いさすみじんじゃ
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伊佐須美神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 《主》伊弉諾尊,伊弉冉尊,大毘古命,建沼河別命,塩土翁命,品陀別命 | |
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創建時代 | 崇神天皇10年 | |
ご由緒 | 伊佐須美神社の創祀起源は悠久二千有余年の昔、第十代崇天皇十年四道將軍派遣の時に始まり古事記には「東の方より遣けつる建沼河別、其の父大毘古と共に相津に往き遇ひ給ひき故れ其地を相津と謂ふ」と記録されている如く会津地名発生の伝承社であります。 即ち往き合い給うた時国家鎮護の為、国土開拓の祖神(諾、冉二神)を会津高嶺の聖地、天津嶽(新潟県境)に鎮斎されたのが始まりと伝えております。その後博士山、明神岳を経て欽明天皇十三年(五五ニ)当地にご鎮座されたのであります。 その時大毘古命、建沼河別命二神も合祀奉斎されて以来千四百有余年、歴朝はもとより歴代藩候、別けても会津松平藩祖保科公以来格別の崇敬と庶民の崇敬殊の他篤く、延喜式内「名神大社」光格天皇宣下「伊佐須美大神宮」として崇められ、又戦前は国幣中社として官祭に預かり御社殿の奉修、改築、社領、宝物等の寄進が相次ぎ会津開拓の祖神を祀る殖産興業を守護したもう御神威のもと衆民の崇敬は深く厚いものであります
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歴史 | 歴史[編集] 創建[編集] 上は御神楽岳(天津嶽)、下は博士山(左)と明神ヶ岳(右)伝承ではそれぞれ伊佐須美神の創祀地、2番目遷座地、3番目遷座地とする。 社伝によると、崇神天皇(第10代)10年に大毘古命・建沼河別命父子はそれぞれ四道将軍の1人として北陸道・東海道に派遣され、会津で行き会った。そして会津で中央の農耕技術・先進文化を伝えたのち、国家鎮護のために福島県・新潟県境付近の天津嶽(御神楽岳、北緯37度31分18.67秒 東経139度25分33.29秒)に国土開拓の祖神である伊弉諾尊・伊弉冉尊を奉斎したのが伊佐須美神社の創祀であるという[1]。その後は博士山(.mw-pa...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「伊佐須美神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BC%8A%E4%BD%90%E9%A0%88%E7%BE%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101985267 |
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