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こうおんじ|真言宗御室派栴檀山(せんだんさん)

香園寺
愛媛県 伊予小松駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

第一駐車場(常時):普通25台
第二駐車場(繁忙期):普通50台・大型3台(無料)

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to_sun
2023年04月15日(土)
168投稿

【栴檀山(せんだんざん)教王院(きょうおういん)香園寺(こうおんじ)】
本尊:大日如来
宗派:真言宗御室派
開基:聖徳太子
 香園寺は、聖徳太子(574-622)が第31代用明天皇(在位585-587)の病気平穏を祈願して創建したと伝わる。このときに、聖徳太子の前に金の衣を着た白髪の老翁が飛来して、本尊の大日如来像を安置したという。そののち、弘法大師(774-835)が大同年間(806-810)に訪れている。このとき門前で身重の婦人が苦しんでいるのを見かけ、栴檀の香を焚いて加持、祈祷をしたところ、婦人は元気な男の子を無事に出産した。これが機縁となり、大師は、唐から持ち帰った小さな金の大日如来像を本尊の胸に納め、再び栴檀の香を焚いて安産、子育て、身代わり、女人成仏を祈る「四誓願(しせいがん)」の護摩修法をされて寺に遺した。 それ以来、安産、子育ての信仰を得ている。

香園寺(愛媛県)

【61_T.Hamada's view】

香園寺(愛媛県)

【61_大聖殿】
 八十八か所で唯一、聖徳太子が開創したとされるお寺。本堂と大師堂が一緒になった「大聖殿」は、厳かで、劇場のような迫力のある建造物。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

香園寺(愛媛県)

【61_大聖殿】

香園寺の建物その他

【61_大聖殿】

香園寺(愛媛県)

【61_子安大師堂】
 赤ん坊を抱いた大師像を祀った子安大師堂には数多くの参拝者が訪れる。

香園寺の像

【61_子安大師】

香園寺(愛媛県)

【61_聖徳殿】

香園寺の御朱印
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歴史

香園寺は聖徳太子(574〜622)の開基という四国霊場屈指の古刹であり、一方、境内には本堂と大師堂を兼ねた超近代的な大聖堂を構えている。また、寺が創始した子安講の輪は、海外にまで広がり現在20,000人を超えている。
縁起によると、用明天皇(在位585〜87)の病気平癒を祈願して、皇子である聖徳太子が建立したと伝えられる。このときに、太子の前に金の衣を着た白髪の老翁が飛来して、本尊の大日如来像を安置したとも伝えられ、また、天皇からは「教王院」の勅号を賜った。のち、天平年間(729〜49)には行基菩薩(668〜749)が訪ねている。
弘法大師が訪れたのは大同年間(806〜10)であった。ある日、門前で身重の婦人が苦しんでいた。大師は、栴檀の香を焚いて加持、祈祷をした。すると婦人は元気な男子を無事に出産した。これが機縁となり、大師は唐から持ち帰った小さな金の大日如来像を本尊の胸に納め、再び栴檀の香を焚いて安産、子育て、身代わり、女人成仏を祈る「四誓願」の護摩修法をされて寺に遺し、霊場に定められた。「栴檀山」はこれに由来する。
以来、安産、子育ての信仰を得て栄え、七堂伽藍と六坊を整えたが「天正の兵火」で焼失、寺運は明治・大正になって復興している。明治36年に晋山した山岡瑞園大和尚により、大正3年に本堂を再興し、同7年には「子安講」を創始して、全国の行脚はもとより、東南アジアやアメリカまで足を延ばし、講員の拡大と寺の隆盛に尽力している。

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香園寺の基本情報

住所愛媛県西条市小松町南川甲19
行き方

伊予小松駅 下車 (1.5km)
60【横峰寺】より
(自家用車)約35分 約10km
(徒歩)約3時間 約10km
62【宝寿寺】より
(自家用車)約6分 約1.5km
(徒歩)約20分 約1.5km

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名称香園寺
読み方こうおんじ
通称子安大師 香薗寺
参拝時間

7:00~17:00

トイレ駐車場にあり
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0898-72-3861
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスinfo@koyasudaishi.or.jp
ホームページhttp://www.koyasudaishi.or.jp/

詳細情報

ご本尊大日如来
山号栴檀山(せんだんさん)
院号教王院(きょうおういん)
宗旨・宗派真言宗御室派
創建時代六世紀後半
開山・開基聖徳太子
札所など

四国八十八箇所61番

文化財

一柳直卿の扁額「栴檀山」「教王院」、大日裏山2号古墳(西条市指定文化財)

ご由緒

香園寺は聖徳太子(574〜622)の開基という四国霊場屈指の古刹であり、一方、境内には本堂と大師堂を兼ねた超近代的な大聖堂を構えている。また、寺が創始した子安講の輪は、海外にまで広がり現在20,000人を超えている。
縁起によると、用明天皇(在位585〜87)の病気平癒を祈願して、皇子である聖徳太子が建立したと伝えられる。このときに、太子の前に金の衣を着た白髪の老翁が飛来して、本尊の大日如来像を安置したとも伝えられ、また、天皇からは「教王院」の勅号を賜った。のち、天平年間(729〜49)には行基菩薩(668〜749)が訪ねている。
弘法大師が訪れたのは大同年間(806〜10)であった。ある日、門前で身重の婦人が苦しんでいた。大師は、栴檀の香を焚いて加持、祈祷をした。すると婦人は元気な男子を無事に出産した。これが機縁となり、大師は唐から持ち帰った小さな金の大日如来像を本尊の胸に納め、再び栴檀の香を焚いて安産、子育て、身代わり、女人成仏を祈る「四誓願」の護摩修法をされて寺に遺し、霊場に定められた。「栴檀山」はこれに由来する。
以来、安産、子育ての信仰を得て栄え、七堂伽藍と六坊を整えたが「天正の兵火」で焼失、寺運は明治・大正になって復興している。明治36年に晋山した山岡瑞園大和尚により、大正3年に本堂を再興し、同7年には「子安講」を創始して、全国の行脚はもとより、東南アジアやアメリカまで足を延ばし、講員の拡大と寺の隆盛に尽力している。

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