えんのうじ|浄土宗
圓應寺福岡県 大濠公園駅
10:00~17:00
●戦国武将黒田官兵衛のただ一人の妻、光姫さまが建てられた由緒ある黒田家菩提寺です。
お檀家さまはもとより、どなたでもご参拝いただけます。
●葬儀やさまざまなご供養のほか、結婚式、成人式、七五三などの冠婚儀式や安産、健康長寿、厄年厄除けなどのご祈願もできます。また、修行体験として、写経・写仏、礼拝行、マインドフルネス(瞑想)などを体験でき、文化講座として香道、書道、空手道、日本刺繡、舞踊、着付けなどの寺子屋もございます。
●福岡市などの後援で次のお祭りがあります。どなたでもご参加できます。
4月「光とさくら願い文」
6月「福岡大空襲慰霊祭」
7月7日「弁財天大祭」
8月26日「光姫忌」
11月3日「光と影と光姫さまと」
12月31日~1月1日「照福 光の除夜詣り」
●圓應寺紹介YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JXuvRZP82P4
普段の生活で気が枯れてきた(気枯れ)とお感じになったときは、お寺にいらして気を蘇らせて(気蘇め)ください。どうぞ、お気軽に遊びにいらっしゃってください。
毎年7月7日に行われている、弁財天祭りに今年も行ってきました。九州豪雨の影響が今朝も続き、朝一激しい雨が降る中、お寺へ向かいました。
やはり、コロナの影響で、例年より会場の椅子も少なく、最終的な来場者も、例年に比べ明らかに少なかったです。
更に、劇団四季に在籍した方の奉納舞もありませんでした。凄い迫力で毎年楽しみにしていたのに!
また昔の様に、会場からはみ出る位の人達で賑わう事を祈っています。
(コロナの影響で、毎年恒例の弁財天尊の裏の空海さんの手形に触れる事が出来ませんでした。アルコール剤なんて吹き付けられませんからね。でも残念。)
家を出る時よりは小降りになっていました。
目の前に大量の車が通る道に面した、超街中のあまり広い境内とは言えないお寺ですが、この竹林が別世界を思わせる雰囲気を醸し出しています。
光姫さまの石碑。
他にも、山盛りのご飯なんかが所狭しと並んでいました。
荘厳です。
漢詩の掛け軸。この内容が分かる人はかなりの三国志通です。
これが弁財天尊です。これを見る事が毎年の楽しみです。平安時代作。今から1190年前に、空海さんが江の島(日本三大弁財天で有名です。)で行を行った際に、本人が灰を集めて固めて作ったとされるものです。
表こんな感じで、多数の仏が彫られています。
小さくてカワイイ。
真裏にある、これが空海さんの手形です。いつもなら、直に触れる事が出来ます。今年はコロナのせいで、見るだけ。これに1人触る毎にアルコール剤は吹けないでしょう。
空海という文字と朱印が見えるでしょうか。本人作といわれる所以です。
奉納の筑前琵琶の演奏を合わせた読経中に、2人の作家さんが絵をかくパフォーマンスをしてくれました。こちらは弁財天。普段弁財天像を描くときは、琵琶は横に寝かせる書き方をするそうですが、筑前琵琶という事で、立てた状態の琵琶で描かれたそうです。筑前琵琶を何故立てるのか説明もしてくれましたが、すいません!忘れてしまいました。
こちらも絵師の方が、その場で書かれたものです。八大龍王をイメージされたとの事です。これら2人の方々は他にも、この圓応寺とつながりがありまして、
7/7から授与開始のこの圓応寺オリジナルの御朱印帳を、お2人でデザインされています。弁財天尊と八大龍王がそれです。
こちらは毎年恒例の、御住職直筆の弁財天御朱印です。もう何回も頂いています。
慶長7年(1602)4月、福岡藩祖黒田如水(黒田官兵衛孝高)の正室照福院殿(光姫)は慶長7年4月、黒田家の菩提寺として息子長政が治める福岡城と次男熊之助が亡くなった玄界灘がよく見渡せる大手門前に官兵衛と縁の深い真譽上人見道大和尚を招き開山。黒田家の菩提寺とした。
「圓應寺代々略伝」によれば最愛の夫官兵衛如水が亡くなり光姫は出家して照福院殿となり、先祖、敵味方の区別なく御霊の追善供養に益々励まれ、一族、福岡藩有縁無縁の繁栄を祈願していた。
照福院殿が亡くなり、圓應寺は福岡を見守り照らすという夫人の思いを忘れることのないよう「照福山」を追号して「照福山顕光院圓應寺」と称す。
大手門前から海岸までの広大な寺領を持つ屈指の威容を誇る名刹、筑前国の中本山触頭として知られ、戦前までは照福院殿の墓碑、遺髪はもとより如水公をはじめとする黒田家由縁の墓碑は福岡大空襲で瓦礫となり、1980年(昭和55年)に照福院殿の墓碑は再建立。題字は第25-28代福岡市長進藤一馬の書。
黒田六代藩主・継高息女厚姫(阿津姫)の墓、玄洋社頭山満翁ほか累代の墓、今様黒田節の作詞者として知られた国学者二川相近の墓がある。黒田二十四騎では野口左助一成、桐山丹波守、久野四兵衛重勝、小河伝右衛門信章の菩提寺である。また黒田家当主ゆかりの夫人・息女のほか二十四騎の夫人・息女、富禄武家の墓が多くある。
堂祠とともに空襲から奇跡的にも焼失を免れた、天台宗の開祖である伝教大師(最澄)の彫刻とされる大黒天像とともに、真言宗の開祖である弘法大師(空海)の作といわれ、護摩の灰で練った弁財天像がある。像の裏面には空海の掌形が残っている。毎年七月七日に大祭が行われる。福岡大空襲の簀子地区戦災者を葬る無縁佛地蔵尊もある。
名称 | 圓應寺 |
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読み方 | えんのうじ |
参拝時間 | 10:00~17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 092-761-1454 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | info@ennouji.or.jp |
ホームページ | http://www.ennouji.or.jp/ |
ご本尊 | 阿弥陀如来,観世音菩薩,大勢至菩薩,弁財天,大黒天 |
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宗旨・宗派 | 浄土宗 |
ご由緒 | 慶長7年(1602)4月、福岡藩祖黒田如水(黒田官兵衛孝高)の正室照福院殿(光姫)は慶長7年4月、黒田家の菩提寺として息子長政が治める福岡城と次男熊之助が亡くなった玄界灘がよく見渡せる大手門前に官兵衛と縁の深い真譽上人見道大和尚を招き開山。黒田家の菩提寺とした。 「圓應寺代々略伝」によれば最愛の夫官兵衛如水が亡くなり光姫は出家して照福院殿となり、先祖、敵味方の区別なく御霊の追善供養に益々励まれ、一族、福岡藩有縁無縁の繁栄を祈願していた。
大手門前から海岸までの広大な寺領を持つ屈指の威容を誇る名刹、筑前国の中本山触頭として知られ、戦前までは照福院殿の墓碑、遺髪はもとより如水公をはじめとする黒田家由縁の墓碑は福岡大空襲で瓦礫となり、1980年(昭和55年)に照福院殿の墓碑は再建立。題字は第25-28代福岡市長進藤一馬の書。 黒田六代藩主・継高息女厚姫(阿津姫)の墓、玄洋社頭山満翁ほか累代の墓、今様黒田節の作詞者として知られた国学者二川相近の墓がある。黒田二十四騎では野口左助一成、桐山丹波守、久野四兵衛重勝、小河伝右衛門信章の菩提寺である。また黒田家当主ゆかりの夫人・息女のほか二十四騎の夫人・息女、富禄武家の墓が多くある。 堂祠とともに空襲から奇跡的にも焼失を免れた、天台宗の開祖である伝教大師(最澄)の彫刻とされる大黒天像とともに、真言宗の開祖である弘法大師(空海)の作といわれ、護摩の灰で練った弁財天像がある。像の裏面には空海の掌形が残っている。毎年七月七日に大祭が行われる。福岡大空襲の簀子地区戦災者を葬る無縁佛地蔵尊もある。 |
体験 | 坐禅(座禅)写経・写仏結婚式七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り除夜の鐘伝説 |
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