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吉祥寺ではいただけません
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きちじょうじ|真言宗東寺派密教山(みっきょうざん)

吉祥寺
愛媛県 伊予氷見駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
なし

なし 
付近に民営駐車場あり(普通車1時間200円)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所63番
四国(東予)七福神・毘沙門天(毘沙聞天)

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年08月17日(土)
1973投稿

1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の8寺院目です。
横峰寺から下りてきて とにかく一番近いお寺にと思ってお参りしました。
なにせ時間があまりなかったもので。
街中のお寺 車でささっと巡れるお寺 本当にほっとしました。
普段ならこんな気持ちにはならないのでしょうが さすがにこの日だけは違いました。
少し離れた駐車場に車を停め 立派な山門まで2分ほど歩きました。
境内は狭くはないのですが お庭は広くなかったですかね。
大師堂も本堂も すぐお勤めできますよという感じで すごくすっきり片付けられていて ご住職のお気持ちが伝わってきます。
成就石は 本来は本堂付近から目を閉じて金剛杖を持って石が置いてある場所まで歩いて行き 石に開いてある穴に金剛杖を突き通すと願いが叶うと伝わるそうですが 金剛杖ないので手を合わせてみました。御利益あるかな?

山号は密教山 院号は胎蔵院 宗旨宗派は真言宗東寺派 ご本尊は毘沙門天(毘沙聞天)(秘仏) 創建年は(伝)弘仁年間(810年 – 823年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。

ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん べいしら まんだや そわか
ご詠歌:身の中(うち)の悪(あ)しき悲報を打ちすてて みな吉祥(きちじょう)を 望み祈れよ
でした。

由緒については
寺伝によれば 弘仁年間(810年 – 823年)に空海(弘法大師)が光を放つ檜から毘沙門天・吉祥天・善賦師童子を刻み 安置したのが起源といわれる。
そのころの寺は 現在地より南東にあたる坂元川谷間の山中の現在は吉祥寺藪と呼ばれている箇所にあり 塔頭を21坊も有するようになっていたが 豊臣秀吉の四国征伐の際 天正13年(1585年)に小早川隆景が高尾城を攻めたとき その山中にあった当寺も兵に放火され 全山焼失した。
本尊は助けだされ麓の大師堂のあったところに移されていたが 万治2年(1659年)に塔頭の檜木寺(かいぼくでら)と合併して現在の地に再建された。
とありました。

吉祥寺(愛媛県)

山門

吉祥寺(愛媛県)

象ですか?

吉祥寺(愛媛県)

扁額も木組みもかっこいい

吉祥寺(愛媛県)

鐘楼

吉祥寺(愛媛県)

手水は龍でした

吉祥寺(愛媛県)

大師堂

吉祥寺(愛媛県)
吉祥寺(愛媛県)

内陣

吉祥寺(愛媛県)
吉祥寺(愛媛県)

本堂

吉祥寺(愛媛県)
吉祥寺(愛媛県)

内陣

吉祥寺(愛媛県)

ポックリさん? 死に際のことね

吉祥寺(愛媛県)

成就石

吉祥寺(愛媛県)
吉祥寺(愛媛県)

納経所は右手

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吉祥寺の基本情報

住所愛媛県西条市氷見乙1048
行き方

伊予氷見駅 下車 (0.2km)
62【宝寿寺】より
(自家用車)約6分 約1.4km
(徒歩)約20分 約1.4km
64【前神寺】より
(自家用車)約10分 約3km
(徒歩)約50分 約3.5km

アクセスを詳しく見る
名称吉祥寺
読み方きちじょうじ
参拝時間

7:00~17:00

トイレ納経所むかい
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0897-57-8863
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SNS

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊毘沙聞天
山号密教山(みっきょうざん)
院号胎蔵院(たいぞういん)
宗旨・宗派真言宗東寺派
創建時代弘仁年間(810〜824)
開山・開基弘法大師
ご由緒

四国霊場の中で、本尊を毘沙聞天とする札所は吉祥寺だけで、その縁起をたどる。
弘法大師がこの地方を巡教したのは弘仁年間とされ、その折に大師は1本の光を放つ檜を見つけ、一帯に霊気が満ちているのを感得した。大師は、この霊木で本尊とする毘沙聞天像を彫造、さらに脇侍として吉祥天像と善膩師童子像を彫って安置し、貧苦からの救済を祈願して堂宇を建立したのが開創と伝えられている。
そのころの寺は、現在地より南東にあたる坂元山にあり、広い寺域に塔頭を21坊ほども有していた。だが、天正13年(1585)豊臣秀吉による四国攻めの争乱に巻き込まれて全山を焼失されている。その後、江戸時代の万治2年(1659)、末寺であった檜木寺と合併して、現在の地に移り再建されたと伝えられる。
寺宝に「マリア観音像」(非公開)がある。高さが30cmほど、純白の美しい高麗焼の像だが、伝来の由縁が興味深い。土佐沖で難破したイスパニア船の船長が、長宗我部元親に贈ったもので、元親はマリア像とは知らず、吉祥天のように美しい観音像として代々伝えられ、徳川幕府のキリスト教禁令にも難を逃れている。寺にはほかに鎌倉時代の「十二天屏風」、室町時代の「山越阿弥陀三尊像」(紙本著色)などが保存されている。

体験御朱印札所・七福神巡り
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