つつこわけじんじゃ(やつき)
都々古別神社(八槻)のお参りの記録一覧
都々古別神社 (八槻明神) 陸奥国一ノ宮
都々古別神社 (八槻明神) 陸奥国一ノ宮
都々古別神社 (八槻明神) 陸奥国一ノ宮
都々古別神社 (八槻明神) 陸奥国一ノ宮
都々古別神社 (八槻明神) 陸奥国一ノ宮
都々古別神社 (八槻明神) 陸奥国一ノ宮
福島県棚倉町にある陸奥國一宮・都々古別神社(八槻)に参拝。神社には随身門もあり扁額には「奥州一宮」の文字、中には拝殿、奥に本殿がある模様。社務所は閉まっており誰もいらっしゃいませんでしたが、社務所には、書込み済みの御朱印が置いてあり所定の料金を払いいただいてきました。
都々古別神社(八槻)〜社号碑と鳥居
都々古別神社(八槻)〜随身門、扁額には「奥州一宮」の文字
都々古別神社(八槻)〜拝殿
都々古別神社(八槻)〜御朱印
都々古別神社(八槻)〜狛犬と随身門
都々古別神社(八槻)〜狛犬・阿像
都々古別神社(八槻)〜狛犬・吽像
都々古別神社(八槻)参拝⛩️ 福島県神社巡り⑦
一宮巡拝で奥州棚倉町八槻の都々古別神社へ
石畳にも苔があり、個性的な狛犬さん、龍の天井画のある随神門、美しい造りの社殿と本殿✨
御神気に溢れた歴史を感じる素敵な神社でした🙏
都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都都古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“中宮"にあたります。
縁起によれば、日本武尊(ヤマトタケル)が八溝山の「東夷」の大将を討った際、守護として現れた三神が建鉾山より箭(や)を放ち、箭の着いた場所を箭津幾(やつき)とし都々古別神社を創建したのがはじまりといわれています。
縁結びの神の祠
狛犬さん
独特、個性的でいいですね✨
随神門
奥州一宮の扁額
龍🐉の彫刻
天井にも、龍の🐉絵が
拝殿
本殿
美しい造りです✨
神様トンボ
書入れしていただきました🙏
馬場の都々古別神社参拝後に3箇所目の八槻都々古別神社へ。
こちらは御朱印を始めた頃に一度参拝して、その際に書き置きの御朱印をいただきました。
今回も3社並べて御朱印をと思ったのですが、宮司さんは不在。書き置きの御朱印も、現在は持ち去り被害が多くて書き置きは中止してしまったそうです。
神社で盗難とは悲しいことですね。
何のための御朱印なのかや書き置きでも対応してくださる宮司さんへの感謝の気持ちは持ち続けたいものです。
こちらは他の2社の都々古別神社とは違って朱塗りの境内です。
随神門に掲げられた「奥州一宮」と書かれた扁額も立派です。
拝殿横には御神泉がありますが、水が透きとおっており、淀み無く流れているのが感じられます。
これで都々古別三社の参拝は無事終了。
最後に御朱印を頂けなかったのは残念ですが、それでも無事に巡拝できて良かったです。
鳥居と社号標
随神門と狛犬
随神門
随神門についての案内板
奥州一宮の扁額
拝殿
拝殿正面
玉垣の外から。
御神泉
境内案内板
御由緒
社務所で頂いた素晴らしい文字の御朱印は巫女さんの直書きです。御朱印帳は豊富で8種類有りました。
拝殿は隋神門で囲まれてますので、本殿には門の外に出て回わり、見上げると本殿は拝殿よりも大きい!一宮としての格を感じました。
大きな銀杏が色づき、池があったり、多くの参拝者と遭遇しました。街道沿いで目立つので誘われるんでしょうね。
古くは馬場と大子町の近津神社で都々古別3社だったようです。大子町は福島県だった時代があったからでしょうね。今は大子町で近津3社、福島県で都々古別3社と呼ばれるそうです。行政区分で観光するからですね。
社務所
隋神門の由緒
池には大きな鯉が住んでました。餌を与えている方がいました
都々古別神社(八槻)の参拝記録
社記(慶長2年(1597年)の陸奥国一宮近津大明神縁起)によると、第12代景行天皇の時に皇子の日本武尊が奥羽に至り八溝山の東夷を討った際、日本武尊を守護した3神が建鉾山(福島県白河市表郷三森)に隠れたので、尊は東方に箭を放ち箭の着いた地(箭津幾:やつき)に神社を創建したという。そして源義家が奥州征伐に訪れた際に「千勝(近津)大明神」と改称したと伝える。
地名の「八槻」の語源伝承は『陸奥国風土記』逸文(大善院旧記所引)にも見え、日本武尊が東夷征伐の際に放った八目鳴鏑(鏑矢)が落ちた地が「矢着」と称されたが神亀3年(726年)に「八槻」に改めたとし、別伝として日本武尊が放ち8人の土蜘蛛(在地首長)を貫いた8本の矢がいずれも槻の木になったので「八槻」になったともいう。
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