みょうつうじ|真言宗御室派|棡山(ゆずりざん)
明通寺のお参りの記録一覧
若狭観音霊場巡礼で参拝。14番札所。
本尊は薬師如来。札所本尊は聖観音。
806年平城天皇の勅願寺として坂上田村麻呂が本堂を建立し、棡木(ゆずりき)の大木で薬師如来坐像、降三世明王立像、深沙大将立像の三体を作り安置し創建したと伝わる。
創建後400年の間に3度の火災に遭い、創建時のものは全て焼失し現存していない。
その後、僧・頼禅が1258年に本堂、1270年に三重塔を再建し中興した。
本堂、三重塔は国宝指定されている。
若狭観音霊場満願。
本堂
本堂
本堂
本堂
本堂
三重塔・本堂
三重塔
三重塔
三重塔
三重塔
弁天堂
客殿
庫裏
鐘楼
梵鐘
山門(1772年)
山門(1772年)
山門(1772年)
金剛力士像(1264年)
金剛力士像(1264年)
山門(1772年)
【若狭國 古刹巡り】
明通寺(みょうつうじ)は、福井県小浜市門前にある真言宗御室派の寺院。山号は棡山(ゆずりさん)。本尊は薬師如来。本堂および三重塔は国宝(福井県唯一)。木造薬師如来坐像、木造降三世明王立像、木造深沙大将立像、木造不動明王像等は国指定の重要文化財。
寺伝(『明通寺縁起』)によると、平安時代初期の806年、北陸地方を巡業中の坂田上田村麻呂による創建。鎌倉時代中期、僧・頼禅によって再興され、現在国宝の本堂、三重塔が復興されている。
当寺は、JR小浜線・東小浜駅の南東4kmの山あい、松永川西岸の小高い場所にある。当寺HPでは「古式蒼然の美・幽谷の国宝」と表現しているが、まさにそのキャッチフレーズ通りで、石段を登って仁王門をくぐっていく時は古刹の山寺に来たことを実感させられる。仁王門近くには鐘楼、客殿、寺務所などがあり、拝観受付を越えしばらく進むと、さらに一段高い場所に国宝の本堂と三重塔が姿を現す。本堂内には国重文の仏像が3体も安置されており見応えは十分。本堂内では当寺の方が、当寺の由緒や建物、仏像について参拝者ごとに直接説明いただけたのにはかなり感動した。
今回は、本堂と三重塔が国宝、4体の仏像が国重文であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分以外にも数組の参拝者が訪れていた。
境内東端入口全景。山寺の雰囲気全開。(o^―^o)
やや急な階段を登り切ったところにある<仁王門>。
左側の<吽形仁王像>。写術的な造形で、見た目の恐ろしさは抜群。
右側の<阿形仁王像>。
仁王門をくぐって、さらに一段高いところにある<鐘楼>。
参道の左側にある<水屋>。
自然を生かした、趣のある手水盤。
水屋の前の池には、たくさんの錦鯉が泳いでいる。
参道を一段上がると<拝観受付>。先に御朱印帳を預ける。
山寺らしい雰囲気を味わいながら、整備された参道を進む。
やがて階段が現れ、その上には建物が見えてくる。
階段を登り切ったところから、<国宝・三重塔>(左)と<国宝・本堂>(右)。
本堂の脇から見える、向かいの山の眺め。
こちらが<本堂>。鎌倉時代中期1258年の建立。桁行5間、梁間6間、入母屋造、檜皮葺。
こちらが<三重塔>。鎌倉時代中期の1270年建立。総高22.1m。
本堂の中は、手前梁間3間の外陣と、奥梁間3間の内陣を明確に区分する中世仏堂特有の構成になっている。
本堂を出て、改めて建物を眺める。党内では、当寺の方が由緒や建物・仏像などについて、参拝者1人に対しても個別に解説をいただける。これには感動。
また、内陣には<木造薬師如来坐像>、<木造降三世明王立像>、<木造深沙大将立像>の3体の国重文の仏像が安置されているが、参拝者は内陣に入って拝むことができる。これも嬉しい!(o^―^o)
本堂と三重塔の間には、小高い場所に鎮守社がある。
登ってみると、小社は2つ建っている。
階段下から<三重塔>を見上げてみる。軒の出が深く、安定感があり、和様の端正優美な塔で、鎌倉時代のこの種の塔婆の典型と言われるとのこと。
<三重塔>の初層正面。釈迦三尊像が安置されている。
<三重塔>の初層側面。
<三重塔>の初層裏面。阿弥陀三尊像が安置されている。
三重塔が建っている場所から<本堂>を望む。
帰路。拝観受付で御朱印帳を受け取ってから、参道北側にある入口を入る。
入口から入って、左前方にある<客殿>。
<客殿>正面。ここに、国重文の<不動明王像>が安置されている。
最後にふたたび、<三重塔>と<本堂>の国宝建造物のデュエット。山の中だからこそ、歴史的建造物が良い状態で保存されてきたのかな。(^▽^)/
京都府北部&福井県西部寺巡りの8寺目は、小浜市門前に在る棡山 明通寺です。
真言宗御室派で、本尊は薬師如来。
この薬師如来坐像は重文で、降三世明王立像と深沙大将立像と不動明王立像も重文、仁王像は市指定文化財です。
また、本堂と三重塔は国宝です。
今回の寺巡りの最後となります。
806年に坂上田村麻呂が、霊夢の導きによって老翁の云う通りに堂塔を建て、棡(ゆずり)の老樹から薬師如来、降三世明王、深沙大将を彫り、祀ったと伝わります。棡(ゆずり)の木から棡山の山号とした。現在の本堂は1258年に、三重塔は1270年に、中興の頼禅法印によって再建されたものです。
山門への石段の横の駐車場に停めました。(バスも停めれる駐車場も別にあります。)
石段を上がると山門。阿形、吽形(市指定文化財)に睨み付けられました。山門をくぐり少し行くと右側に中門がありますが、こちらは帰り道になります。先に行くと左側に手水、右側に拝観受付。拝観料(500円)を支払い、御朱印をお願いしました。見上げれば本堂です。もう少し石段を上がると国宝の本堂の前に。本堂の奥には弁天堂と国宝の三重塔が鎮座。福井県の国宝建造物はこの本堂と三重塔だけです。
それでは本堂に。左側の戸口から入ります。広い下陣です。靴をぬいで上がって、係の方から説明をして頂きました。(参拝者は私1人のみ)それから内陣に入り、じっくりと観仏。須弥壇中央の厨子に本尊・薬師如来坐像、厨子の手前両側に薬師如来を護る6躯ずつの十二神将。薬師如来の脇侍は一般的には日光菩薩と月光菩薩ですが、何故かこちらは深沙大将と降三世明王です。左の脇間にはもう1躯の薬師如来坐像と中興の頼禅法印坐像、右の脇間には弘法大師と厨子に入った聖観音菩薩立像が安置されていました。
薬師如来坐像は高さ約145cm、平安時代後期の作、堂々としていながら優しいお顔。深沙大将立像は高さ約257cm、平安時代後期の作、とても猛々しい。降三世明王立像は高さ約252cm、平安時代後期の作、四面八臂で独特の降三世印、格好いいです。
本堂を出て石段を下り、拝観受付で御朱印帳を受け取り、帰り道の中門をくぐると客殿です。こちらには不動明王立像が安置されていますが、上がれないため距離があって見辛いです。高さ約162cm、平安時代後期の作。この像は廃寺となった松林寺から羽賀寺へ遷されたもので、明通寺の持仏堂が1872年に火災に遇い不動明王像が焼失したため、羽賀寺から譲り受けたものです。
帰り道の途中に樹齢500年以上という天然記念物の榧(カヤ)の木がありましたが、2年前に倒れてしまったそうです。残念ですね。
駐車場に戻り、帰り支度をしていたら鳥居が目に入ったので、神社を参拝してから帰路に着きました。
御朱印
山門
阿形
吽形
鐘楼
手水
本堂(国宝)
本尊・薬師如来坐像(ネットから転載)
深沙大将立像
降三世明王立像
聖観音菩薩
弁天堂
三重塔(国宝)
中門
客殿
不動明王立像
静かな山間に建つ本堂の姿は美しく、そして後ろには凛とし佇まいの三重塔。
県内唯一の国宝です。
征夷大将軍、坂上田村麻呂が平和を祈って建立したお寺
本堂では素敵な声のイケメンの方の説明があります。
静寂の薄暗い本堂内、心地よい声、そして個性的な仏像、スッーと引き込まれていきます。
朝一番のお参り気持ちが良いですね☘️
でも、気持ちが良すぎて肝心な場所の写真撮り忘れが多かったです😰
写真撮るより見とれてしまったみたいです💦
まだ、寝ぼけていたのかな?😱
沢山の綺麗な鯉
手水舎
スッキリとした素敵な花手水
隣には龍神様の手水
並んで二つあります
階段を上がると本堂が
本堂の後には三重塔
ダルマさんが沢山至る所に飾ってありました
美しい三重塔
三重塔から本堂を!
こちらの本堂の佇まいが大好き。
特に屋根の形が素敵でした☘️
こちらには不動明王様がいらっしゃいます
御朱印は4種類
長い間ご苦労様
寿命を迎えたかやの木
福井県小浜市の明通寺を参拝しました。
「棡橋(ゆづりばし)」
駐車場から境内へ向かう松永川に架かる
山門
由緒記
鐘楼
本堂
三重塔(釈迦如来が安置されている)
狸の僧侶
#明通寺
ご本尊は薬師如来。
#薬師如来
真言陀羅尼の解説という本によれば、薬師如来は胎蔵マンダラにも金剛界マンダラにも姿を見せないため、両界マンダラのどの仏様に該当するのか、という議論が盛んに行われているそうだ。古い本なので、現在も盛んかは知らない。
有名なのはアシュク如来と同一視するもの。高野山がこの立場だ。金堂のご本尊がそうで、「阿閦如来(薬師如来)」とある。ただ、確かお堂の中の掲示物だったと思うが、このような考え方が発生したのは平安時代の終わり頃で、高野山側がご本尊を薬師如来として祀るようになったのは、それ以降のことだと書いてあった。
彼らに共通するのは、東の果てに浄土を構えている点。アシュク如来のは東方妙喜国、薬師如来のは東方浄瑠璃世界という。
他には、釈迦如来の別名というか、属性の一部が独立した存在みたいな説もある。お釈迦さまには、頼って来る人の悩みを聴き、的確なアドバイスを与えて心の不調を取り除く、精神的なヒーラーという面があり、その部分が単一の尊格として信仰されたのがお薬師さまだと。
真言陀羅尼の解説が紹介しているのは、無能勝明王を当てるもの。無能勝明王の真言を、薬師如来と同じ「オン コロ コロ センダリ マトウギ ソワカ」とする経典があるからだそうだ。
なお曼荼羅図典などには、無能勝明王は釈迦如来の化身とある。これならば第2説ともつじつまが合う。
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