だいりゅうじ だいりょうじ|臨済宗妙心寺派|金栗山
大龍寺岐阜県 田神駅
〜十七時まで
飛鳥時代に創建されたと伝えられている寺院です。
美濃西国の奉納帳・祈祷されたオリジナル御朱印帳複数種類あり
美濃新四国八十八ヶ所霊場巡りの7寺目は、岐阜県岐阜市粟野に在る金粟山 大龍寺です。
今回の寺院巡りの最後になります。
(余談ですが、1寺目→7寺目までで12km走行、寺院間の平均距離は2kmという近さです。)
臨済宗妙心寺派で、本尊は腹帯子安観音。
美濃新四国八十八ヶ所霊場 第63番札所。
2021年3月に訪れていますので3年半ちょっと振りの2回目。(前回分は投稿済みですので宜しかったら見てやって下さい。)
前回は美濃西国三十三観音霊場で参拝しました。
持統天皇の時代に鎮護国家のために開かれたと伝わる。本尊の腹帯子安観音は、1175年に後白河法皇により胎児安泰の勅願所として安置された。大いに盛えたがやがて荒廃し廃寺同然に。その頃(1500年頃)に全国遍歴の途にあった瑞翁宗縉禅師が寺の荒廃ぶりを嘆き、真言宗から臨済宗に改め復興したとの事です。
広い舗装された駐車場がありますので停めさせて頂きました。境内に上がる2つの石段がありますが、山門のある奥の石段から。山門をくぐると庫裏と本堂があり、本堂手前に高さ約5mのデカい達磨大師。くぐった直ぐ左に小さな弘法堂、四国八十八で訪れているのに見落とす所でした。
本堂前に手水で、最近では珍しい手動ポンプで水を汲み出します。本堂に入ると中央に本尊・腹帯子安観音と手前に小像の四天王。金箔を貼り直したのか金ピカで、平安時代末期の仏像とは思えず、室町時代か江戸時代の仏像に見えました。
本堂を出て鐘楼の前を抜けると事務所がありましたので御朱印を頂きました。
その奥には近年建立の達磨大師堂と地藏堂です。
「だるま観音」として知られる寺で毎年1月にだるま供養が行われる他、ドウダンツツジの名所として有名で春と秋に庭の特別公開が行われます。丁度、訪れた時に特別公開中でしたが、余り時間が無かったのと紅葉の見頃を過ぎている感じがしましたので今回は見送りました。
今回は3~4ヶ寺巡る積りが、7ヶ寺も巡って結構時間を費やしてしまったので、取り急ぎ友人宅へ向かいました。一度は庭の特別公開を観てみたいですね。
御朱印
山門
本堂、庫裏
弘法堂
平成8年建立の達磨大師 高さ約5m
本堂
手水
今時珍しい手動ポンプで汲み上げて水を出します
鐘楼
地藏堂(平成2年建立)
達磨大師堂(昭和48年建立)
(引いて撮ったらこんな写真に)
お堂の裏の斜面にドウダンツツジ
どうだんつつじとダルマで有名なお寺。約1300年前、鎮護国家のために開かれたと伝えられる。本尊の腹帯子安観音は、後白河法皇により胎児安泰の勅願所として安置された霊尊。室町時代に土岐氏により、真言宗から禅宗に改められた。
8/15のお盆だったためか、忙しい中御朱印対応頂きました(書置き)。
石柱
山門
存在感十分な達磨太師
地蔵堂
鮮やかな色の達磨堂
達磨堂の中にはたくさんのダルマが
こちらにも
「腹帯観音」の御朱印
「美濃新四国」第63番札所です。
以前、「美濃三十三所」で訪れました。
飛鳥時代の持統天皇の時代、国家鎮守の寺として創建されたと伝えられています。
1175年、後白河法皇が腹帯子安観世音菩薩を安置し、本尊としました。
明応年間(1492年 - 1501年)、土岐氏の強い要望により、瑞翁和尚が招かれました。
1502年、達磨大師を安置しました。
永禄年間(1558年 - 1570年)、別伝の乱の折、大龍寺の五世龍谷は斎藤義龍に加担し、快川和尚をはじめとする多くの禅家と争うが敗北し、本山妙心寺から除籍されます。
その為一時廃れましたが、天正年間(1573年 - 1592年)、再興されました。
1月12日〜1月18日 初観音・だるま供養
4月中旬(開花状況で変更有) どうだんつつじ花の庭園特別公開
8月18日 灯篭まつり
11月中旬(色付き状況で変更有)どうだんつつじ紅葉の庭園特別公開
住所 | 岐阜県岐阜市粟野2339 |
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行き方 | JR岐阜駅・名鉄岐阜駅から岐阜バス「高富行き」「山県市役所行き」などで約30分程度乗車。「高富大竜寺前バス停」下車。徒歩2〜3分。 |
名称 | 大龍寺 |
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読み方 | だいりゅうじ だいりょうじ |
通称 | 高富大龍寺 だるま観音 どうだんつつじとだるまのお寺 |
参拝時間 | 〜十七時まで |
参拝にかかる時間 | 約三十分 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 058-237-3837 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.dairyuji.com/ |
美濃四国 第64番 | 御本尊:子安観世音菩薩 |
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美濃七福神 第3番 | 御本尊:福禄寿 |
美濃西国三十三観音霊場 |
ご本尊 | 腹帯子安観世音菩薩 |
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山号 | 金栗山 |
宗旨・宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
体験 | 祈祷おみくじ御朱印お守り重要文化財人形供養武将・サムライ花の名所札所・七福神巡り |
概要 | 大龍寺(だいりゅうじ)は、岐阜県岐阜市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は金粟山(きんぞくさん)。 ※本来は、こんぞくさん だいりょうじ と読む 通称「だるま観音」。岐阜市の北端にあり山県市高富と隣接することから「高富大龍寺」とも呼ばれる。 本尊は腹帯子安観世音菩薩、達磨大師。子授け、安産、虫封じにご利益があるという。 美濃三十三観音霊場第十一番札所。美濃七福神(福禄寿)。土岐氏、稲葉一鉄ゆかりの寺である。 |
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歴史 | 沿革[編集] 境内(2007年撮影) 飛鳥時代の持統天皇の時代、国家鎮守の寺として創建されたと伝えられている。平安時代に真言宗に改宗する。安元元年(1175年)、後白河法皇が腹帯子安観世音菩薩を安置。本尊とする。 明応年間(1492年 - 1501年)、土岐氏の強い要望により、瑞翁和尚が招かれる。文亀2年(1502年)、大龍寺は臨済宗に改宗し、達磨大師を安置する。 永禄年間(1558年 - 1570年)、別伝の乱(美濃国で起きた禅宗の宗派の争い)の折、大龍寺の五世龍谷は斎藤義龍に加担し、快川和尚をはじめとする多くの禅家と争うが敗北し、本山妙心寺から除籍される。その為一時廃れたが、天正年間...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 岐阜バス「高富大龍寺前」バス停が最寄である。徒歩2分。 JR岐阜駅バスターミナル 11番のりば 「高富」「山県市役所前」「岐阜女子大」「谷合」「塩後」「板取門原」「洞戸栗原」「山県高校」「美濃市駅(岐北病院経由)」「中濃庁舎(岐北病院経由)」行き 名鉄岐阜のりば 4番のりば 「高富」「山県市役所前」「岐阜女子大」「谷合」「塩後」「板取門原」「洞戸栗原」「山県高校」「美濃市駅(岐北病院経由)」「中濃庁舎(岐北病院経由)」行き |
引用元情報 | 「大龍寺 (岐阜市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E9%BE%8D%E5%AF%BA%20%28%E5%B2%90%E9%98%9C%E5%B8%82%29&oldid=100972293 |
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