だざいふてんまんぐう
太宰府天満宮のお参りの記録一覧(13ページ目)
福岡を代表する天満宮。受験えの時期はかなり混雑します。ちなみに参道で売られる「梅が枝餅」は通常は白のお餅に餡ですが、毎月25日は「天神様の日」として、蓬餅が販売されます。
道真にちなんであちこちに梅が植えられている。
この橋は渡るときに振り返らないように。3つの橋で、過去、現在、未来です
延壽王院 かつて幕末には三条実美ら五名の公卿をかくまった。今は宮司宅。宮司は西高辻家といって菅原道真の子孫です。
この本殿は安土桃山様式で宇喜多秀家の造営である。ちなみに太宰府天満宮は菅原道真の墓所です。この本殿の下に道真は埋葬されました。
竈門神社を後にして、すぐ近くにある太宰府天満宮へ。
何故か鳥居の前に托鉢のお坊さん様が二人。
え、ここ、天神さんだよね…?え、ここで何故読経…?(しかも一人裸足に草履じゃ無かったので、多分偽物)
不思議に思いつつも太鼓橋を渡り…『憧れの太宰府天満宮〜!!!』
が、本当に観光客が多い…!!(しかも韓国からの旅行っぽい人ばかり)
東京の神田明神レベルの人の多さ。
写真に移したくなくても写ってしまう…(´;ω;`)
さて、こちらは言わずとしれた菅原道真公がご鎮座する神社。
全国各地にある天満宮のボス的存在ですね。
菅原道真公は詩歌、漢学などの学問に優れ、菅原是善公(文章博士で帝に学問を教える侍読も務めていた)の三男坊です。
幼名は阿呼(あこ)又は吉祥丸。
五歳で庭の梅の花をみて
『うつくしや紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある』
と歌うほど頭のいい…(私の五歳の頃は鼻たらして遊んでた記憶しかないぞ)
とにかく真っ直ぐな性格の御仁だったようで、時の右大臣藤原時平の讒言(嘘、偽りなど言って人の悪口を言うこと)により太宰の地へ左遷させられる羽目に。
いつか無実が証明されることをひたすら願いつつ、人を憎まず、天を恨まず、国家の繁栄、皇室の安泰を願い謹慎生活を続けるものの御年五十九歳で天に召されました。
御遺骸を牛車に載せて進んだところ牛が途中で全く動かなくなったので『これは道真公のご意思であろう、ここに葬ろう』と御墓所を。
そして、その上に社殿を造営したそうです。
つまり、太宰府天満宮は道真公の御墓所ということ。
道真公の祟りとかは今回割愛します。(キリがないので)
さて、菅原道真公と言えばこの和歌が有名ですよね。
【東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ】
道真公は阿呼時代にも梅の花を読んでいるほど梅の花が好き。
この歌は2月1日の京都御所出発に際して紅梅殿の梅に別れを惜しんだ歌です。
ちなみに、この梅は太宰府天満宮に居ます。
なんと、道真公の慕って京都御所から飛んできた!!
と伝えられ【飛梅】と名付けられ本殿の横に寄り添ってます。
【あ~!飛梅さんだ〜!!仲良く寄り添ってる〜!!!】と感動しまくりな私。
こちらでは来年受験の甥っ子に鉛筆を授けてもらい、御朱印を頂戴しました。
御朱印貰うところは授与所とは分かれてました。
私の青葉神社の御朱印帳を見て(連れと色違いの紺色を持っていた)「どちらからきたの?」と言われたので「青森です」と言うと、「え?!?!青森?!?!」と驚かれたり(笑)
そうですよね〜本州最北端の県からはなかなか来ないですよね(笑)
道真公にご挨拶しました。
飛梅が寄り添ってます。
書き手は二人いらっしゃって、それぞれの味の違いを楽しみました〜
甥っ子用。来年の受験にむけて
学生の頃から何度も参拝したことがあったけど…
初めて境内の裏までゆっくり参拝させていただきました…本殿裏の方は神聖な感じがしました。
二つの御朱印…趣違いますよね。
本殿
本殿の裏に…。
本殿の裏
本殿の裏に…。
本殿の裏…
本殿の裏…
本殿の横に…。
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