つつこわけじんじゃ(やつき)
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楽しみ方都々古別神社(八槻)のお参りの記録一覧
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馬場の都々古別神社参拝後に3箇所目の八槻都々古別神社へ。
こちらは御朱印を始めた頃に一度参拝して、その際に書き置きの御朱印をいただきました。
今回も3社並べて御朱印をと思ったのですが、宮司さんは不在。書き置きの御朱印も、現在は持ち去り被害が多くて書き置きは中止してしまったそうです。
神社で盗難とは悲しいことですね。
何のための御朱印なのかや書き置きでも対応してくださる宮司さんへの感謝の気持ちは持ち続けたいものです。
こちらは他の2社の都々古別神社とは違って朱塗りの境内です。
随神門に掲げられた「奥州一宮」と書かれた扁額も立派です。
拝殿横には御神泉がありますが、水が透きとおっており、淀み無く流れているのが感じられます。
これで都々古別三社の参拝は無事終了。
最後に御朱印を頂けなかったのは残念ですが、それでも無事に巡拝できて良かったです。




都々古別神社(八槻)の参拝記録
社記(慶長2年(1597年)の陸奥国一宮近津大明神縁起)によると、第12代景行天皇の時に皇子の日本武尊が奥羽に至り八溝山の東夷を討った際、日本武尊を守護した3神が建鉾山(福島県白河市表郷三森)に隠れたので、尊は東方に箭を放ち箭の着いた地(箭津幾:やつき)に神社を創建したという。そして源義家が奥州征伐に訪れた際に「千勝(近津)大明神」と改称したと伝える。
地名の「八槻」の語源伝承は『陸奥国風土記』逸文(大善院旧記所引)にも見え、日本武尊が東夷征伐の際に放った八目鳴鏑(鏑矢)が落ちた地が「矢着」と称されたが神亀3年(726年)に「八槻」に改めたとし、別伝として日本武尊が放ち8人の土蜘蛛(在地首長)を貫いた8本の矢がいずれも槻の木になったので「八槻」になったともいう。
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