そうふくじ|臨済宗大徳寺派|横岳山
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | - |
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創建は鎌倉時代。
大徳寺派3道場のうちの一つ。
当初は太宰府にあったが初代藩主・黒田長政が現在の地へ移させ、黒田家菩提寺とした。
本来はもっと大きな伽藍だったが戦時中の空襲により現在の規模となった。
黒田家墓所は寺の北側にあり本堂側からは入れないようになっているため、墓所へは寺の北側から回ってくる必要がある。
ちなみに黒田官兵衛墓所は当時福岡城にあったとされる博多教会堂説、京都大徳寺塔頭・龍光院説があり正確な墓地は不明だが博多教会堂は現存せず龍光院は拝観謝絶のため、きちんとお参りできる墓所はここしかない。
山門は元々福岡城の本丸御門だったものを移設したもの。
で、これが黒田官兵衛の墓。
その左隣に長政墓。
(地震で壊れたので新しくした)
墓所入口で出迎える官兵衛・長政の説明書き。
その隣には官兵衛ゆかり地マップ。
墓所配置図。
長政の墓は先の地震で壊れたがその一部がまだ残されている。
福岡藩黒田家菩提寺「崇福寺」
千代県庁口駅から徒歩5分ほど。福岡r21号沿いに石標あり。
駐車場わからない。
県道沿いに石標と「頭山満先生之墓所」の石碑あり。
進んで大きな木造の山門。くぐってまっすぐ進むと途中に塔頭「心宗庵」、奥に進むと門の向こうに庫裡や本堂だと思うが「拝観・朱印は受付しておりません」の立て看板。
門の左手に進むとお墓ゾーン。九州特注なのかデカイお墓が多い。お墓右奥に門がありその奥に黒田家の墓所。門は閉まっている。草もボーボー。
元は太宰府になったが、福岡藩主黒田家が筑前入国と同時に移転。山門は福岡城の門。
官兵衛、長政を中心に、4代目、6代目、7代目、9代目や女家臣ら12基が並ぶ。福岡藩主の墓所は4箇所に分かれている。
名称 | 崇福寺 |
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読み方 | そうふくじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 092-651-0398 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 釈迦如来 |
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山号 | 横岳山 |
宗旨・宗派 | 臨済宗大徳寺派 |
創建時代 | 仁治元年(1240) |
開山・開基 | 湛慧 |
文化財 | 唐門,山門(県指定重要文化財)
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体験 | 重要文化財有名人のお墓 |
Wikipediaからの引用
概要 | 崇福寺(そうふくじ)は、福岡県福岡市博多区にある臨済宗大徳寺派の寺院。同派三道場の一つ。九州触頭。当初は大宰府にあったが、黒田長政が筑前の藩主になると、現在の千代町に移転させた。福岡藩主黒田家の菩提寺。かつての伽藍は海岸まで続き広大な寺域を誇ったが、福岡大空襲により灰燼に帰した。 |
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歴史 | 沿革[編集] 1240年(仁治元年)、太宰府の横岳に湛慧により建立される(現在の筑紫台高等学校近くに別院として現存)。 1241年(仁治2年)、円爾が開堂演法し、無準師範から与えられた「勅賜萬年崇福禅寺」の八大字を揚げて寺名とした。 1243年(寛元元年)、承天寺と並んで官寺に列せられ、後嵯峨天皇より「西都法窟」の勅額を下賜される。 1272年(文永9年)、南浦紹明が興徳寺より転じ住持を務める。 1308年(延慶元年)、南浦紹明が亡くなり峰翁祖一が崇福寺の三世となる。 1586年(天正14年)、島津氏と大友氏の間でおこなわれた岩屋城の戦いの際に焼失するも再建される。 1600年(慶長5年...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 福岡市地下鉄箱崎線千代県庁口駅より徒歩7分(600m) 西鉄バス・JR九州バス千代町バス停より徒歩7分(600m) 福岡高速環状線千代出入口より860m |
引用元情報 | 「崇福寺 (福岡市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B4%87%E7%A6%8F%E5%AF%BA%20%28%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E5%B8%82%29&oldid=92590275 |
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