じょうどじ|真言宗豊山派|西林山(さいりんざん)
浄土寺愛媛県 久米駅
7:00~17:00
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楽しみ方西林山 浄土寺(じょうどじ, 真言宗 豊山派, 天平勝宝年間749年〜757年) 伊予遍路道, 本堂(重文), 木造空也上人立像(重文), 恵明上人が開創, 本尊は釈迦如来(行基作),四国八十八ヶ所49番札所
1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の2寺院目です。
西林寺から車で10分ほどで駐車場に到着です。近いっていいですね。
空也上人像があるとのことでしたが 同じものを京都の六波羅蜜寺で拝見したことがあります。
残念ながらこちらの空也上人像は拝見できませんでした。
こちらも建物が多く 本堂・大師堂のほかに 阿弥陀堂・愛染堂があります。
どの堂宇も中がすっきり整えられています。
観光寺さんの中には 片付けまで手が回らないお寺もあり そういう一面を見た時にがっかりすることがあります。
質素であり整えられている という雰囲気が大好きです。
こちらも御朱印を拝受する際 奥様とお話をさせていただきました。(世間話)
街中のお寺ですが さすが四国八十八か所という感じで 素敵な気持ちになれました。
山号は西林山 院号は三蔵院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は釈迦如来 創建年は(伝)天平勝宝年間(749年 – 757年) 開基は恵明です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
ご詠歌:十悪(じゅうあく)のわが身を棄てずそのままに 浄土の寺へまいりこそすれ
でした。
由緒については
伝承によれば 天平勝宝年間(749年 – 757年)に孝謙天皇の勅願を受けて恵明(えみょう)上人が開創 本尊として行基が刻んだ釈迦如来像を祀ったという。
当初は法相宗であったが 空海(弘法大師)が伽藍を再興した際に真言宗に改宗したという。
平安時代中期の天台宗の僧空也が天徳年間(957年 – 960年)にこの寺に滞在し布教に努めた。
建久3年(1192年)に源頼朝が堂宇を修復するが 応永23年(1416年)には兵火で焼失。
河野通宣によって文明14年(1482年)に再建された。
現在の本堂はそのときのものである。
慶安2年(1649年)には大規模な修繕 昭和36年(1961年)には解体修理が行われている。
とありました。
仁王門
梁の形がおもしろい
弁財天社かな
手水
由緒書
鐘楼
本堂
内陣
仏像の説明
本堂の説明
阿弥陀堂
内陣
愛染堂
内陣
弘法大師供養塔
大師堂
弘法 の扁額 どこも同じ?
内陣
納経所への門
七福神
納経所
境内入口に正岡子規の句碑「霜月の空也は骨に生きにける」が立つ。浄土寺は空也上人(903〜72)の姿がいまに残る寺である。腰のまがったやせた身に、鹿の皮をまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、「南無阿弥陀仏」を唱えるひと言ひと言が小さな仏となって口からでる姿が浮かぶ。道路を補修し、橋を架け、井戸を掘っては民衆を救い、また広野に棄てられた死体を火葬にし、阿弥陀仏を唱えて供養した遊行僧、念仏聖である。
この空也上人像を本堂の厨子に安置する浄土寺は、縁起によると天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇(在位749〜58)の勅願寺として、恵明上人により行基菩薩(668〜749)が彫造した釈迦如来像を本尊として祀り、開創された。法相宗の寺院だったという。のち弘法大師がこの寺を訪ねて、荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗した。そのころから寺運は栄え、寺域は八丁四方におよび、66坊の末寺をもつほどであった。
空也上人が四国を巡歴し、浄土寺に滞留したのは平安時代中期で、天徳年間(957〜61)の3年間、村人たちへの教化に努め、布教をして親しまれた。鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復した。だが、応永23年(1416)の兵火で焼失、文明年間(1469〜87)に領主、河野道宣公によって再建された。
本堂と内陣の厨子は当時の建造で、昭和36年に解体修理をされているが、和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物は、国の重要文化財に指定されている。
住所 | 愛媛県松山市鷹子町1198 |
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行き方 | 久米駅 下車(0.4km)
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名称 | 浄土寺 |
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読み方 | じょうどじ |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
トイレ | 仁王門の横 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印の郵送対応 | なし |
電話番号 | 089-975-1730 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
伊予十三仏霊場 第2番 | 御本尊:釈迦如来 |
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四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
ご本尊 | 釋迦如来 |
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山号 | 西林山(さいりんざん) |
院号 | 三蔵院(さんぞういん) |
宗旨・宗派 | 真言宗豊山派 |
創建時代 | 天平勝宝年間(749〜757) |
開山・開基 | 恵明上人 |
文化財 | 本堂、木造空也上人増(重要文化財)
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ご由緒 | 境内入口に正岡子規の句碑「霜月の空也は骨に生きにける」が立つ。浄土寺は空也上人(903〜72)の姿がいまに残る寺である。腰のまがったやせた身に、鹿の皮をまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、「南無阿弥陀仏」を唱えるひと言ひと言が小さな仏となって口からでる姿が浮かぶ。道路を補修し、橋を架け、井戸を掘っては民衆を救い、また広野に棄てられた死体を火葬にし、阿弥陀仏を唱えて供養した遊行僧、念仏聖である。
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体験 | 御朱印重要文化財札所・七福神巡り |
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