つつこわけじんじゃ(やつき)
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楽しみ方都々古別神社(八槻)のお参りの記録一覧(4ページ目)

鳥居と扁額が素敵な神社です。陸奥一宮になります。日本武尊の放った矢が着いた場所から、地名の由来が矢着(やつき)→八規(やつき)になったという話があります。
御朱印になります。

一宮お参り奥州旅。
二社目はしっかり御朱印も頂けました。
一宮と言われながらも古感が強い福島の一宮です。

本殿の入り口。
敷地内は杉林かグリーンシャワーとなり癒しを感じます。

こちらでも紫陽花の花手水がお出迎え^_^

奥州一宮が神々しい。。。

御朱印頂けました!
右上の奥州一宮の朱印が見やすくなっているのが嬉しいです^_^

#八槻都々古別神社
ご祭神はアジスキタカヒコネの命、ヤマトタケルの尊。
#日本武尊
ここよりも5kmほど北にも同じく都々古別神社という神社がある。特に区別する場合は鎮座する地名を冠し、南を八槻都々古別神社、北を馬場都都古和氣神社と呼ぶようだ。
そのうち八槻(やつき)という地名に関しては、陸奥国風土記逸文にも言及がある。
それによると、八槻はかつて土蜘蛛の巣窟だった。彼らは八槻に8つの石の砦を築き、そこを根城にして人々から略奪を働いた。
そこで景行天皇は皇子・ヤマトタケルの尊を派遣。だが石でできた要塞は堅固で、さすがの尊も容易には落とせない。苦戦する間に津軽(青森県)からエミシが南下し、土蜘蛛に加勢した。
そこで尊は矢を7本、次いで8本、発射した。最初の7発がエミシを退却させ、続く8発が8人いた土蜘蛛の大将を射抜いた。
その矢が槻の木に姿を変えたので、この地を八槻と呼ぶようになったと。
だがパンフによれば、神社には若干ディテールの異なる伝承が伝わるそうだ。
いわく、八槻は「矢が槻」に変わったからではなく、「矢が着いた」からそう名付けられた。また、ヤマトタケルの尊が交戦したのは土蜘蛛ではなく、エミシの頭領とある。
ちなみに都々古別神社を創建したのは、他でもないヤマトタケルの尊だと。

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