、信長の側室お鍋の方が、遺品を送り寺内に埋め位牌を安置させた。
「心頭滅却すれば火も自ら涼し」といった快川紹喜が住職を努めたこともある由緒ある寺である。
時間の関係で拝観はできませんでしたが、御朱印待ち時間の間、ご住職の計らいで本尊にお参りをさせて頂きました🙏
出来上がった御朱印帳を、住職の孫?である小さな女の子からお返し頂き、ほっこりです。
寺標
山門
稲葉一徹が寄贈した梵鐘
関白一条兼良寄贈の中門、土塀
龍舌蘭
はさみ紙も素敵ですね!
今回は岐阜市にお邪魔しました。今まで何回も来ましたが飽きません。金華山と岐阜城を眺めるといつも何かワクワクします😊
まず長良川を渡った先にある崇福寺を訪れました。こちらは織田信長公の菩提寺になっています。彼にまつわるお宝がいっぱい展示してあり、しかも撮影OKだそうで楽しみです。
次号標です。臨済宗妙心寺派に属します。
信長公のお墓があります。
その説明です。
参道です。向こうに見えるのが中門です。
中門の瓦です。龍が見事です。
更に進みます。手入れが行き届いていて気持がいいです。
西美濃三人衆のひとり、稲葉一鉄氏寄贈の梵鐘です。
鐘撞きの棒がワイルドです。
本堂に向かいます。
拝観受付から入ります。拝観料は200円。安いと思います。
このようにガラスケースの中にいっぱい展示されています。説明のアナウンス付きですが、ペースが速すぎてじっくり見れません😅
本堂の中は広いです。
誰の作かは、ちょっと??
信長公寄贈の時計台です。
こちらでお参りです。
信長公の肖像画です。教科書とかで見るのとはちょっと違いますが。
有名な血天井です。岐阜城が落城した際、床が血だらけになり、戦死者を弔うために天井板にしたそうです。
戦いの激しさがよくわかります🙏
信長公直筆の書です。
織田家代々の免状
秀吉公の書もあります。
徳川家光公のもあります。他にも様々ありますが、この位にさせていただきます。
今度は裏に回ってみましょう。
本堂の前を通って行きます。
枯山水のお庭が美しい!
裏門をくぐります。
すぐお墓がありました。本能寺の変で同時期に亡くなった息子の秀忠と一緒になっています。思ったより簡素ですが。信長公のお墓はあちこちにありますからね。
位牌に関する説明です。
位牌堂です。よく見ると・・・
極彩色で美しいです🤩 徳川家の息がかかってるのかな?
斎藤家のお墓もありました。
御朱印は受付で書いていただきました。ありがとうございました。
東海三十六不動尊霊場 第33番の次は美濃西国三十三観音霊場 第14番の神護山 崇福寺です。
岐阜市の岐阜城が建てられている金華山の近く(北西)に在ります。
臨済宗妙心寺派で、本尊は聖観音菩薩。
現、神護山崇福寺の創建は1511年だが、前身の大寿山崇福寺は1390年の創建。
織田家菩提所、徳川家朱印地、有栖川宮家祈願所となった由緒ある寺院です。
境内はとても綺麗で庭も手入れされています。
拝観料(200円)を納めると、本堂の中に入れて戴き、寺宝、本尊や岐阜城落城の際の床板(血天井)を観る事が出来ます。撮影は自由となっています。
また、本堂の裏側(北側)には、織田信長・信忠父子の廟があり、その横には位牌堂があります。
納経帳に朱印を押印して戴きました。
尚、駐車場は寺の南側の道路(東西の通り)沿いに10数台停めれます。
御朱印
寺標の石柱
山門
庭
鐘楼
庫裡
勅使門
本堂
櫓時計
清洲城の鯱瓦
本堂内陣
血天井
織田信長・信忠父子廟
位牌堂
読経堂
批判は多いものの、GO TOを利用して一人旅満喫中。
野暮用があり、、、先週に引き続き、今週も旅に出てしまった。
今回は岐阜&犬山、そして名古屋。
信長様のお膝元。(笑) 岐阜城見学後、前回訪問できなかった「崇福寺」へ。
岐阜公園から歩いて15分くらいなのだろうが、道がかなりトリッキーで(^^;、迷った末にようやく到着。
崇福寺は、織田信長公菩提所となっている臨済宗妙心寺派のお寺。
拝観料200円を払うと、本堂だけでなく、本堂裏にある信長、信忠父子の廟所も見学できます。庭園もとても素敵でした。
御朱印は2種類。どちらも手書きしてもらえます。
「織田信長公菩提所」これが欲しかった。(笑)
墓の高さは139㎝、巾39㎝、厚さ30㎝、 位牌形の石碑で縦に両分して、父子の法名を
左右に並べて刻んであるそうです。
・総見院殿贈一品大相圀泰岩大居士 覚霊(信長)
・大雲院殿三品羽林高岩大禅定門 神儀(信忠)
今日の初詣は崇福寺です!
歴史好き、とりわけ私のような織田信長公大好きな方にはたまらないお寺です!
これで拝観料200円は安い!
しかも撮影はご自由にどうぞとのこと!
目と脳とスマホに焼き付けますよ、全力で🔥
この地域の方はやはり信長公に興味をもたれている方が多いのがわかるほど賑わってました✨
やはり私と同じ「信長愛」を持ってらっしゃると一方的に思ってます!
裏にある信長、信忠父子廟に私の溢れる信長愛を余すところなく伝えました(笑)
質問もさせていただいたので、夢の中でもいいので、教えていただけたらいいな✨
他にも有栖川宮家、斎藤家、土岐氏の所縁のものもたくさん展示されております!それも真筆ですよ!
信長公の雪月花などもうもう私などには拝見させていただくだけで身に余る光栄です!
もし同じ日に、同じ時間崇福寺へお参りされた方で、かなりテンションが上がった変な人を見かけた覚えがあれば、間違いなく私です(笑)
あと写真に写り込みがあるのはご容赦くださいませ💦
とにかく歴史好きな方は是非お参りください!
絶対感激すると思います🙏
ここの前に金神社と岐阜信長神社にも初詣に行きました✨
特別御朱印をいただきました!
山号 寺標
由緒(?)書き
中門
庭園も立派でした✨
西美濃三人衆の一人、稲葉一鉄が寄贈したとされる梵鐘
逆光が(笑)
反対側から撮れませんし💦
ここから本堂内部のお宝写真📷✨
昨日行ったなぁ、清洲城(笑)
修繕されてよかった…
きっと信長公も喜んでますよ✨
信長公が寄贈されて、気に入って使っていたとされる大時計
血天井
時々大名や有名な武将縁の城やお寺でお見かけします
これ!
一人、食い入るようにひたすら見てました(笑)
逆光で見えない💦
庭園も立派。
菩提所への道
公廟説明書き
公廟
お墓
斎藤家一族のお墓
崇福寺の御朱印です!
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