つつこわけじんじゃ(やつき)
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楽しみ方都々古別神社(八槻)のお参りの記録一覧(2ページ目)

社務所で頂いた素晴らしい文字の御朱印は巫女さんの直書きです。御朱印帳は豊富で8種類有りました。
拝殿は隋神門で囲まれてますので、本殿には門の外に出て回わり、見上げると本殿は拝殿よりも大きい!一宮としての格を感じました。
大きな銀杏が色づき、池があったり、多くの参拝者と遭遇しました。街道沿いで目立つので誘われるんでしょうね。
古くは馬場と大子町の近津神社で都々古別3社だったようです。大子町は福島県だった時代があったからでしょうね。今は大子町で近津3社、福島県で都々古別3社と呼ばれるそうです。行政区分で観光するからですね。








社務所



隋神門の由緒


池には大きな鯉が住んでました。餌を与えている方がいました


都々古別神社(八槻)の参拝記録
社記(慶長2年(1597年)の陸奥国一宮近津大明神縁起)によると、第12代景行天皇の時に皇子の日本武尊が奥羽に至り八溝山の東夷を討った際、日本武尊を守護した3神が建鉾山(福島県白河市表郷三森)に隠れたので、尊は東方に箭を放ち箭の着いた地(箭津幾:やつき)に神社を創建したという。そして源義家が奥州征伐に訪れた際に「千勝(近津)大明神」と改称したと伝える。
地名の「八槻」の語源伝承は『陸奥国風土記』逸文(大善院旧記所引)にも見え、日本武尊が東夷征伐の際に放った八目鳴鏑(鏑矢)が落ちた地が「矢着」と称されたが神亀3年(726年)に「八槻」に改めたとし、別伝として日本武尊が放ち8人の土蜘蛛(在地首長)を貫いた8本の矢がいずれも槻の木になったので「八槻」になったともいう。









神社前のR118は、何度も通ったことがあったのですが、参拝させていただくこともなく、その後移動の主が高速道路なったこともあり、久しぶりにこの道を通り、初めて参拝させていただきました。陸奥国一之宮ということもあり、境内は閑散としておりましたが、凛とした空気が漂うような落ち着いたお社でした。朝9時過ぎで、境内の霜柱をザクザクと踏みながら散策させていただきました。
社務所に、今日は留守にしておりますの立てかけがあり、書き置きの御朱印が御用意されておりました。駐車場は、鳥居前に用意されておりました。

鳥居

狛犬

隋神門

境内

境内案内板

御朱印

【陸奥國一宮三社巡り】八槻都々古別神社は初めての参拝です。
棚倉町に鎮座する陸奥國一宮三社のうち三社目お参り。
式内社(名神大社)論社で、旧社格は国幣中社
国道118号沿いに鳥居が見え、駐車場完備、綺麗な公衆トイレも洋式水洗でした。
数組の方々がお参りされていて、昼時にもかかわらず神職の方が、快く御朱印を書いていただきました。

陸奥國一宮の威厳を感じます。









苔が光に映えて綺麗です。



本殿。


門の天井。

門の彫刻が素晴らしかったです。

駐車場です。

御朱印は神職の方が丁寧に書いてくださいました。

建築の装飾が立派な神社で、江戸時代の名工の狛犬さんもいました。
(雨だったので写真は今一つです。)
一昨年に福島県中通り南部を社寺巡りしました。

授与所でいただいた御朱印です。

小雨の境内。

江戸時代の「小松利平」さんの、見事な狛犬。

「小松利平」さんは、有名な小林和平さんの先々代の師匠だとか。



時代を感じる天井画がたくさん。



奥州一宮の一社である八槻都々古別神社を参拝しました。厳粛な雰囲気に包まれていました。

鳥居と石柱です。厳かな雰囲気です。

随身門です。立派ですね。

陸奥國一之宮 都々古別神社(八槻)
横浜を早朝に出発して9時頃に到着。9:30から社務所が開き御朱印対応するとの事なので、しばらく神社を散策していましたが、写真を撮るために手を出すと寒い😵❄️気温がやっぱり横浜と全然違う🥶それでも朝イチの参拝は、ピリッとした空気が気持ちが良くてやめられませんね。

社号標

鳥居⛩

由緒書き

御神木


なかなか愛嬌のある狛犬
東北地方は、狛犬好きにとって聖地ですね




隋神門

扁額の存在感半端ない!







拝殿

本殿


福島県のおすすめ2選❄️
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